写真川平愛撮影 毎日新聞デジタルより引用
過去の悲惨な思いを伝えていく広島市民 70年前も暑い日だったそうだ
こどもたちの訴えは毎年心に響く こども代表平和への誓い全文
昨年の8月20日 土砂災害に巻き込まれ、大切な仲間の一人を失いました
今まで、当たり前のように一緒に過ごしていた仲間が 突然いなくなるという悲しみを知りました
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分
照りつける太陽の下 一発の原子爆弾が 建物 自然 そして たくさんの人々の大切な命を奪いました
この日のことを経験していない私たちですが 大切な人を失う悲しみは 想像することができます
あの日から70年 今の広島は 色とりどりの花が咲き 緑豊かで みんな笑顔で過ごすことのできる素敵(すてき)な街です
この街で 今 私たちは 平和への思いを感じています 平和を考えるきっかけは 身近なところにあります
平和記念公園で見たたくさんの折り鶴 広島平和記念資料館を訪れて知った原子爆弾による被害の事実
悲しみ 苦しみとともに 平和への強い思いが込められた被爆体験者の話
そして 私たちこども代表による「平和への誓い」
祖父母たちが この70年間ヒロシマを生き抜いて 私たちに命をつないでくれました
私たちは 今まで受け継がれてきた命と平和への思いを受け止め 考え
自分たちにできることから 「小さな平和」をつくろうとしています
もう一度 身近な友達 世代の違う人々 様々な国や地域に住む人々と 平和について共に考えてみませんか
広島に育つ私たちは 事実を 被爆者の思いや願いを 過去 現在 未来へと
私たちの平和への思いとともにつないでいく一人となることを誓います
平成27年(2015年)8月6日 こども代表
広島市立白島(はくしま)小学校6年 桑原悠露(ゆうろ)広島市立矢野南小学校6年 細川友花(ゆか)
私の父は長崎に原爆が落ちた時、佐世保に居たそうです
小学校5年生だったそうです
ピカッと光るのを見たのだとか・・・
育ち盛りに食べる物もろくに食べれなかったようで157cmと小柄です
現在84かな?身長が5cm位縮んだらしく小っちゃくなってしまいました
戦争を体験した人たちは、もうじきこの世から居なくなってしまいますね・・・
沖縄だって遊びに行く人は多いけど南の戦地に行く人は少ないし、日本人がたくさん亡くなった外国の戦地でも何も知らないのか平気でピースして記念写真撮ってたり。
被爆者のテレビ映る画面は正視できない物があります。
勝っても負けても負荷を免れない「戦争」は御免です。
近頃思うことにノーベル平和賞、時の総理ではなく
広島、長崎の県民の皆様が頂くべきものだったと。
↓日本の家屋は、畳、障子、塗り壁と住み続けるにはお 金がかかりますね。
こんな小さい子が心を痛めているのです。
風習があるのですね。
平和 を受け継ぐことの大切さを改めて感じる
8月です。