東日本大震災から3年目 大槌保育園の園長八木澤さんの話が絵本になった
地震発生時保育園は昼寝の時間だった こどもたちと先生は高台に避難した
お迎えにきた家族と一緒に60人が帰ったその高台も危なくなってきた
さらに上にと 道のない山の中をおんぶして40人がはいのぼった
家族が迎えに来て引き渡したこどもの9人が家に向かう途中波にのまれた
それから3カ月後に保育園はプレハブの園舎がたてられ再開した
仲間をなくしたこどもたちも半年間その寂しさを口には出さなかった
が ある日一人のこどもが いなくなったともだちに会いたいと泣き出した
みなも泣き出した かけつけた 先生も泣いた
あれから2年5か月が経ち保育園ももとどうりにきれいになった
小学2年生になったなかまも集まった
はじめ笑っていたいたこどもたちが泣きだした
以下絵本「あの日」文章引用
さいしょに まきちゃんが なきだして
けいちゃんも しんくんも なきだして
たつやくんも けいたくんも さやかちゃんも なおちゃんも
みんな みんな ないてしまった
ないて ないて
またないて
でも それで いいんだよって
えんちょうせんせいは おもった
おもいだしたほうがいい
くちにだしたほうがいい
こわかったこと
つらかったこと
そして
いっぱい いっぱい ないて
ないたぶんだけ
なんどでも なんどでも
いいきかせればいいのだから
「オレたちがないていたら
てんごくのおともだちも なくんだよ
おれたちがわらってると
てんごくのおともだちも わらうんだよ」
八木澤弓美子園長はあとがきに記載している
あの日・・ 普通の ごく当たり前の生活をしていた私たち・・
あんなに多くの人や家 数々の想い出を失うならば
あの時もっと抱きしめていれば良かった・・離さなければ良かった・・
ちゃんと笑っていれば・・ ちゃんと・・
想いは尽きないけどみんな「生きる」と決めたから
「前を向く」と決めたから 「一緒に生きていく」と決めた
大槌保育園には私も子供達の夕涼み会のボランティアで行ってきました。小さい心に残った心の傷を少しでも癒してあげたい一心でお手伝いしてきました。
この子達が大きくなったとき、命の大切さを伝えて行ってくれたらと思ってます。
こども心にも触れてはいけない事の分別があったんですね
でも時が経ち その気持ちも変わってきていると感じました
絵本の内容とhanaさんのこの間のブログ記事が一致したように思い載せました
現地にいなければわからない苦しみも多いかと思います
それをぜひhanaさんが伝えてください
伝えてどうとるかは自由ですが 一人でもわかてくれる人がいれば成功です