博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

本が一気にキターーーー!

2009年08月31日 | 留学
本日、北京から発送した本が到着。20日と23日、別々の日と地点から送ったのですが、きっちり同時に届きましたね。で、それを整理する間も無く今度は指導教授より中華書局発行の『于省吾先生著作集』既刊分10冊を拝領。

なんつーか、本って増える時は一気に増えますね(^^;) 今まで本棚から本が溢れないように適当に実家に発送したりしていたのですが、とうとう溢れちゃいました\(^o^)/ 来月にでもまた郵便局に本を持って行きます……
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夏の河北6日間 秦皇島・老龍頭等

2009年08月30日 | 旅行・オフ会・展覧会
さて、気を取り直して老龍頭へ。



ここは万里の長城の最東端にあたる所で、城壁が渤海へと突き出ています。テレビでこの光景を見て以来、一度来てみたいと思っていたんですよね(^^;)

で、老龍頭の敷地内にこういうガラスで覆われたブロックがあるのですが、これは明代の長城の残片とのこと。



じゃあ、目の前にあるレンガ造りの城壁は後代に「修復」「整備」されたものということなんでしょうか(^^;) 以前知人と「今の万里の長城って明代のものですよね」という話になった時、「いや、そんな古いもんじゃないから。八達嶺なんかは毛沢東とか小平の時代のもんだから。」という返答を聞き、驚いたもんですが、こういうのを見ちゃうとその話もあながちデタラメとは思えなくなってきます……

おまけ。敷地内にあった八卦陣迷路。



分かっていると思うけど、「これが長城と何の関係があるのか」とかツッコむな!

老龍頭を出た後は、「秦皇求仙入海処」(秦皇求仙文化城)に行ってみることに。ここは始皇帝が碣石の地に巡幸した折りに、不老長寿の霊薬を求めて方士らを出航させた所とされており、明代の「秦皇求仙入海処」という石碑が建てられていたとのこと。で、それを記念して海辺に巨大な始皇帝像が建てられています(^^;)



この始皇帝像の先の埠頭にも何やら東屋が見えるのですが、そこから先は35元の入場券では入れず、120元の通し券が必要となります。



さすがに何だかよく分からないもののために120元も出せません。この通し券で海水浴も出来るということですが、1人で来ていて海水浴なんてしねえよ!(^^;) というか、中国では海水浴場に入るのに入場料が必要なんでしょうか……

仕方がないので始皇帝像後方の「求仙殿」をのぞいてみることに。



ここは要するにお土産売り場なんですが、ここで西洋人のツアー団体と遭遇。海水浴に来た……というわけでもなさそうなので、お土産を買わされるためだけにここに連れて来られたんでしょう(^^;)

この求仙殿の一角に秦代の瓦当の破片とか土器などが展示されており、始皇帝がやって来たかどうかは分かりませんが、当時ここに宮殿だか何だかがあったのは確かな模様。ついでに明代の「秦皇求仙入海処」石碑の残骸も発見。パネルによると「1966年に毀たれた」とありますが、要するに文革で破壊されたと理解していいんでしょうか(^^;)

今回の旅はここで終了です。毎度のことなんですが、旅に出ると自分の幻想とかロマンがどんどんブチ壊されていきますよね。まあ、それが面白くて旅をしている面もあるんですが……
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夏の河北6日間 秦皇島・山海関

2009年08月29日 | 旅行・オフ会・展覧会
4日目は朝一で高速バスに乗って承徳から北京へ。この日は海澱(海淀)図書城やその隣の大型書店「第三極」を物色。で、5日目の8月24日に日帰りで北京から秦皇島に行ってみました。

というわけでまずは山海関へ。



山海関は万里の長城の関門の中では最も東に位置しており、華北と東北との境目となっています。明末に呉三桂が守将となり、清に帰順したことで知られる場所です。上の写真は山海関の東門にあたり、箭楼には「天下第一関」という扁額が掛かっています。下の写真は城壁に登って撮った箭楼。



ガイドの説明を適当に盗み聞きしたところによると、下の写真の風景が関外、すなわち関東ということになるようです。私は普段その関東で暮らしているわけですが。



城壁と関門だけではなくかつての城内にあたる所も観光できるようになっているのですが……



これが見事に横店化していて苦笑い(^^;) まんま影視城みたいな雰囲気になってます。しかもムダに広い…… 写真は街の中心に位置する鐘鼓楼。で、その街の一角に鏢局を発見。



ただ、ここは門をくぐった所で記念撮影(有料)をするためだけの場所で、そこから奥には入れないようになってました。

こちらは城内の大通りをはずれた所にある王家大院。



山海関に暮らしていた清末の富豪の邸宅ということですが、こちらはそれほど「修復」が施されておらず、落ち着いた雰囲気。

そんでここまでで午前中が終了。城内の食堂で昼飯を済ませた後、バスで老龍頭へと移動します。バス停に下りると「長城奇観園」という建物が見えたので、ここが老龍頭の入り口かと思いきや……



単にハリボテの八達嶺とか居庸関などが展示されている所でした(-_-;) 入場料の30元をドブに捨てたような気分です。これなら山海関からタクシーで老龍頭の入り口まで連れて行ってもらった方が安くついたのではないか思うと、とても気分が滅入ってきます…… これが今回の旅行の最大のガッカリです。

老龍頭の本当の入り口はこの長城奇観園から更に少し歩いた所にありました。長くなったので一旦ここで区切ります。
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夏の河北6日間 承徳・外八廟等

2009年08月28日 | 旅行・オフ会・展覧会
旅の3日目、8月22日は避暑山荘の周辺にある清代創建のラマ寺院群「外八廟」を見て回ることにしていたのですが、その前に避暑山荘の真ん前にある関帝廟へ。



ここは清朝皇室御用達の関帝廟とのこと。もれなくカンフースーツっぽい服を着たお姉さんがガイドしてくれます(^^;) 解説によると廟内に乾隆時代の清官劉墉の部屋があるということですが、「この人知らない」と言ったら、お姉さんが「えっ、知らないの?テレビドラマもあるよ!ほら、こんな風に背の曲がった……」と説明しだし、そこでこの劉墉がドラマ『宰相劉羅鍋』の劉羅鍋のことだと思い当たった次第。しかし普通外国人に劉羅鍋のことなんか話しても分かってもらえんぞ(^^;)

関帝廟を出た後は外八廟の中でも最大規模という普陀宗乗之廟へ。



写真後方にポタラ宮っぽい建物が見えますが、これは本当にラサのポタラ宮を模したもの。そのポタラ宮を拡大してみるとこんな感じ。



壁をよく見ると赤い塗料が所々剥落してしまってますが、だからと言って修復するとまた例によって元のものとは似ても似つかないシロモノになっちゃうんでしょうなあ(-_-;)

ここを出た後は隣にある須味福寿之廟へ。下の写真はさきほどのポタラ宮と似てますが、違う建物で大紅台。



杭州の六和塔を模したという瑠璃宝塔もありますが、本物と比べてあんまり似ているようには見えません(^^;)



このように外八廟には各地の寺院を模した建物が造られてますが、避暑山荘内の建築物の多くが江南の名勝を模しているのと同様、清朝皇帝が帝国全土の名刹名勝を掌握したことを象徴しているといった王権的な意味合いがあるんでしょうか。

で、この須味福寿之廟を出たところで昼食タイムに。これでは1日で外八廟すべてを見切るのは到底不可能と思い知ることに…… 「1箇所2~30分ぐらいで見て回れば全部回れるっしょ!」とか思ってましたけど、正直外八廟をナメてました。すんません……

午後は外八廟の中で一番最初に建立されたという普寧寺へ。



写真の建物「大乗之閣」の中には高さ22メートルの巨大ロボットと見紛うばかりの千手観音菩薩像が(^^;) ただ、こういう所では仏像の撮影が禁止なのが惜しまれるところです…… で、この普寧寺にはパンチェン・ラマ11世(もちろん中国側が指名した方)が来訪したことがあるらしく、建物の内部にこれ見よがしにその時のパネル写真が……

普寧寺を出た後は、承徳の街を歩いていて下の写真の矢印の物体、磬錘峰が気になったので、ケーブルに乗って近くまで言ってみることに。



ほんで到着。



岩の真ん前まで行って手で触れます(^^;) 遠景から見ると今にも細い岩が落っこちそうですが、実際は岩の根本が地面にしっかりくっついています。

こちらはケーブルに乗っている時に目撃した普楽寺。



「もう上空から全景を見ちゃったから、ここには行かなくていいや」と思っていたのですが、ホテルに戻った後でガイドなどを確認すると、この北京天壇を模した建物の中に巨大な歓喜仏があることが判明。これを見逃したのが今回の旅の最大の心残りです……
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夏の河北6日間 承徳・綺望楼賓館

2009年08月27日 | 旅行・オフ会・展覧会
3日目に回った外八廟を取り上げる前に、承徳で泊まったホテル「綺望楼賓館」について紹介しておきます。

そもそもここに泊まることにしたのは、ネットで宿を探した時に予約が空いている中でここがほどほどに立地条件が良く、部屋代が安かったからという即物的な理由によるもの。地図で場所を確認すると避暑山荘の真ん前にあるような感じでしたが、実際は避暑山荘の中にありました(^^;) 



で、ここが入り口。避暑山荘を取り囲む城壁に門口が穿たれており、山荘内部にホテルの敷地が広がってます。そもそもこの「綺望楼」というのは前回紹介した避暑山荘の「乾隆三十六景」の1つに数えられており、普通のホテルではなく河北省の接待所とのこと。だから立地の割には宿泊代が安いんですね。

中は四合院形式となっており、建物が複数あってしかも敷地がムダに広いので、慣れるまでどの建物に自分の部屋があるのかよく分からず、迷いまくります(^^;) 下は私の泊まっていた建物。



で、その広い中庭に……



ウサギちゃんがおり……



孔雀もいます(^^;) それぞれ1羽だけでなく複数羽います。それと明け方に鶏の鳴き声がしたので、どこかに鶏小屋もある模様。この様子だと山荘内の鹿が紛れ込んでいてもおかしくないような気がします。で、更に……



なぜか敷地の片隅にパオもあります。案内によるとここでバーベキューができるそうですが……

こういう一風変わったホテルなので、宿泊客も夜中まで中庭で椅子に座ってだべってたり、散策して写真を撮ったり、あるいは敷地内で迷ってウロチョロしてたりするわけです(^^;)

あと変わっていると言えば宿泊代の支払い。中国のホテルでは一般的にチェックインの時に宿泊代とデポジットをまとめて支払うというシステムになっているのですが、(デポジットは大体1泊分の宿泊代程度の金額で、特に何も無ければチェックアウト時に返金されます。)このホテルでは宿泊代はチェックアウトの時に後払いするようになってました。おまけにデポジットの支払いも無し。その代わりネットでの予約時に無断キャンセルした時のためにクレジットカードの番号の通知を要求されたのですが……

おまけ。承徳の街の広場で見つけた康熙帝像。

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明日いきなり

2009年08月27日 | 留学
さっき同学から「明日の午後博士課程の演習をやることになったから」という連絡がありました。9月7日から授業開始じゃなかったのかよ(ノД`) まあ、指導教授は忙しい人なので、やれる時に講義をやるということなんでしょうけど……
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夏の河北6日間 承徳・避暑山荘

2009年08月26日 | 旅行・オフ会・展覧会
ということで河北旅行記本題です。

8月20日~25日までの旅行ですが、20日は北京で本を買ってただけなので特にはかばかしいこともなし。21日の早朝に北京駅で快速列車に乗り込み、正午前後に避暑山荘へ。



上の写真は正門にあたる麗正門。避暑山荘の敷地全体がぐるっと壁で覆われていて、所々にこういう門があります。麗正門をくぐるとまずは宮殿区へ。



上の写真は宮殿区の入り口の内午門。ここは夏の間清朝皇帝が政務を執ったりした場所で、宮殿区全体が「避暑山荘博物館」という扱いになってます。で、宮殿区を抜けると……



湖景あり、



平原あり、(写真のパオは、当時避暑山荘にやって来たモンゴルの王侯がこのあたり一帯で宿営したということらしい。)



山景ありという、広大なワンダーランドが展開しているのでありました(^^;)

話は変わりますが、私が専攻している西周金文に出て来る地名に「方京辟雍」というのがありまして、(「方京」の「方」字は本当はもっとややこしい字ですが、取り敢えずこれで代用しておきます。)そこでは祭祀儀礼や政務のための宮殿があったり、王侯貴族が湖池に舟を浮かべて漁をしたり、はたまた鹿や狐、虎(!)を狩ったりしているわけですが、イメージ的にこの方京辟雍がどうも避暑山荘によく似ているのではないかと思うわけです。

ただ、避暑山荘内では狩猟は行われなかったようですが、(承徳市の北にある「木蘭囲場」が御狩場にあたるらしい。)敷地内にはお誂え向きに鹿がうろついてます。



奈良の鹿と同じように、餌をあげるとお辞儀します(笑)

で、実は現在その「方京辟雍」に関する論文の準備に取りかかっており、今回はその取材のためにここにやって来たのであります…… すんません、半分ウソです。ホントは単に避暑山荘が見たかっただけなんです(^^;) でも論文の準備をしているのは本当です。

ちなみに敷地内には「康熙三十六景」・「乾隆三十六景」なるものが設定されており、該当の場所には案内の石碑が建ってます。例えば2つ上の写真のパオがあるあたりは乾隆三十六景の1つ「万樹園」。ただ、数が多い上に敷地内が広すぎてとても全ては回りきれません。景品付きでスタンプラリーとかやってみると面白いかもしれませんが(^^;)



こちらは承徳の古名「熱河」の由来となった熱河泉。山荘内の湖水の水源の1つであり、冬になっても結氷しないのでこの名が着けられたという説明書きがありました。

そして避暑山荘内の建築物で忘れてはならないのが、『四庫全書』の7部の正本のうち1つが収められていた文津閣。(文津閣本『四庫全書』は現在は北京図書館に収蔵。)



寧波の蔵書楼として名高い范氏の天一閣の形式にならったとのこと。このように山荘内の建築物の多くが江南の名勝を模しているということです。
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今学期の講義と七夕

2009年08月26日 | 留学
本日学科の事務室で今学期の時間割表をゲットして来ました。

開講科目は昨年度と同じですが、修士課程の科目については諸事情により講師が交替しているので、今学期も出席してみますか。しかし先秦史など他の専攻の科目も出てみようと思ったら、前学期と比べて科目数が少ない上に専門の古文字の科目と時間が被ってます…… 前期は必修科目の語学が週3回(1回につき3時間で、英語・日本語・ロシア語から選択。)入っているので、専門科目はそんなにたくさん開講できないということなんでしょうか。

ちなみに大学院は9月7日から授業開始とのこと。あと10日以上先やん……

で、今日は旧暦で七夕にあたるということで、テレビでも何やら取り上げられてます。日本とは違って旧暦でお祝いするのねと思ったのですが、よくよく考えたら伝統的なお祭りなので、旧暦に合わせてやる方が理屈に合ってるんですね。
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北京より帰還

2009年08月25日 | 留学
というわけで北京から戻って来ました!北京~河北では連日晴天で暑い日が続いてましたが、やっぱりそれと比べると長春は涼しいですね。で、旅行記の方はまた明日以降ということにして、今日は北京の雑感などをつれづれと。

○北京の地下鉄では車両ごとに「8月×日 消毒済み」というステッカーが。
日本でははや警戒感が薄れてきた感のあるH1N1ですが、北京ではまだまだバリバリ過敏に反応してます…… あと、毎回北京に来るたびに思うのですが、北京の地下鉄の雰囲気は大阪のそれにそっくりで郷愁を覚えます(^^;) 車内でみんな大声で喋っているところとか、平気で携帯で話しているところとか、下りる人優先じゃないところとか。

○アーロン・クォック主演の清末映画『白銀帝国』は8月21日より上映開始。
しかし残念ながらDVDはまだ売り出されてませんでした。長春で発売を待つしか無いようです。

○地下鉄宣武門駅では国慶節の4号線開通に向けて新しい入り口を鋭意工事中。
4号線が開通すると宣武門から中関村や北京大学、円明園に電車一本で行けるようになるとのこと。今回は海澱(海淀)の本屋街まで2号線→13号線→10号線を経由して蘇州街駅から歩いて行ってみましたが、西直門駅での2号線~13号線の乗り換えが尋常じゃなく面倒臭い……

○今回結局北京では観光してない。
ピカピカにされてしまった孔子廟とか見たかったんですけどね。またの機会を待つとします……

以下は今回買った音像品。書籍についてはまたいずれ……

○アニメ『三国演義』
またそのうち見逃した回をこれでチェックしておきます。

○『侠骨丹心』
梁羽生原作武侠ドラマ。以前『少年楊家将』のUS版DVDを買った時におまけでこの作品のオープニングが付いていたのですが、これが曲・映像ともにムダに格好いい(^^;) それ以来気になっていた作品です。

○『大宋提刑官』
『洗冤録』のドラマ版で、数年前に大ヒットした作品。これは以前テレビで再放送を見て気になっていました。

○CD『射英雄伝』
李亜鵬主演『射英雄伝』のOP・ED曲が収録されているということで即買い。あと、梁朝偉主演『倚天屠龍記』のOP曲『剣伴誰在』が収録されているのもポイントが高い(^^;) この曲は個人的にTVBの80年代金庸ドラマの主題歌の中でも最も格好いいと思います。
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秦皇島

2009年08月24日 | 留学
北京から日帰りで秦皇島に行って来ました。山海関と老龍島、秦皇求仙入海島(始皇帝が巡幸した碣石の跡という説があるらしい)を観光。山海関は昔の街跡が影視城化していてワロタ(^^;) なんつーか、そこまで整備しなくていいんですよ?

で、明日長春に戻ります。
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