遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

こおろぎ

2021-09-10 16:17:49 | 日記

令和3年9月10日(金)

蟋 蟀 : こおろぎ、ちちろ、つづれさせ

今朝、新聞を取りに玄関を開けるとコオロギの声が、、、

3,4日前から虫の声を聞いた人は居たのだが、実際耳に

するのは初めてである。

久しぶりの快晴の朝、食事の後で早速公園を覗いて見る。

未だ残暑は厳しいが、朝晩はTシャツ1枚では肌寒い。

草叢を探していると、木陰の草叢の中に一匹見つけた、、、

「何コオロギだろう、、。暫く探し歩くが見つからない、、

家に帰り、図鑑を眺めるが、、、、名前はよく判らない、、

秋の虫の中で、普段最も目にするのはコオロギで、畑や草叢

さらには家の中にも入ってきてよく鳴いている。

秋が深まって虫の声が絶えるようになっても蟋蟀は鳴き残る。

「夕月夜心もしのに白露の置くこの庭に蟋蟀の鳴くも」

(湯原 王)のように、万葉集には蟋蟀が多く詠まれて居り、

この時代には秋の虫の総称のように親しまれた。

リーリーリーと鳴き、それが「衣の綴(つづ)れを刺せ」と、

秋めく思いに聞き取れるので「つづれさせ」ともいわれる。

蟋蟀は種類が多い、

「おかめ蟋蟀」は15mm程に小さく「リ、リ、リ」と声も

小さい。

「三角蟋蟀」というのは、雄の頭が三角形に突起しているので

そう呼ばれ「キチキチキチ」と鳴く。

「閻魔蟋蟀」は日本で一番大きいが見かけによらず淋しい声で

「コロコロコロ」と鳴くようだ。

「綴れ刺蟋蟀」は、好んで暗い所に棲み、家の中等何処にも入

り込み鳴いている。 我々に最も馴染深く、昔はキリギリスと

混同されたようだ。「リーリーリー」と親しみのある鳴き声で

あり、コオロギの鳴き声はこれに代表される。

亦、「邯鄲」(かんたん)と呼ばれる虫はコオロギの一種で、1.5cm程

の体長で細長いがその触角は体調の3倍もある。薄黄緑色をしており、その

鳴き声は「ル、ル、ル、ル」と美しく、情の籠った鳴き声に俳諧では、

別の季題とする、人気もの。

 

 

今日の1句

眠られぬ儘こおろぎの終夜(よもすがら)   ヤギ爺


重 陽

2021-09-09 16:32:41 | 日記

令和3年9月9日(木)

重 陽 : 菊の節供

陰暦の九月九日の節供のこと。元は中国の行事。

九は陽数で、九を重ねることから「重陽」「重九」という。

菊を特にこの日の花として「菊の節供」「菊の日」等という。

今日の菊」はこの日の菊。この日に長寿を願って飲む酒を

「菊の酒」という。

正月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、

七月七日(七夕)そして九月九日(重陽)を五節句という。

宮中では「重陽の宴」が催され、臣下に「菊の酒」を賜った。

民間では九月の九日は別の意味が考えられて、東北地方では

9月9日、19日、29日を「三九の日」(さんくのひ)、

中部地方では「三九日」(さんくんち)といい、それぞれに

農事に関わる祝いが行われた。その三度の九の日を秋田地方

では「刈上の節供」といい、また「みくにち節供」といって

茄子を食べる地方もある。

九日は重陽によるものとも、供日を九日充てたともいわれる。

 

江戸時代、諸大名が重陽の節供に長寿を願い、9月9日に登

城し、祝儀を菊の酒で祝う様になった。その習慣は後に庶民

に広まった。農村では秋祭りと結び付けられ、この習慣が定

着していった。然し江戸の庶民の間には余り定着しなかった

様である。

現在では、一部の料亭などで食用菊を盃に浮かせた菊酒が客

に供される所も在る様だ。

 

京都の嵐山の中腹に在る「法輪寺」では、毎年9月9日の重

陽の日に法要が催され、菊酒を飲み厄払いをする他に、綿に

のせた菊の花から降りた「露」で身体を拭うと長寿になると

される「菊の被綿」(きくのきせわた)という習慣が在る。

嵐山、法輪寺の重陽の節供

 

朝方の雨も午後には上がる。今日は検診日で診療所へ行く。

日差しが強く、午後から気温も上がり始めた、、、、。

診療所は私同様に、暇を持て余すご老人が多く、、、、

互いに「久しぶり、元気だった、、?」と確かめ合う。

(診療所で、互いに元気かは何だか変だが、挨拶だ。)

帰宅すると、カミさんが「栗きんとん買って来た、、」

早速、コーヒーを、(これも変な取り合わせか、)

夜は栗ご飯にしよう、、、、、、、

 

今日の1句

菊日和長寿確かむ診療所   ヤギ爺


ロバのパン屋

2021-09-08 15:49:23 | 日記

令和3年9月8日(水)

ロバのパン屋さんがやって来た、

昨日の午後、「ロバのパン屋さん」がやって来た!

懐かしい、メロデイが聞こえてきます、、、、

 

ロバのおじさん チンカラリン

チンカラリンロン やってくる

ジャムパン  ロールパン

出来立て 焼きたて いかがです

チョコレートパンも アンパンも

なんでもあります チンカラリン

 

懐かしいメロデイに、、早速かみさんが慌てて出て行った。

ベランダから見下ろすと、白と赤のツートンカラーのバン

がやって来た。

運転しているのは女性で、一人で移動販売している様だ。

「ロバのパン」は、株式会社「ビタミン連鎖店本部」という、

京都市に本店を置く、蒸しパンの行商を行うチェーン店。

岐阜市に在る「一恵庵ロバのパン工房」で製造販売している。

ロバのパンの創業者の桑原貞吉さんは、岐阜県揖斐川町の出身

で、戦後京都に本部を置き、全国に販売店を広げた。

その後、道路が舗装され車が普及し出して、荷馬車での営業は

困難となり、昭和の時代が終わる頃に終了、、、姿を消した。

地元から「ロバのパンをもう一度食べたい」と愛着の声が上が

り、車(バン)での移動販売が10年程前から復活した。

最近では、名古屋市内のオフィス街や、イベント会場からの声

もかかり、、、コロナ過の今、買う方も増えている様だ。

早速、食べて見たが懐かしい味(蒸しパン)はそのままの様だ。

アンパン、カスタード、クリーム、チョコレート、様々な工夫

を凝らした新製品もある様だ、、、、、

我々には、あの懐かしいメロデイと、蒸しパンは昭和そのもの

である。

(この辺りは半年に一度くらいとか、頻度を増やして、、、)

 

今日の1句

爽やかや昭和の残るロバのパン   ヤギ爺


白 露

2021-09-07 16:29:38 | 日記

令和3年9月7日(火)

白 露

二十四節気の一つで、太陽の黄経が165度に達した時。

処暑のあと十五日目、陽暦では9月7日頃をさす。

露が繁くなるところから来た名前であり、秋が次第に深まって

きた感じがする。

草の上に降りた朝露が、朝の空気の中で白く見える時期。

白露は江戸時代に発行された「暦便覧」に記述された、

「陰気やうやく重なりて露こごりて白色となれば也」という

言葉が在る。

 

暑さがようやく寒さ(陰気)と入れ替わり、気温が下がる事

で、草や地際に朝露が出来、朝靄の中で朝露が白く輝くという

意味である。

露は空気中の水蒸気が集まって気体から液体へと変化した物。

これ以上、水分が気体として留まる事が出来ない温度まで下が

った時、気体が在った空気中の水分は液体へと変わる。

よく晴れた昼間に太陽の熱で地表の温度が上昇し、雲のない夜

に地表からの熱を放射し温度が下がる。翌朝には露が発生し易

くなる。 朝露は晴天の日が多い。

今朝は久しぶりの晴天となり、公園を散歩していると雨が降ら

ないのに靴が濡れている、、、、、

草叢をよく眺めて見ると、朝露が草の表面で朝日を浴びて光り

輝いている。   白露の日に相応しい日となった、、、、

 

今日の1句

白露の日久方ぶりの陽を仰ぐ     ヤギ爺


パラリンピック閉幕

2021-09-06 16:21:27 | 日記

令和3年9月6日(月)

東京パラリンピック閉幕

第十六回夏季パラリンピック東京大会は、13日間の熱戦に

昨夜(9月5日)、幕を降ろした。

新型コロナウイルスの影響で一年間の延期、緊急事態宣言下

で、無観客の中でパラリンピックは開催された。

世界から162カ国と難民選手団を含め4400人が参加した。

政情不安の在るアフガニスタンからも、複数の国の支援のもと

参加、出場を果たした。

今回の閉会式には、各国の選手団はあらかじめフィールド内に

待機(椅子席)し、各国の国旗(旗手の選手)のみが入場行進

してくる。

難民選手団は、パラリンピック大会旗で入場した。

入場した際に、「東京スカイツリー」の模型に磁器製の鏡を

銘々取付け、、、やがてスカイツリーが中央に建つ。

閉会式に先立って、今大会参加したアスリート達の名場面が

スクリーンに流された。

音楽ショーが始まる、

東京の街角を模した舞台に、様々な人々のダンスが披露される。

ブレークダンス、ヒップホップ往年のジルバ、クラシックに

ヘッドスピンの名手が中央に、、、それぞれ自慢のステップ、

車椅子ダンサーや障害を持つ人達も参加している、、、、、

秋篠宮様がアンドリュー・パーソンズ会長と共に臨席される。

国旗掲揚は、日の丸を6人のパラアスリート等が手に入場、

国歌は、「こどもの城合唱団」(世代、国籍、障害の有無等

様々な子供達)が合唱した。

地球上には様々な障害を持つ人が、全人口の15%を占める

と言われている。(災害、事故、戦争による犠牲者が多い)

映像には、「特別扱いされるのは好きじゃない。私達は当た

り前の存在としてみんなが思えたら壁は無くなる」と訴える。

次に、パラリンピックを切っ掛けに多様性を尊重する社会作り

に貢献した選手や大会ボランテアへの表彰が行われた。

盲導犬と伴に参加した車椅子のボランテアの方に感銘を受けた。

後半のショータイムでは「調和と不協和音、」様々に食い違う

都会で、垣根を超え集まった人達のダンスショー、、、、

一つ一つは「バラバラ」だが、なぜか調和を見せる、、、、、

 

パラリンピック旗が降ろされ、次の開催都市のパリへ引き継ぐ

小池東京都知事からパーソンズ会長へ、そしてパリのイダルゴ

市長へと大会旗が渡された、、、、、、、。

 

 

東京大会組織委員長の橋本聖子氏は「大会に携わった、全ての

方々に感謝申し上げます。オリンピック、パラリンピックが在

って良かった。私はその価値を信じます、、、、、、、。」

アンドリュー・パーソンズ会長は「日本が好きです、有難う。

東京大会は世界に自信や喜び、希望を与えました。 これが

出来たのは世界中の人々を受入れ、アスリートにこの場と機会

を与えてくれた日本のお陰です。、、、、、、、」

 

この大会には賛否両論、様々な意見が在るが、私(ヤギ爺)は

本当にやって良かったと思っています(当初は反対も、、)

選手等の懸命な姿、ボランテアの方達のお世話する、ひたむき

さ、競技の終わった後の国境を越えた笑顔のエール交換、、

どれを見ても喜びと感動に、、、(時にもらい泣く)

世の中、棄てたもんじゃない、、、、、、

 

さあ、次回はパリで会いましょう、、、、

パリ、シャンゼリゼ大通り、(メダリスト達が有難うと、、、)

 

今日の1句(俳人の名句)

ほどけゆく一塊の雲秋の空   高濱 虚子