伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

一般に平均律と呼ばれる、「適正律クラヴィーア曲集」とあえて言われる武久源造(チェンバロ、フォルテピアノ)を考察する

2022年04月03日 | バロック音楽・オーディオ一般


筆者の使うパワーアンプはADVANCE M-501 300B ステレオ 真空管 パワーアンプ はSUNVALLEY SV-501SE 300Bの原型モデル 名です、 6AN8の良いものの入手が悪いので、SUNVALLEYに移り6BM8に変更して安定な音質と聞いたような気がします、ご存じ6BM8は当時はまだテレビがブラウン管時代に音声出力管として多用していた球で未だ未使用の中古品として販売する様です。

先日久しぶりにヤフオクを見ると日立製の6BM8の未使用の新品(当然ビニールカバーは開封してません)が掲載されている、この真空管はTVのブラウン管時代まで頻繁に出力管として使っていた為か、国産品の在庫も多い様に思う、しかし最近は真空管ブームか?6BM8は出力管でも使えため汎用性が高く、意外と人気のある球でもあり価格高騰で当時の正価と比べ最低10倍以上の金額である、一般的に東芝、松下製品は多いが、日立製は意外と珍品で自分への在庫が欲しくあえて競り落として見た。

6BM8出力管はドイツ製、オランダ製、米国製と夫々所持するが今迄日立製を超える球は無かった、肝心の3OOBを変えれば違う球が必要になるのかも知れない、此のあたりが真空管アンプの幅広さか、面白さが魅力的な点とも思える。

300Bも此のアンプにはナス型が相性が良いと言われるが、一度購入を考えようと思っている。早速到着後開封した写真である、勿論視聴したが暫く経過すれば良い音が聴こえるであろう。



到着し早速開封して足部分の清掃をして火を入れる、略一週間経過し音質も安定したのでジックリ試聴する、筆者の持参するこのアンプを仕様する方の意見は松下管使用を進めるが、筆者のには微妙なニュアンスで勝る日立管(正価と称して四百五十円の表示が明記される)が音は良い塩梅に聴こえた。
勿論海外のメーカーから国産まで取り揃えたがこの球は断然国産品が優れている様に思う。

勿論真空管取扱説明書が入っていた。勿論この球でパワーアンプ製作可能ということです。



プリアンプはスタイルはチープなそれに伴う支那AiyimaT7のプリアンプは音質が安定し、独特のアメリカンクラッシックと思える独自のスタイルが筆者の好みのパワーアンプSV-501SEとも相性は良く、スピーカーケーブルも最近知った英国製QEDのProfile42 Strandもエージングもこなれ大変聴きやすい音になり三位一体となったと満足している。
兎に角オールドタンノイとの相性は抜群で、筆者が個人的に感じたことは音質のバランスが良くなると若干ボリュームを上げたくなる様である。

今までの体験によるともう少しボリュームを上げたいと思うときは、実は大変バランスが整った状態の時に起きる現象の様である。



じっくり眺めると久々にこの体験をした。何故、今300Bの真空管というのは、確かに存在感は最右翼であり音ばかりではなくその佇まい、雰囲気、オーラみたいなものなのでしょう。古き良き時代が味わうことができるタイムトンネルかもしれない。

ただ現在パワーアンプを置いてある隙間は簡便なインシュレーターを施し音のハウリング防止をしているが、余りよい方法では無いと思う。
ベストはWELLFLOATを使用すれば最善ではあろうが、アンプは相当重量もありサイズも大きく実に高額で貧困老人には無理である、以前ブログで紹介した大型スピーカーの厚みのあるエラストマーゲルの上に集積材の板を載せて仕上がる簡便な方法をう、早速ホームセンターにて購入し500×420mmにカットした頂き、木端にペーパーをかけ仕上げた板材を乗せ完成です。



上記が完成写真であり、勿論サブ機のLUXKIT A3500のパワーアンプも今回製作ボードの上に乗り安定したようである。

早速試聴すると、以前より音楽全体がスッキリした感じに聴こえる、特に少し低音がダブつき気味な所は今は無くなりあくまで自然な低音が鳴った様に感じる、特にジャズのベースのブーミー音などはインシュレーター効果は大であった。すべに言える事だが基本に忠実にしっかり対応しないと効果が少ない無いことがよくわかった。

今日は珍しく買い物から帰ったと言って菓子を渡された、ウクライナ産のクッキーでした、コーヒーには合う様です、ニュースはウクライナの事ばかりで一刻も早い平和が訪れることを祈るばかりである。



最近筆者の目に止まることは、日本人演奏者が気になります出している、何気なく本屋さんで立ち読みしていると、鍵盤楽器奏者、武久 源造さんと言われる一度聴きたくなりiTunesのリストで調べる、思った事と一致し、今までの作品もJ.S.バッハ作品間多く、造形も深い感じで早速聴くことにした。試聴したのはロンドンを拠点する市瀬礼子さんとの共演作品、今やイギリス古楽界の第一人者。

独自の視点でバッハを追求する武久との顔合わせは、バッハを愛する心が共鳴するような演奏を生み出した。武久によるジャーマン・チェンバロとジルバーマン・ピアノの使い分けは、この名曲に新たな光を当てることにもなった。バッハの錬金術Vol.1ヴィオラ・ダ・ガンバと鍵盤楽器のためのソナタ全曲/二つのトッカータを聴く、ジャーマン・チェンバロとジルバーマン・ピアノを厳選し奏でる武久源造。異色の顔合わせがここに実現し、バッハ演奏にさらなる新風を巻き起こす様に感じる。



武久源造 957年、愛媛県松山市生まれの鍵盤楽器奏者。チェンバロを小林道夫、鍋島元子に、オルガンを秋元道雄、月岡正暁に師事。東京芸術大学大学院で服部幸三のもと、16・17世紀の西洋音楽における音楽修辞学について研究する。1984年から国内外で演奏活動を開始。

チェンバロ、オルガン、ピアノなど各種鍵盤楽器を駆使して、中世から現代まで幅広いレパートリーを持つ。1986年より作曲、編曲などを発表、好評を得る。また、1991年アトランタ国際チェンバロ製作家コンテスト、1997年古楽コンクールでは審査員を務める。1991年以降は数々のCDをリリース。中でもシリーズ『鍵盤楽器の領域Vol.1~4』、J.S.バッハ『オルガン曲集Vol. 1』などが話題になっている。

2000年には気鋭の若手古楽器奏者に呼びかけ、コンヴェルスム・ムジクムを結成し、多彩な活動を展開している。



バッハの時代、鍵盤楽器といえばオルガンかチェンバロでした。

チェンバロとピアノは形がよく似ていて、どちらも鍵盤を指で押さえて演奏します。見た目に大きな違いはありませんが、性能にはさまざまな違いがあります。例えば、チェンバロは、爪で弾くことで弦を振動させて音を出す「撥弦楽器」ですが、ピアノはハンマーで叩いて弦を振動させ音を出す「打弦楽器」であること。また、チェンバロは音の強弱をつけることができません。ピアノは、強い音も弱い音も出すことができ、音を持続させるペダルもあります。

現在のピアノの原型を作ったといわれているのは、バッハと同じ時代のイタリアの楽器制作家であるクリストフォリ(バルトロメオ・クリストフォリ 1655-1731)です。クリストフォリは、爪で弦を弾いて音を鳴らすチェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思い、ハンマー仕掛けで弦を打って音を鳴らす現在のピアノ・メカニズムを1700年代頃に発明したといわれています。

発明当初クリストフォリは、このメカニズムを備えた楽器のことを「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(イタリア語で、弱音も強音も出せるチェンバロ)」と名付けました。ピアノの誕生です。この頃までのピアノは現在のピアノと区別して「フォルテピアノ」と呼ばれています。



そして19世紀後半になると、ほとんどピアノの曲だけを書いたショパンや、「ピアノリサイタル」を最初に開いたといわれるリストといったピアニストらが活躍し、オーケストラに匹敵する楽器としてピアノはその表現力を磨かれていきます。こうして現在のピアノの形が出来上がったのは19世紀末ですが、今でも細部の改良や新しい技術の研究が続いています。

以前にも紹介したが「Chantal Stiglianiの調律されたキーボード」と言い換えて発表したフランスのピアニスト、コンサート奏者の演奏は大変良かった。

後は筆者が好きな平均律演奏者はピアノ演奏でのイリーナ・メジューエワ、チェンバロ演奏でのボブ・ファン・アスペレンなど揚げたらキリがないが、今回紹介する武久源造(チェンバロ、フォルテピアノ)演奏は実に興味深い。



早速筆者の好みのものを購入する。もちろん平均律が興味あり、「平均律」の名で呼ばれるこの作品を「適正律」と訳し、還暦を迎える武久が満を持しての全曲録音を始動。ペダル付チェンバロとジルバーマン・ピアノを自在に奏しバッハの真意に迫ります。『適正律』とバッハ演奏に対する、長年培ってきた考察の詳述とともに、新たな地平を開く画期的大作に思う。

このシリーズのJ.S.バッハは実に興味深く、楽しみでもある、全曲平均律の第1集〜第2集が混ざりそれも第1集はチェンバロ演奏で第2集フォルテピアノ演奏を同じアルバムに入れ一粒で二度美味しい状態のアルバムを4枚日して提供している。CD購入は緊縮財政のため少しずつ揃えていくことにする。

試聴すると平均律のフォルテピアノ演奏を聴くのいは初めてで興味津々で楽しむことができました。



平均律(適正律)クラヴィーア曲集 第1巻より第1番~第6番、第2巻より第1番~第6番 武久源造(チェンバロ、フォルテピアノ)
バッハ:「適正律」クラヴィーア曲集 第1集、第2集 第1番-第6番
武久源造(チェンバロ&フォルテピアノ)

J.S.バッハ:適正律クラヴィーア曲集 第1集より(チェンバロによる)
 第1番ハ長調 BWV.846(1. 前奏曲 Praeludium 2. フーガ Fuga)
 第2番ハ短調 BWV.847(3. 前奏曲 Praeludium 4. フーガ Fuga)
 第3番嬰ハ長調 BWV.848(5. 前奏曲 Praeludium 6. フーガ Fuga)
 第4番嬰ハ短調 BWV.849(7. 前奏曲 Praeludium 8. フーガ Fuga)
 第5番ニ長調 BWV.850(9. 前奏曲 Praeludium 10. フーガ Fuga)
 第6番ニ短調 BWV.851(11. 前奏曲 Praeludium 12. フーガ Fuga)

J.S.バッハ:適正律クラヴィーア曲集 第2集より(フォルテピアノによる)
 第6番ニ短調 BWV.875(13. 前奏曲 Praeludium 14. フーガ Fuga)
 第5番ニ長調 BWV.874(15. 前奏曲 Praeludium 16. フーガ Fuga)
 第4番嬰ハ短調 BWV.873(17. 前奏曲 Praeludium 18. フーガ Fuga)
 第3番嬰ハ長調 BWV.872(19. 前奏曲 Praeludium 20. フーガ Fuga)
 第2番ハ短調 BWV.871(21. 前奏曲 Praeludium 22. フーガ Fuga)
 第1番ハ長調 BWV.870(23. 前奏曲 Praeludium 24. フーガ Fuga)


J.S.バッハ:適正律クラヴィーア曲集 第1集より(フォルテピアノによる)
 第1番ハ長調 BWV.846(25. 前奏曲 Praeludium 26. フーガ Fuga)

武久源造(チェンバロ:1-12、フォルテピアノ:13-26)

【使用楽器】
チェンバロ:フィリップ・タイアー製作、1993年アメリカ・フロリダ州(モデル:クリスティアン・ツェル、1728年ハンブルク在)
フォルテピアノ:深町研太製作、2007年 日本・埼玉県(モデル:ゴットフリート・ジルバーマン、1747年ポツダム在)

 録音時期:2016年10月25-27日
 録音場所:神奈川県立相模湖交流センター
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)



なぜにチェンバロからフォルテピアノへと武久源造さんは解説しておられる
鍵盤の世界では、クラヴィコードが持て囃されるようになります。なにしろ、ク ラヴィコードでは、強弱の変化は自由自在です。特に小さい音の分野では無限とも言えるほどの自由があります。ただし、クラヴィコードはどうしても、フォルテに限界がありました。かたや、チェンバロは音量の加減が難しい。

そこで、工夫されたのがフォルテピアノだったのです。これを発明したバルトロメオ・クリストフォリが最初に目指したのは、だから、けっして音量の大きな楽器ではありませんでした。そのことは、現在忠実に復元されたクリストフォリ・ピアノ を弾いてみれば一目瞭然です。



その音はたいていのチェンバロよりも小さいのです。ただ音量の変化は自由に、しかも快適に付けられる。その点で実に優れた楽器でした。しかし、やはりフォルテには限界がありました。ピアノが発明されて50年間は、 この楽器に人気が無かったのも当然かも知れません。とても、クリストフォリの段階では、オーケストラと共演することは望めまなかったのです。しかし、これを何 とか、より豊かに鳴る楽器に改良する試みが不断に続けられました。この道のりは 大変険しく、紆余曲折が続きました。現在も進化し続けているのです。

最近問題山積にてブログ更新が頻繁である、若干疲れたので、以前のペースに戻します。

最近筆者の中での正月聴く音楽は定番化している、J.S.Bach:Orchestersuite, Ouvertüre「序曲」から聴く

2022年01月01日 | バロック音楽・オーディオ一般

今年も新しい年の始まりであります。

バージョン例年相変わらず年末大忙しの中で作った年賀状です。年賀状普通紙厚紙印刷は以前の新しいリコー複合機に変更して、操作が違いてこずりました、しかも年末にフォトショップ、イラストレーター共にバージョンアップため操作に手間取ったが、少し手こずったが無事プリントすることが出来ました。勿論Macのバージョン12.1とアップした。

今年も宜しくお願いいたします。

最近の筆者が正月恒例となっているJ.S.Bach:Orchestersuite, Ouvertüre「序曲」を聴く。比較的演奏の新しいアルバムを選びました。

勿論年の初めはTANNOY IIILZ in Cabinet mkII(IIILZ Monitor Gold)のユニットにGOODMANS AXIOM 80の箱に入れたエンクロージャーで試聴する。



ご存知の方も多いと思いますが、使用するTANNOY Monitor Gold III-LZ(1967年発売)Monitor Gold 15"/12"と同時に発売された10inch同軸型2ウェイスピーカーシステム。ネットワークが付属してユニットで単体で販売していました。1967年各ユニットの入力インピーダンスが16Ωから8Ωに変更された。形式名は15インチユニットがLSU/HF15G、12インチユニットがLSU/HF12Gであるが、ユニットの磁気回路カバーの色が金に変わったため「モニターゴールド」と通称された。以降火災に遭うまで製造は続きヴィンテージと言われるユニットである。IIILZ Monitor Goldを組み込んだブックシェルフ型スピーカーシステムが名機と言われたTANNOY IIILZ in Cabinet mkIIでした。

当時五味先生などがオリジナルに勝るものなしと言われたが、筆者は頑なにオリジナルで聴き続けたが、オペラ、オーケストラの演奏は不向きで聴く音楽も偏りがちになる、そして知ったことはGOODMANS AXIOM 80の箱に入れると良い音がすると言われ現在 AXIOM 80に入れて聴くがこれが実に良い塩梅で今に至る。

音質、ホール感等の試聴には「序曲」あたりのアンサンブルはまさに実に良いバランスで塩梅良く聴かせる音のツボは心得ているのである。
実にタンノイ大型に近い風貌の音で聴こえる、オリジナルIIILZでは想像出来ない音である感じはする、それでいて独特の弦艶がある鳴り方は絶品である。此のあたりは完成度の強いLS3/5aも比べようが無いようです。



ここで、バッハの作品は作曲順に付番されているのに対し、この番号はジャンルごとにまとめて番号が振られている。初版における番号付けは以下の通りであるので纏めてみました。 
 BWV 1-231 カンタータ、モテット
 BWV 232-243 ミサ
 BWV 244-249 オラトリオ
 BWV 250-524 コラール、歌曲
 BWV 525-771 オルガン曲
 BWV 772-994 オルガン以外の鍵盤楽器(チェンバロ、クラヴィコード)の曲
 BWV 995-1000 リュート曲
 BWV 1001-1040 室内楽
 BWV 1041-1065 協奏曲
 BWV 1066-1071 管弦楽曲
 BWV 1072-1080 ひとつの作品の中に異なる演奏形態の含まれている作品や演奏形態の指定のない作品
 BWV Anh. 1-189 補遺 (Anhang):散逸した作品や偽作など
上記のようにジャンル毎に纏っているため分かりやい。



ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)の『管弦楽組曲』は『ブランデンブルク協奏曲』と並ぶその代表的管弦楽作品の一つである。BWV1066から1069までの、独立した4組曲から成る。それぞれバリエーション豊かな4作品は当時の様々な舞曲や宮廷音楽の集大成であり、またフランス風序曲形式の一つの完成体を見ることができる。

またBWV 1066-1071 管弦楽曲と明記しているが、通常「管弦楽組曲」と呼ばれるJ.S.バッハのBWV.1066から1069までの4作品。バッハ自身はこれらの作品を「組曲」とは呼ばず「フランス風の序曲から始まる作品」と称していたとされます。近年の研究によると、作曲年代もこれまで想定されていた年代よりはるか以前のヴァイマール、及びケーテン時代の作品と推測されており、譜面に記されたトランペットやティンパニは、後年ライプツィヒで演奏するために追加された可能性も指摘されています。

自筆のスコアは散逸してしまいましたが、モルテンセンは研究結果が反映されたオリジナル・ヴァージョンで演奏、バッハがもともと意図したであろう、小規模なアンサンブルによる組曲として聴かせます。例えば特徴的な第3序曲(組曲)のトランペットとティンパニは省かれていますが、作品の美しさは全く損なわれていません。



正月は先ずはこの「序曲」バッハ:管弦楽組曲(序曲)オリジナル版デンマークを代表するラース・ウルリク・モーテンセン(Cemb)/バロック・アンサンブル、コンチェルト・コペンハーゲンによる演奏で楽しむことにした。

バッハ:管弦楽組曲(序曲)オリジナル版
 構成数 | 2枚
  ● 第1番ハ長調 BWV.1066
  ● 第2番ロ短調 BWV.1067
  ● 第3番ニ長調 BWV.1068
  ● 第4番ニ長調 BWV.1069

 コンチェルト・コペンハーゲン(古楽器使用)
 ラース・ウルリク・モルテンセン(指揮)

 録音時期:2019年11月20-24日
 録音場所:デンマーク、Garnisson Church, Copenhagen
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)



管弦楽組曲はJ.S.Bachがまとめての曲集として構想したものでは全くなく、様々な機会に作曲された作品集めた作品であり、ブランデンブルグ協奏曲や、無伴奏ヴァイオリン、無伴奏チェロ組曲とはそこらへんの成立事情・性格が大いに異なります。この4曲は様々な経緯(改作)を経て、おそらくいずれも最終的にライプツィヒ時代の演奏機会に現在伝えられる版に近づけられてきたことが、逆にその共通点と言えるので、全体としてのオリジナル版という呼び方は意味があまり大きくない。

個人的に好きな第3番ニ長調 BWV.1068はカンタータにも転用され、ティンパニーを加えた艶やかな仕上がりになっているとが特徴で管弦楽組曲(序曲)にはティンパニーの音は入っていない。勿論下記で紹介するブランデンブルク協奏曲もカンタータに転用されている事は有名である。



同メンバー演奏のバッハ:ブランデンブルク協奏曲全6曲もバランスよ良い演奏であった。

 構成数 | 2枚
【曲目】
 J.S.バッハ(1685-1750):ブランデンブルク協奏曲 第1番-第6番
【演奏】
 ラース・ウルリク・モルテンセン(チェンバロ&音楽監督)
 コンチェルト・コペンハーゲン(古楽器使用)
【録音】
 2017年2月6-11日
 Eslov kyrka, Sweden



コンチェルト・コペンハーゲンとモルテンセンによるバッハ・シリーズ。これまでにリリースされたバッハ後期の名作「ロ短調ミサ」は早めのテンポと優美に溶け合った少人数の合唱から生まれる闊達な演奏が、また協奏曲でも常に生き生きとした響きをもたらすアンサンブルが高く評価されています。2018年最新作は人気の高いブランデンブルク協奏曲。

今回紹介する「管弦楽組曲のオリジナル版」という録音は珍しかったし、自分も耳にするのは初めてです。確かに「序曲」違う演奏が発見できた。これはBWV 1067のフルート奏者新しい試みと伺える、これはBachファンでもめったに出会えない上質なもの。
Mortensen/Concerto Copenhagenは、演奏者を極力減らして純度の高い、それでいて全く中庸としか表現できない絶妙なバランスの演奏を実現させており、この4曲中では通常版と差が少ない第1番・第2番においてその魅力は絶大です。おそらく聴くものにとって最大のハードルとなるのは、最も高名な第3番で、この曲からはトランペットとティンパニがはずされており、ちょっと同じ曲と思えないほど。この3番の伝承資料の最古が1730年であることを考えれば、歴史的に当然のように伝えられてきた「ケーテン時代の作と思われる」と思います。
J.S.Bachの管弦楽組曲全集は、何気ない音楽のようでいて同時代はもちろん歴史的に凌駕するもののない傑作集と思います。
今回このメンバーによる演奏は新しいJ.S.Bachの演奏が垣間見えたように感じました。最近古楽器ブームなのであろうか古楽器演奏が多い。
今年もよろしくお願いします。ブラボー!

著名なチェンバリスト、学者、古楽のパイオニアであるラルフ・カークパトリック(Ralph Kirkpatric)について検証する

2021年12月29日 | バロック音楽・オーディオ一般

ラルフ・カークパトリック(チェンバロ、クラヴィコード奏者)(Ralph Kirkpatrick, 1911年6月10日 – 1984年4月13日)はアメリカ合衆国の音楽家・音楽学者。筆者が記憶するのは若い頃古楽専門レーベル『アルヒーフ』より販売されたバッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻BWV 870-893のレコードを思い出す。

カークパトリックの演奏を早速平均律から聴く、特に二集は音質も良く、音は昔聴いた懐かしいチェンバロの匂いの音が聴ける、当時はこの音こそ『アルヒーフ』の音と感じありがたがっていた。その後知ったランドフスカの演奏と比べ音質は随分向上したものである。
このシリーズの内容に注入されるモーツアルトのピアノ演奏も大変優れている、休みにじっくり味わえそうである。



アメリカの著名なチェンバリスト、クラビコード奏者、ピアニスト、音楽学者、教育学者であるラルフ(レナード)カークパトリックは、6歳のときに母親と一緒にピアノの勉強を始めま、1931年にハーバード大学で美術の学士号を取得しました。大学は1929年にチェンバリストを取得し、彼は楽器の演奏方法を学ぶ機会を与えられました。彼はそこでの研究中に、1930年5月にマサチューセッツ州ケンブリッジ(またはハーバードのペインホール)でハープシコーディストとして最初の公開デビューを果たしました。1933年1月、ラルフ・カークパトリックはベルリンでチェンバリストとしてヨーロッパデビューを果たし、JSバッハのゴルトベルク変奏曲(BWV 988)を演奏しました。)、今回購入したアルバムには若干ゆっくりテンポの1959年、1997年の録音があるが1959年度のものが個人的には好きである。

彼はまた、バーナード・ベレンソンのフィレンツェの別荘でのコンサートを含む、イタリアでいくつかのコンサートを行いました。1933-1934年に彼はザルツブルクモザルテウムで教えました。1937年、彼はグッゲンハイム奨学金を授与されました。



ヨーロッパにいる間、ラルフ・カークパトリックは、1930年代後半に始めたドメニコ・スカルラッティの生涯と作品について研究を続けました。彼はマドリッドに住むドメニコ・スカルラッティの子孫を発見し、彼らは彼に貴重な情報源を提供しました。12年間の研究は、1953年に出版されたカークパトリックの絶賛されたスカルラッティの伝記で最高潮に達しました。この本では、彼はスカルラッティのキーボードソナタもカタログ化しました。1965年に彼は完全な教授になり、1976年までジョナサンエドワーズ大学のフェローとしてエール大学に留まりました。カークパトリックの学歴の最終段階は、カリフォルニア大学バークレー校で最初のエルネストブロッホ音楽教授として過ごしました。



渡欧の最大の目的は、当時チェンバロ界で圧倒的な名声を誇っていたワンダ・ランドフスカ[1879−1959]の教えを受けることでした。ランドフスカの演奏はゴルトベルク変奏曲、イタリア協奏曲、平均律等が収録されているが群を抜いて面白く退屈しない。装飾音の入れ方や種類、間の取り方が絶妙なのだと思う。装飾音の演奏についてはこの内容に詳しく説明されているので参考にして下さい。
ピアノの普及と共に歴史に埋もれた楽器であったチェンバロを、表舞台にひきだした立役者のひとり、ワンダ・ランドフスカがチェンバロ奏者としてデビューしたのは1903年、以後、公演企画の巧みさもあって順調に成功を収め、1920年代には2度の北米ツアーも実施するまでになり、その存在はチェンバロ奏者を目指す者や、モダン・チェンバロの製作者にとって非常に大きなものとなっていました。 ランドフスカから教えを受け、自分の経歴リストにその名が載ることは、多くのチェンバロ奏者にとって意味のあることと思われましたし、それはカークパトリックの渡欧の大きな目的であったとも考えられます。

しかしカークパトリックが実際にランドフスカの運営するアンシエンヌ音楽院で過ごすようになると、音楽院そのものの華美な雰囲気や、ランドフスカの過剰なまでのレジストレーションなど自由過ぎる解釈など演奏そのものに嫌気がさし、そのことを家族やブーランジェ、そしてアメリカの知人に宛てた手紙で批判したりもしていました。
 驚いたことにその知人は、ランドフスカ本人にカークパトリックの批判の件を報告、窮地に立たされたカークパトリックは、ランドフスカ宛てに謝罪の手紙を書くものの、以後、彼女から教えを受けることはできませんでした。



ラルフ・カークパトリックの出版物や録音、そして彼に関する出版物を一か所に集めることは有益なプロジェクトだと思いました。私は彼による、そして彼についての、一般的に知られていないかもしれないいくつかの出版物を発見しました。彼は50年のキャリアの中で世界中で何百ものコンサートを演奏し、これらは1回限りのイベントだったので、私は彼のコンサートのレビューを含めないことにしました。しかし、彼の本、音楽版、録音のレビューを含めることにしました。これは、本、特にスカルラッティの伝記が非常に影響力があり、2冊の本がまだ印刷されて広く使用されているためです。音楽版も現在も使用されており、ほとんどの録音は絶版ですが、おそらくまだ収集されています。含まれている出版物のほとんどは英語ですが、可能な場合は外国語の出版物を含めています。私は多くのデータベースと図書館目録を調べて情報を得て、ここにリストされている出版物の多くを見てきました。録音については、ほとんどの場合、データベースやカタログで提供されている情報に頼らざるを得ませんでした。イェール音楽図書館のカークパトリックコレクションについて提供してくれたリチャードウォーレンとスザンヌエグレストンラブジョイに感謝します。包括的な参考文献をまとめたとは言いませんが、ここで提供される情報が、ラルフ・カークパトリックのキャリアに関心のある人々に役立つことを願っています。

録音については、ほとんどの場合、データベースやカタログで提供されている情報に頼らざるを得ませんでした。イェール音楽図書館のカークパトリックコレクションについて提供してくれたリチャードウォーレンとスザンヌエグレストンラブジョイに感謝します。包括的な参考文献をまとめたとは言いませんが、ここで提供される情報が、ラルフ・カークパトリックのキャリアに関心のある人々に役立つことを願っています。録音については、ほとんどの場合、データベースやカタログで提供されている情報に頼らざるを得ませんでした。イェール音楽図書館のカークパトリックコレクションについて提供してくれたリチャードウォーレンとスザンヌエグレストンラブジョイに感謝します。包括的な参考文献をまとめたとは言いませんが、ここで提供される情報が、ラルフ・カークパトリックのキャリアに関心のある人々に役立つことを願っています。

バッハとスカルラッティの権威として知られた鍵盤楽器奏者、ラルフ・カークパトリックのコレクション。カークパトリックの演奏は、速めのインテンポを基調に、各パートを克明に響かせ、作品の構造を浮き彫りにして行くというもので、オブリガートが重要なバロック作品や、対位法的な性格の強いバッハ作品との相性はきわめて良好。



 チェンバロは、レジスター(ストップ、カプラー)の操作によって音色や音量を変更することができますが、カークパトリックはバッハ作品のシンメトリーを重視、そうしたレジストレーションも熟考したうえでおこない、拍やアクセントも常に明確化してチェンバロならではの分節法を際立たせ、装飾音についても、位置や量に配慮することで、各パートの認知が邪魔されるようなことはおこないませんでした。
 こういった手法の背景には、カークパトリックがヨーロッパで資料収集と検証に打ち込んでいた時代に、「オブリガート」や「装飾音」といったテーマでも研究をおこなっていたことが影響していると思われ、元の旋律や拍がわかりにくくなるような派手な装飾や過剰なレジストレーションは論外と考えていたようです。まるで演奏者と言うより古楽器研究者の様な一面があったようである。

 また、「平均律クラヴィーア曲集」や「インヴェンションとシンフォニア」、「組曲BWV818a」、「組曲BWV819」、「小前奏曲集」などではクラヴィコードを使用し、作品の構造を浮き彫りにするという基本アプローチはチェンバロと同じながらも、発音原理の異なるクラヴィコードの繊細な特性を生かして、バッハの内向きな音楽としての魅力を引き出しています。たとえば、平均律第1巻BWV853のプレリュードなどでの音量・音価に配慮した深遠な表現は、クラヴィコードならではのものともいえます。



 今回登場する25枚組ボックスでは、そのクラヴィコードによる平均律クラヴィーア曲集などアルヒーフ (ドイツ・グラモフォン)への録音を中心に、米ハイドン・ソサエティ、米コロンビア(SONY)、英HMV(EMI)、米バルトーク・レコードへの録音も収録。

 対象は、バロックとモーツァルトの独奏曲と協奏曲のステレオ録音とモノラル後期の録音で、カークパトリックが「ショート・レコーディング」と呼んで嫌っていたSP用の録音は含まれていません。

 意外な注目音源は、カークパトリックがフォルテピアノを弾いたモーツァルトで、1952年にソロ・アルバム、1951年にピアノ協奏曲第17番を録音しています。
 前者は腕の良いエンジニアでもあったバルトークの息子ピーター(ペーテル)が録音を担当、モノラルながら素晴らしい音質により、カークパトリックならではの高解像度で全情報を聴かせるスタイルのモーツァルトが楽しめます。



 一方、後者は音楽学者のロビンズ・ランドンが設立して間もないハイドン・ソサエティによる録音で、同じくモノラルながら音質優秀、アレグザンダー・シュナイダー指揮する小編成オケの超ロマンティック演奏と組んだせいか、情感たっぷりなアプローチを聴かせており、この頃のカークパトリックのモーツァルトをめぐる試行錯誤があらわれているかのようです。ちなみにカークパトリックは、モーツァルト作品におけるフォルテピアノ演奏をほどなく断念し、1956年以降はモダンピアノを使用するようになっています。

著名なチェンバロ奏者であり学者でもあるラルフ・カークパトリックは、20世紀のチェンバロの復活において最も影響力のある人物の1人でした。彼はまた、1930年代と40年代に始まったバロック演奏の実践の再評価において重要な人物でした。彼はチェンバロだけでなく、クラヴィコードとフォルテピアノでも演奏しました。彼は楽しみのためにそして時々演奏で現代のピアノを弾いた。

彼は特にバッハとスカルラッティの演奏で知られていましたが、モーツァルト、ラモー、クープラン、バード、パーセルなどの音楽も演奏し、録音しました。彼は現代音楽に非常に興味があり、ヘンリー・カウエル、ウォルター・ピストン、クインシー・ポーター、エリオット・カーター、イゴール・ストラヴィンスキー、ダリウス・ミヨーなどの作曲家によって音楽を演奏しました。



現在筆者の自宅で音楽を堪能するには、A4サイズの密閉箱入りのLS3/5aを愛用するがこの程度で十分です、適度な音量と程よいリスニングポジションが得られ、程良い火屋(真空管)のアンプでのドライブが良い塩梅である(石のアンプなら英国製品が良い)、カークパトリック演奏の少し古めの演奏が、古楽専門レーベル『アルヒーフ』の音質に戻った様な感覚になる、何も大型の装置でもなく適度な音響装置でも満足はできる。
しかし此処で大いなる疑問が湧き上がる、人間の欲望は大変強く当時の演奏しかないので音質の向上はオーディオ機材のグレートアップを改善することが良い、CDプレイヤー、パワーアンプのグレートアップが良いのであろうが、筆者の様な貧困老人にとっては頭の痛い問題でもある。

好きな時間に好きな音楽を楽しめる環境は誠にありがたいことなのである。日本は16世紀頃キリスト教の教えを布教するが、余りキリスト教信者は増えなかった、キリスト教の布教は失敗に終わった。日本は昔から神仏を敬う習慣が強く、キリスト教の教えとは基本が違ったと思う、但し此の美しい賛美歌?カンタータ等の音楽の美は見落としたようであった、今でも島原あたりでは昔からいい伝われ歌い続けられた讃美歌のような節回しの歌があると聞いた、そのあたりの歴史を紐解くのも面白そうである。

確かに鍵盤楽器の演奏に一人静かに楽しむにはこの程度の装着が一番の様である。オーディオも面白いが、筆者の場合は多くのバッハ演奏者がバッハを解釈して演奏の違い、解釈の違いの発見により面白さを感じている。
音楽を楽しむならこの程度の装置で十分音楽の面白さは理解できる様である。

来年2月9日盛岡で開催される(曲目はバッハ:ヴァイオリンソナタ?)美人ヴァイオリニスト諏訪内晶子さんのチケットを取って頂く、オミクロン感染が鎮まることを祈るばかりである。

本題はさらに続く、彼のために特別に書かれた作品がたくさんありますが、カークパトリックは、彼が美術を学んでいたハーバードで彼のキャリアを始めました。大学は1929年にチェンバロを取得し、彼は楽器の演奏方法を学ぶ機会を与えられました。1930年5月、彼はハーバードのペインホールで最初の公開チェンバロリサイタルを行いました。1931年に卒業した後、彼はジョンノウルズペインフェローシップでヨーロッパに旅行しました。彼はパリのナディア・ブーランジェとワンダ・ランドフスカ、イギリスのアーノルド・ドルメッチ、ドイツのギュンター・ラミンとハインツ・ティーセンに師事しました。1933年1月、彼はベルリンでヨーロッパのコンサートデビューを果たし、バッハのゴルトベルク変奏曲を演奏しました。

彼はまた、1933年にバーナードベレンソンのフィレンツェの別荘でクラヴィコードリサイタルを含む、イタリアでいくつかのコンサートを行いました。彼は1933年と1934年の夏の間、ザルツブルクのモザルテウムの教員でした。1934年4月、彼はニューヨーク市のニューミュージックスクールでクラヴィコードでバッハを演奏しました。これは、ニューヨーク市でこれまでに聞いた最初の公開クラヴィコードリサイタルであった可能性があります。



1936年、彼はヨーロッパで17世紀と18世紀の室内楽と鍵盤音楽を研究するためにグッゲンハイム奨学金を授与されました。1938年、彼はバージニア州ウィリアムズバーグの知事公邸でバロック音楽のフェスティバルを開始し、長年にわたり、そこで毎年恒例のフェスティバルの顧問および主要なパフォーマーを務めました。1940年に、彼はイェール大学の音楽学部に任命され、1976年に引退するまでイェールに留まりました。彼の生徒には、ウィリアムクリスティー、アルバートフラー、マーククロール、マーティンパールマン、フェルナンドヴァレンティなどの著名なハープシコーディストが含まれていました。1940年代に、彼は米国とヨーロッパ全体で数多くのリサイタルを行い、1948年に米国政府のVisiting Artist Programの支援を受けて、ドイツで公演するよう招待された最初の芸術家の1人でした。

1940年代にヨーロッパに滞在中、彼は1930年代後半に始めたドメニコスカルラッティの生涯と作品の研究を続けました。彼はマドリッドに住むドメニコ・スカルラッティの子孫を発見し、彼らは彼に貴重な情報源を提供しました。12年間の研究は、1953年に出版されたカークパトリックの絶賛されたスカルラッティの伝記で最高潮に達しました。この本では、彼はスカルラッティのキーボードソナタもカタログ化し、このカタログはソナタを識別するための標準的な情報源になりました。1953年に、60のスカルラッティソナタのカークパトリック版が出版され、彼はコロンビアのためにこれらのソナタも録音しました。



1956年、ドイツの録音会社であるドイツ・グラモフォン・ゲゼルシャフトは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのすべてのキーボード作品を、オルガンの作品を除いて、アーカイブのレーベルに録音するためにカークパトリックを選びました。彼はほとんどの作品をチェンバロで録音しましたが、平均律クラヴィーア曲集全体をチェンバロとクラヴィコードの両方で録音しました。彼は1960年代後半にプロジェクトを終了し、多くの録音、特に平均律クラヴィーア曲集の録音が高く評価されました。

カークパトリックは世界中でコンサートを続け、ヨーロッパの主要なフェスティバルの多くで演奏し、アメリカとヨーロッパの多くのオーケストラと共演しました。彼は1969年の開所直後にリンカーンセンターのアリスタリーホールで演奏するように選ばれました。また、彼がハープシコードを演奏したモーツァルトプログラムを含む、リンカーンセンターのフィルハーモニーホール(現在のエイブリーフィッシャーホール)で多くのコンサートを行いました。 18世紀と現代のピアノと同様に。彼は1970年代半ばに完全に盲目になり、公演や旅行を減らしましたが、コンサートを続け、新しい音楽を学びました。彼は1981年の最初のボストン古楽フェスティバルでリサイタルを演奏しました。これは彼の最初の公開コンサートの51周年を記念したものです。

カークパトリックは、並外れて熟練したミュージシャンであることに加えて、フランス語、ドイツ語、イタリア語に堪能であり、これらの言語で広く読まれていました。彼はスペイン語とポルトガル語の知識を使用して、スカルラッティの伝記の文書を翻訳しました。彼は本や版画の収集家でもあり、彼の家はデューラーやレンブラントなどの芸術家の作品でいっぱいでした。カークパトリックが1984年に72歳で亡くなった後、彼のアートコレクションはイェール大学美術館に寄贈されました。ギャラリーは1985年にこれらの作品の特別展を開催しました。カークパトリックの論文はイェール大学の音楽図書館に遺贈されました。図書館によると、それらにはハープシコードのための100以上の20世紀の作品が含まれており、その多くはカークパトリックに捧げられたものか、カークパトリックによって委託されたものです。



正月休みの暇な時に聴こうと思いThe Art of Ralph Kirkpatrick(25CD)前々より聴きたかったCDの購入、到着後リッピングした後は丁重に保存する。

スカルラッティ:ソナタも入っているが、バッハの主な作品があり、堪能できる、正月はこれで楽しめる様である、確かに音質は少し古く現在のものと比べ聴き劣りはするが、バッハの歴史に触れる思いもある様です。

 バッハ:イタリア協奏曲 
 バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻, BWV 846-869
 バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻BWV 870-893
 バッハ:イギリス組曲
 バッハ:フランス組曲
 バッハ:パルティータ
 バッハ:インヴェンションとシンフォニア
 バッハ:チェンバロ協奏曲
 バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988

録音アーティストとして、ラルフ・カークパトリックは、JSバッハとドメニコ・スカルラッティの鍵盤音楽のチェンバロ録音で最もよく知られるようになりました。1956年、ドイツの録音会社であるドイツ・グラモフォン・ゲゼルシャフトは、オルガンの作品を除くJSバッハのすべてのキーボード作品をアーカイブラベルとして録音するためにカークパトリックを選択しました。彼はほとんどの作品をチェンバロで録音しましたが、平均律クラヴィーア曲集全体をチェンバロとクラヴィコードの両方で録音しました。彼は1960年代後半にプロジェクトを終了し、多くの録音、特に平均律クラヴィーア曲集の録音が高く評価されました。

彼はまた、クラヴィコード(バッハの2部構成と3部構成の発明など)やフォルテピアノ(特にモーツァルトの作品)に関する他の作品も録音しました。コロンビアのために、彼は彼が編集した60のスカルラッティソナタを録音しました。多数の録音物に加えて、ビデオにいくつかのパフォーマンスを残しました。その中で最も目立つのは、1時間のプログラムにまとめられたものです。ラルフ・カークパトリックはバッハを演じます。その後の初期の鍵盤楽器の演奏者は、より流動的な演奏を実現したかもしれませんが、カークパトリックの演奏には、徹底的な研究から生まれた誠実さと信念が常に染み込んでいました。バロックおよび初期のクラシック時代の鍵盤音楽を専門とする人々の中で最も重要な人物の中での彼の地位は確かです。

今カークパトリックの音楽を楽しむ事に感謝であろう、ブラボー!

千葉NT駅前50万球のイルミネーション見学。歴史上80年以上も忘れられていた、音楽の父と言われるバッハ(Johann Sebastian Bach)を考察

2021年12月22日 | バロック音楽・オーディオ一般


今年も暮れが近づく、マニアの間には神が与えた美しい曲。マタイ受難曲を聴く季節になる。
2021年度で4年目となるイルミネーションイベント「イルミライ★INZAI」を開催。今年はエリアを新たに南口まで拡大し、北口を都市ゾーン。駅前の木がツリーに・・・



イオンモールから千葉NT駅までのメイン歩道通り道の並木にイルミ取り付け。



南口を自然ゾーン、駅前デッキを都市と自然の調和ゾーンとして、エリアごとに印西市の特色を表現したイルミネーションを実施。
改札を出てすぐの駅前デッキ上には、高さ約3mにもおよぶ印西市マスコットキャラクター「いんザイ君」のオブジェも登場。



総電球数約50万球、夕方見学に出かける。昨年は20万球であったが、



千葉NT駅近くの印西の花コスモスであしらったイルミの造花の花も可愛い・・・



南口駅前周辺の木々へのイルミ取り付け。今だ木々には緑の葉があり取り付けには大変苦労したことであろう。



南ぐちのメインの大きな木にイルミ取り付けは見事である。今年は範囲を増やした模様です。因みに印西市は現在19万人都市に人口増加している様です。
2022年度より北総線料金も15%程値引きするそうです。益々住みやすい街になり人口増加し目標の印西市、白井市30万人構想もやっと見込める様です。

点灯は2022年2月まで行う予定とあります。冬の風物詩をお楽しみください。

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此のあたりで来年は程よいプリアンプ導入を考える予定です、勿論真空管のプリアンプの中より考えようと計画中です。



キリストの誕生祭の季節が近づき、此処でバッハの音楽の歴史を考えるとメンデルスゾーンから始まったバッハ復活運動は、「マタイ受難曲」再演から21年が経ったバッハの死後100年にあたる1850年に、当時バッハ復活運動を進めていた音楽家や崇拝者が中心となって、ライプチッヒ市にバッハ協会設立いう成果として実りました。
特に当時、「音楽新誌」とい雑誌で編集、執筆にあたっていた作曲家シューマンは誌面を通して、バッハ協会の必要性を説き、多くの音楽家の賛同と理解を得ました。しかし、本格的にバッハの音楽が一般社会に知れわたるまでにはもう少し時間がかかりました。

それは彼の残した膨大な作品を網羅する「バッハ全集」が世に出てか当然バッハの音楽の演奏は古楽器演奏は当たり前ですが、当時は古楽器等は皆無で、チェンバロ演奏もワンダ・ランドフスカ、ポーランドの女性ピアニストが、ピアノよりもチェンバロに注力することを決意し、1908年から1909年にロシアでプレイエル・チェンバロによるコンサートツアーを行った。1912年から1919年の間、ベルリン芸術大学でチェンバロを教えた。1923年にアメリカでデビュー。1933年にバッハのゴルトベルク変奏曲をチェンバロで初めて録音した。
チェンバロを使い出したのが最初の頃と伺います、当然古楽器演奏は新しい演奏方法異なり、現在は古楽器演奏も認められる様になった様です。

筆者の若い時代頃は、当時アーノンクールは、古い教会や、街から遠く離れた城塞のような建築物と同じく、時間の流れに朽ちることなく佇む過去の音楽作品を訪問しようとする私たちに、それらの作品の誕生した時代に暮らした人々の生活や感情をたどり、想いを馳せるという選択を提示した。それは例えば、普段なら1時間のフライトで着く場所に、街道や宿場街を訪ね歩きながら馬車や徒歩で旅をしたことへの畏怖を思い描くということだ。もちろんアーノンクールは博物学者ではなかったから、現代の我々にとって感動的な旅のための手段とそのテクノロジーを否定したわけではない。

当時の音楽評論家などは古楽器の演奏は音が悪い、ガット弦の使用を否定した評論家も多くいた様です。兎に角管楽器などは基本の音はソ・ド・ミ・ソの音程が基本であり、現在も唯一のこる管楽器は軍隊のラッパである。



18世紀の宮廷音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハは死後約80年間、世間から忘れられていた作曲家でした。ビバルディーの名曲「四季」が、イ・ムジチ合奏団により再発見され、その後レコードを通して世界的に広く知れわたったのと同様に、バッハは19世紀の作曲家、フェリックス・メンデルスゾーンにより復活しました。
彼の努力によりバッハの名曲が公開で演奏されるようになり、現在にいたる名声が確立されたのです。では、少し復活されるまでの過程を追ってみます。そこには現代に通じる運命的なドラマが隠されています。

バッハの活躍時期はケーテン時代以降多くの器楽曲、オルガン曲は有名になる。1717年、32歳のバッハは、ケーテンの宮廷楽長の地位に昇った。領主レーオポルト侯は音楽を深く理解する愛好家で、バッハを大切にしたため、バッハは満ち足りた心で、職務である世俗音楽の作曲に、手腕をふるった。協奏曲や様々のソナタ、多くのクラヴィーア曲、世俗カンタータ等が、この時代に生まれてきている。1720年、妻マリーア・バルバラが急死した。4人の子供を抱えて途方にくれたバッハは、ハンブルク聖ヤコービ教会オルガニストへの転進を希望する。多額の寄付が条件とされたためにこの転進は成らなかったが、ハンブルクにおけるバッハの演奏は、いつもながら、人々に大きな驚きと感銘を与えた。1721年、バッハは16歳年下のソプラノ歌手、アンナ・マクダレーナを見初め、彼女と再婚する。以後マクダレーナはバッハに献身的に仕え、バッハの波風多く多忙な後半生を支える大きな原動力となった。

不動のライプツィヒ時代 ケーテンでの活動に見切りをつけたバッハは、1723年、大都市ライプツィヒに出て、由緒ある聖トーマス教会のカントルになった。彼の仕事は、音楽の先生として暴れん坊の子供たちを教育する一方、音楽監督として、市の教会音楽をとりしきることであった。しばらくの間、バッハは、日曜祝日礼拝のためのカンタータを、毎週のように書き続ける。「ヨハネ」「マタイ」の両受難曲も生まれ、ライプツィヒ時代初期は、バッハの教会音楽活動の頂点を形成した。



ニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt [ˈharnõkuːr] )の芸風については賛否両論があったと思う。カール・ベームとかヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏スタイルが主流派だった80年代までは、バロック音楽(およそ16世紀末から18世紀前半にかけての西洋音楽)の専門家としての仕事しかしてなかった。グスタフ・レオンハルトと共同で、史上初となるバッハのカンタータ全集(オーケストラ伴奏の付いた声楽曲)の録音事業を1971年から89年まで、18年かけてゆっくりと進めていたのは知られていたが、指揮者としての存在感、評価はウィーンの小アンサンブルを率いるマイナーな存在でしかなかった。

当時のアーノンクールがやっていたバロック音楽の演奏は、盆栽みたいに枝がクネクネと不自然に曲がりくねった異形が特徴で、私などは比較出来る演奏が少なかったこともあり、それが往時のバロック音楽の語法を再現したものなのだと思い込んでいた。特にヴィヴァルディ「四季」の録音(1977年)はたいそう面白く、それまでのイ・ムジチとかミュンヒンガーとかの演奏が、表面的に楽譜をなぞっただけの生温い音楽に聞こえてしまうほどのインパクトがあった。時代考証を踏まえた学究的なものというより、かなり癖のある人物の老獪な個人的表現に過ぎないのではと思うようになった。



バッハ 無伴奏チェロ組曲(全曲)
ニコラウス・アーノンクール(vc)
第6番はもちろん5弦のチェロ・ピッコロ。 (P)から1965年頃の録音かと思います。 原点に立ち戻るかのような,何ともシンプルな演奏。 素っ気ないほどに無骨だけど力強い。 現代のバロック・チェロによる演奏とはだいぶ違いますが, バロックの先駆者の演奏として大変興味深いです。




J.S.Bach:音楽の捧げ物(Musikalisches Opfer )BWV.1079
1747年にフリードリヒ大王の御前演奏を行なった際、バッハは大王が自ら書いた主題に基づく3声のフーガを演奏しました。その後、同じ主題による作品群を書いて王に献呈したのがこの曲集です。一見単純なひとつの主題がもつ可能性を極限まで追求した独創的な音楽は、バッハ芸術の最高の結晶のひとつ。



ヘルベルト・タヘッツィ(Cemb)、レオポルト・シュタストニー(Fl)、アリス・アーノンクール(Vn)、ヴァルター・プファイファー(Vn)、クルト・タイナー(Vla)、ニコラウス・アーノンクール(Tenor Viola,Vc)の6人による演奏である。




ニコラウス・アーノンクール / J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調(1968年録音) 
バッハの作品は後期の作品の完成度は高い様に思う、今年はミサ曲ロ短調もじっくり聴き込みしてみようと思ってます。
アーノンクールは1968年にウィーン少年合唱団に同曲を収録していました。1968年録音盤では、当時の習慣に再現するため少年合唱団を使っていましたが、この再録盤のA・シェーンベルク合唱団は、アーノンクールのバロック語法の要求に答えるべく演奏が可能となったものです。CMWの音楽の言葉表現を見事に乗り移ったもので、非常に深い音楽を導き出しています。



今回持続音のヴィオラ・ダ・ガンバの音色と一音一音すぐ音量が減衰するチェンバロとの対比の妙。ニコラウス・アーノンクールとヘルベルト・タヘツィの掛け合いは、当時のバロック語法を見事に再現した名演。1968年録音。巨匠指揮者アーノンクールの追悼企画のCDを入手する。
持続音のガンバの音色と一音一音すぐ音量が減衰するチェンバロとの対比の妙。アーノンクールとタヘツィの掛け合いは、当時のバロック語法を見事に再現した名演です。
J.S.バッハ:『ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ集』BWV.1027-1029
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV.1027
  1.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV1027 第1楽章:アダージョ
  2.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV1027 第2楽章:アレグロ・マ・ノン・タント00:03:40
  3.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV1027 第3楽章:アンダンテ
  4.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV1027 第4楽章:アレグロ・モデラート
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV.1028
  5.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV1028 第1楽章:アダージョ
  6.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV1028 第2楽章:アレグロ
  7.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV1028 第3楽章:アンダンテ
  8.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV1028 第4楽章:アレグロ    
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第3番 ト短調 BWV.1029
  9.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第3番 ト短調 BWV1029 第1楽章:ヴィヴァーチェ
  10.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第3番 ト短調 BWV1029 第2楽章:アダージョ
  11.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第3番 ト短調 BWV1029 第3楽章:アレグロ    
 2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ)ト長調 BWV.1039」
  12.2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ) ト長調 BWV1039 第1楽章:アダージョ
  13.2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ) ト長調 BWV1039 第2楽章:アレグロ・マ・ノン・プレスト
  14.2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ) ト長調 BWV1039 第3楽章:アダージョ・エ・ピアノ
  15.2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ) ト長調 BWV1039 第4楽章:プレスト
ニコラウス・アーノンクール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)



ヘルベルト・タヘツィ(チェンバロ)
レオポルト・シュタストニー&フランス・ブリュッヘン(フラウト・トラヴェルソ:BWV.1039)
録音:1968年



アーノンクールはウィーン交響楽団のチェロ奏者からキャリアをスタートし、後にバロック音楽専門の室内楽団を組織して指揮者に転じた。チェロ奏者としての録音にはバッハ「無伴奏チェロ組曲全曲」(64年頃、35歳前後の録音)がある。バロックチェロを使い速めのテンポで力強く弾いている。重音奏法に意識的な騒音性を加味してオヤっと思わせたりするが、現代のバロック・チェロによる演奏とはだいぶ違う。全体的には深みとかコクに乏しく、ゴリゴリと押す無骨さがちょっとせっかちな印象を与える。

重厚長大型のバッハ演奏が普通に行われていた60年代は、時代考証の成果といってもまだこの程度。情緒性を排したドライなスタイルにはそれなりの意味があったのだろうが、今となっては過渡期のスタイルというか、方向性が曖昧で、垢抜けずもっさり、リズムの切れが悪く鈍重に感じる。バッハを、特に宗教音楽を指揮する時のアーノンクールは別の人というか、ロ短調ミサとかマタイ受難曲は、デジタル録音による新盤よりも60年代の古い録音の方が抑制が効いていて好ましく思えるのは筆者でけであろうか?。クラシック音楽の演奏スタイルの流行はいずれ変わるだろうが、バッハのいくつかの録音は、ある時代の記憶として残るような気がする。ブラボー!

最近は研究家にはフーガの技法はロ短調ミサ曲の後半に仕上げた作品と言われています、フーガの技法BWV1080の演奏は果たしてどの様な演奏が良いのかの検証

2021年12月11日 | バロック音楽・オーディオ一般


フーガの技法 BWV1080[Die Kunst der Fuge BWV1080]J.S.バッハ (BACH, J.S.)The Art of Fugue BWV1080別冊として、《2つのチェンバロのための鏡像フーガ》BWV 1080の《フーガの技法》は、バッハが晩年に構想した理念的作品集の一角をなすものである。ベルリンの国立図書館に残される自筆譜は1742年に作られており、バッハがこれ以前の1740年頃から《フーガの技法》に着手したと考えられる。その後、たびたびの中断があり――その間フリードリヒ大王を訪問し《音楽の捧げもの》を仕上げたり、L.C.ミツラーの「音楽学術交流会」に入会して《カノン風変奏曲「高き天より」》(BWV 769)を書いたり、旧作のオルガン・コラールを改訂して所謂『シューブラー・コラール集』や《17のコラール》をまとめたり、《ロ短調ミサ曲》を完成させたり・・・、また《フーガの技法》の当初の計画にいろいろな変更を加えた所為で、とうとうバッハ自身の手で出版は実現しなかったと言うより出来なかった様です。

最大の謎は、バッハが最終的に望んだ《フーガの技法》とは、どのような内容、配列によるのか、という点である。1751年6月1日に新聞に予告された出版譜が、具体的に誰の手配によるのかは判っていない。が、この初版の内容はおそらく、作曲家の意図をかなり無視したものとなっている。それはたとえば、Cp.10の初期稿が第14曲として組み込まれていること、Cp.13を単純に2台チェンバロ用に編曲したに過ぎないものが第18曲に入っていること、終曲にコラール編曲が置かれていること、あるいは未完のままのフーガが第19曲として収載されたこと、また、1742年の自筆譜の配列とは大幅に異なっていることなどから推察される。

バッハはなぜ、自らの名を刻んだフーガを未完のまま放置したのだろうか。仕上げる前に命数が尽きてしまったといえばそれまでだが、そもそもこのフーガの全体の出来に不満があったればこそ作曲が捗らなかったのではないか。とすれば、これを《フーガの技法》に含めることは、作曲者の意図に反するかも知れない。さらに奇妙なのは、コラール編曲〈我ら苦しみの極みにあるとき〉が終曲に置かれたことである。フォルケルは『バッハ伝』の中で、死の間際にバッハがこのコラールを口述筆記させたと伝えている。予定されていた最終フーガが未完となったので、この曲が補完に充てられたというのが実情であり、従って、コラール編曲を《フーガの技法》に含めるのが作曲者の意に叶うとは思えない。更にいうなら、絶筆となったのが果たして本当にこの曲だったのかどうかも、確証は得られない。より本質的な問題として、『個人略伝』とフォルケルの『バッハ伝』によれば、計画していながら完成されなかったフーガは2曲あった。「未完フーガ」はそのどちらかであろうが(フォルケルは「未完フーガ」を「3つの主題を持つ」「最後から2番目のフーガ」としている)、残る一方は完全に失われている。バッハが構想した《フーガの技法》は永遠の謎となってしまった。



筋の通った配列という問題は、未完フーガの補完と同じくらい、これまで多くの音楽家の関心を集めてきた。しかし、配列それ自体は作品の演奏にとっては大きな問題ではない。どのみち全曲とおして演奏することは想定されていないからである。

楽器編成について、こんにちではほぼ、鍵盤作品として、それもクラヴィーアのために書かれたと考えられている。処々に現れる長い保続音は確かにオルガンのペダル・ポイントに適しているようにもみえるが、全体はクラヴィーアにふさわしい語法に満たされている。また、鍵盤以外の楽器の特徴はほとんど見出せない。なお、現代のピアノで演奏する場合には、特に手の交差に関してチェンバロやオルガンほどの効果が得られないので、工夫が必要である。



此処でフーガの技法BWV 1080の演奏を密閉型の3/5aで聴く、チェンバロ、ピアノ演奏も大変良い音が聴ける、今思えばこの3/5aスピーカーは2019/02/13に入手して、約2年間聴き続け最近まで自分が、お思い描く音が鳴らなく、あらゆる手直し、創意工夫したが全く美音は聴けない状態でした、最終的には接続部分の破損で原因が原因で解明できた、これは筆者においては大変ラッキーな事でした、然し売主は良い音がすると言っていたが今でも大変疑問に思う。

このような事故はこの3/5a以外の製品は起らなかったかもしれないが、今となってはこの事故に大変感謝しています。タンノイの音質とも若干違いはあるが、陰影も品位の有り少し渋めの音質が響く音質は相当気にいってます。アンプはシングルよりプッシュプルアンプを使った方が3/5aの真価が発揮できる様である勿論ジャズを鳴らしても満足しています、正に怪我の功名であろう。

実は筆者も5年程前よりオーディオ愛好を再開しバッハ中心の音楽を聴くことに戻ったが、所有するスピーカーを色々聴いて見たが、現在アンプは未だ真空管の仕様が一番に思う、真空管に替えて聴くと何故か安堵感を感じるのだ。此の匂いを嗅いでしまうと後戻りが出来ない始末の悪さが残るのだ・・・。



以前も紹介はしたがこのメンバーの奏でるゴルドベルグ変奏曲は大変美しい演奏が聴けた、Bach: The Art of Fugue / Fretwork比較的に分かり易い演奏です、英国のスーパー・ヴィオール合奏団、フレットワークがバッハの最後の大作フーガの技法を録音!筆者はこの演奏が好きで良く聴く、それと見出しに最近自筆譜版をもとに、『フーガの技法』を完成された作品として演奏!




数の象徴がもたらす神秘的な美しさ、名手たちの至高のアンサンブル、アルベルト・ラージRoberto Rasi(指揮)興味本位で聴いた。
自筆譜の曲順と曲種を読み解くと、バッハがそこに「数の象徴」を盛り込んでいたことが分かりました。BACHをアルファベット順に数字に変換すると2-1-3-8となり、バッハはその合計数14を象徴的に作品に潜り込ませていたことが知られています。自筆譜の『フーガの技法』は基本となるフーガがまず2曲、次に半終止(ラ、Aの音!)で終わるフーガが1曲、そして反行形や対主題を伴うフーガが3曲、最後に複雑さを極めていく8曲というように構成されています。8曲のセクションは2-1-2-1-2と細分化でき、拡大・縮小を伴うフーガ、カノン、多重フーガ、カノン、鏡像フーガ(正立+倒立で1曲とする)と書法が発展していきます。

バッハは曲集のタイトルを「Die Kunst der Fuga」としました。フーガの綴りだけイタリア語になっています。これは上記の方法で数字に直したとき158になり、「Johann Sebastian Bach」もまた158になる、という数遊び。1+5+8=14(BACH)、というのもバッハは気に入っていたようです。



このアルバムではアンサンブルでの演奏が採用されています。スコアの音域に即した楽器が選択され、各種ヴィオールが美しく響き、机上の空論的な楽曲と思われがちな『フーガの技法』から驚くほど音楽的な対話が生まれています。オルガンは通奏低音として入ったり時にソロで弾いたりとアレンジも面白く考え抜かれていて、最後に未完フーガを添えているのも嬉しいところです。アッカデミア・ストゥルメンターレ・イタリアーナはこれまでStradivariusやDIVOXに録音があり、今作がChallenge Classicsでの初作品。リーダーのアルベルト・ラージはサヴァールに学んだヴィオール奏者です。

構成数 | 1枚
合計収録時間 | 01:08:13
【曲目】
J.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080(ベルリン自筆譜版)
 [1] コントラプンクトゥスI (基本形による単純フーガ)
 [2] コントラプンクトゥスIII (反行形による単純フーガ)
 [3] コントラプンクトゥスII (基本形による単純フーガ)
 [4] コントラプンクトゥスV(反行形を伴うフーガ)
 [5] コントラプンクトゥスIX(12度対位法による対主題と基本形によるフーガ)
 [6] コントラプンクトゥスX(10度対位法による2つの対主題と反行形によるフーガ)
 [7] コントラプンクトゥスVI (反行、縮小を伴うフランス様式によるフーガ)
 [8] コントラプンクトゥスVII (反行、拡大と縮小を伴うフーガ)
 [9] 8度のカノン
 [10] コントラプンクトゥスVIII (3声の3つの主題によるフーガ)
 [11] コントラプンクトゥスXI (4声の4つの主題によるフーガ)
 [12] 反行と拡大によるカノン
 [13] コントラプンクトゥスXIIa(4声の鏡像フーガ・正立)
 [14] コントラプンクトゥスXIIb(4声の鏡像フーガ・倒立)
 [15] コントラプンクトゥスXIIIb(3声の反行形を伴う鏡像フーガ・正立)
 [16] コントラプンクトゥスXIIIa(3声の反行形を伴う鏡像フーガ・倒立)
 [17] 3つの主題によるフーガ(未完)
【演奏】
アッカデミア・ストゥルメンターレ・イタリアーナ
[ロゼッラ・クローチェ(ヴァイオリン)、
トレブル・ヴィオール)、クラウディア・パセット(テノール・ヴィオール)、
パオロ・ビオルディ(バス・ヴィオール)、
ミケーレ・ツェオーリ(ヴィオローネ)、
ルカ・グリエルミ(オルガン)]

ともすれフーガの技法は、バッハが晩年に構想した理念的作品集の一角をなすものである。
ベルリンの国立図書館に残される自筆譜は1742年に作られており、バッハがこれ以前の1740年頃から《フーガの技法》に着手したと考えられる。その後、たびたびの中断があり――フリードリヒ大王を訪問し《音楽の捧げもの》を仕上げたり、L.C.ミツラーの「音楽学術交流会」に入会して《カノン風変奏曲「高き天より」》(BWV 769)を書いたり、旧作のオルガン・コラールを改訂して所謂『シューブラー・コラール集』や《17のコラール》をまとめたり、《ロ短調ミサ曲》を完成させたり――、また《フーガの技法》の当初の計画にいろいろな変更を加えた所為で、とうとうバッハ自身の手で出版は実現しなかった。



最大の謎は、バッハが最終的に望んだ《フーガの技法》とは、どのような内容、配列によるのか、という点である。1751年6月1日に新聞に予告された出版譜が、具体的に誰の手配によるのかは判っていない。が、この初版の内容はおそらく、作曲家の意図をかなり無視したものとなっている。それはたとえば、Cp.10の初期稿が第14曲として組み込まれていること、Cp.13を単純に2台チェンバロ用に編曲したに過ぎないものが第18曲に入っていること、終曲にコラール編曲が置かれていること、あるいは未完のままのフーガが第19曲として収載されたこと、また、1742年の自筆譜の配列とは大幅に異なっていることなどから推察される。
バッハはなぜ、自らの名を刻んだフーガを未完のまま放置したのだろうか。仕上げる前に命数が尽きてしまったといえばそれまでだが、そもそもこのフーガの全体の出来に不満があったればこそ作曲が捗らなかったのではないか。とすれば、これを《フーガの技法》に含めることは、作曲者の意図に反するかも知れない。さらに奇妙なのは、コラール編曲〈我ら苦しみの極みにあるとき〉が終曲に置かれたことである。フォルケルは『バッハ伝』の中で、死の間際にバッハがこのコラールを口述筆記させたと伝えている。予定されていた最終フーガが未完となったので、この曲が補完に充てられたというのが実情であり、従って、コラール編曲を《フーガの技法》に含めるのが作曲者の意に叶うとは思えない。更にいうなら、絶筆となったのが果たして本当にこの曲だったのかどうかも、確証は得られない。より本質的な問題として、『個人略伝』とフォルケルの『バッハ伝』によれば、計画していながら完成されなかったフーガは2曲あった。「未完フーガ」はそのどちらかであろうが(フォルケルは「未完フーガ」を「3つの主題を持つ」「最後から2番目のフーガ」としている)、残る一方は完全に失われている。バッハが構想した《フーガの技法》は永遠の謎となってしまった。
筋の通った配列という問題は、未完フーガの補完と同じくらい、これまで多くの音楽家の関心を集めてきた。しかし、配列それ自体は作品の演奏にとっては大きな問題ではない。どのみち全曲とおして演奏することは想定されていないからである。

楽器編成について、こんにちではほぼ、鍵盤作品として、それもクラヴィーアのために書かれたと考えられている。処々に現れる長い保続音は確かにオルガンのペダル・ポイントに適しているようにもみえるが、全体はクラヴィーアにふさわしい語法に満たされている。また、鍵盤以外の楽器の特徴はほとんど見出せない。なお、現代のピアノで演奏する場合には、特に手の交差に関してチェンバロやオルガンほどの効果が得られないので、工夫が必要である。

フーガの技法は、謎めいた未完のフーガやバッハ最晩年の逸話とあいまって、伝説的なオーラを放っている。作曲家の死の直後に出版されてからこれまで絶えず人々の関心を集め、なかば崇拝にも近い賛辞を贈られた。しかし栄光に反して、実際に演奏される機会はそれほど多くない。それは、バッハの意図した楽器や編成が判然としないことに大きな原因があるが、伝説的なオーラが近づきがたいイメージを固めてしまった所為でもある。バッハは確かにかなり抽象的、理念的性質をこの曲集に与えたのではあるが、実際に演奏可能なことが何よりの大前提だった筈だ。そこで、具体的に各曲に迫るためにまず、この作品にあらわれる「技法」とは何か、それらが音楽的にどのように成功しているのかを確かめてみよう。ここに含まれる作品は、おそらく全曲とおしての演奏を想定して作られてはいない。フーガの技法を単一主題によるフーガ変奏曲のように扱うのは、そもそも聴き手の集中力に鑑みて無理があるように思われる。
作品全体の構成をこちらに示す。また、作品の成立に関わる問題については最後にこちらに簡単に述べるにとどめる。以下、文中で略号「Cp.」はContrapunctus(コントラプンクトゥス)を表す。また、「テーマ」という場合には第1曲の冒頭で提示され、この曲集全体を貫く旋律のことを、「主題」という場合にはフーガの楽式ないし作曲技法上の主要旋律のことを指す。



このようなことを考えると、鍵盤楽器の演奏、チェンバロ又はオルガン演奏が良い方法なのかもしれないと思ったりもする。ここでバッハ:フーガの技法BWV1080を楽しむは色々なパターンの演奏を聴くことをお勧めする、意外と面白い演奏と巡りあわせる事もあり筆者も最近聴いたピアノでの演奏も近藤 伸子は興味深く試聴した、新潟県出身のピアニストである。現在、国立音楽大学教授。現代音楽を積極的に演奏、紹介すると同時に、バッハの鍵盤作品にも強い関心を寄せて演奏活動を行なっている。



近藤伸子ピアノ演奏のJ・S・バッハ:フーガの技法バッハ晩年の傑作《フーガの技法》には、近づきがたい作品というイメージがあるかもしれません。対位法の魔術師バッハが音楽家人生の集大成として編纂した「フーガの技法」。多くの謎に包まれていますが、そのひとつが「何の楽器のために書かれたか?」です。



此処で筆者お勧めは、鍵盤奏者トン・コープマン指揮者。1944年オランダ、ツウォレ生まれ。アムステルダム音楽院でレオンハルトにチェンバロを、ヤンセンにオルガンを学ぶ。ソロ活動から始め、79年にオリジナル楽器によるアムステルダム・バロック管弦楽団と合唱団を組織し、コンサート、録音と活発に活動をしている。即興演奏の名手で、情熱的なソリストとしての演奏はそのままオーケストラ演奏でも当てはまり、生気に富んだ演奏がバロック音楽に新しい息吹を吹き込んだ。

夫婦であるトン・コープマンTon Koopmanとティニ・マトーは両者ともにチェンバロ奏者です。

この2人の録音は名盤が多いですが、ティニ・マトーTini Mathotはトン・コープマンのプロデューサーとしてのイメージのほうが世間的には強いようです。
Ruckersモデルのチェンバロをコープマンが、Couchetモデルのチェンバロをティニ・マトーが演奏しています。
コープマン/バッハ:フーガの技法(2台の技法バロズ季)『フーガの技法』は、劇する楽器取名せずに、「フーガ」であるの作曲曲をするちの「小宇宙」フーガの技法フーガの技法、世界史上特筆しか与え性を頂この作品は、絶壁の技法の家の技法志意をかき立てます。



此処で筆者お勧めの、フーガの技法BWV1080トン・コープマン( チェンバロ)ティニ・マトー(チェンバロ)録音:1993年を挙げます。

「フーガ」という当時の作曲様式を徹底して追求した作品で、バッハの絶筆のひとつと言われています。ひとつの「小宇宙」ともいうべき荘厳さを持ち、音楽史上特筆すべき特異性を有するこの作品は、絶壁のように演奏家の挑戦意欲をかき立てます。当代最高のバッハ演奏家コープマンによる刺激に満ちた再現。
チェンバロ奏者、トン・コープマンとティニ・マトーとの共演によるバッハ「フーガの技法」を収録した1993年録音盤。
バッハ:フーガの技法
【演奏】
トン・コープマン、ティニ・マトー(チェンバロ)
【録音】
1993年
 1.コントラプンクトゥス1
 2.コントラプンクトゥス2
 3.コントラプンクトゥス3
 4.コントラプンクトゥス4
 5.コントラプンクトゥス5
 6.コントラプンクトゥス6
 7.コントラプンクトゥス7
 8.反行の拡大カノン
 9.オクターヴのカノン
 10.コントラプンクトゥス8
 11.コントラプンクトゥス9
 12.12度のカノン
 13.コントラプンクトゥス10
 14.10度のカノン
 15.コントラプンクトゥス11
 16.コントラプンクトゥス12[正立形]
 17.コントラプンクトゥス12[倒立形]
 18.コントラプンクトゥス13[正立形]
 19.コントラプンクトゥス13[倒立形]
 20.3つの主題によるフーガ

【演奏】
トン・コープマン(チェンバロ)
ティニ・マトー (チェンバロ)



【録音】1993年
バッハ
フーガの技法 BWV 1080(2台のチェンバロによる演奏)
録音:1993年(デジタル)

『フーガの技法』は、演奏する楽器さえ指定せずに、「フーガ」という当時の作曲様式を徹底して追求した作品で、ひとつの「小宇宙」ともいうべき荘厳さを持ち、コープマンは指揮、鍵盤演奏、作曲・編曲をこなす古楽界の鬼才。当代最高のバッハ演奏家コープマンによる静かな刺激に満ちた演奏です。

筆者は昔からバッハは親しんで聴いて来たが、同曲での多数な演奏を聴き比べる余裕と時間はなく、第二の人生を迎え暇な時間に楽しめる事に感謝する次第である、後は知らない情報はネットで探しiTunesのハイレゾで楽しめる、PC(Mac)使用は早20年にもなるが、実に手軽で便利な時代に突入した事も事実であろう。今回ここに掲げたフーガの技法BWV1080の演奏も4枚もの演奏を試聴する為にこの様な比較は無理であった。当時は大卒時の初任給の10%がLPの価格で、輸入盤のLPは相当高価であった。

合奏版は賑やかになるし、独奏だと技術的に困難な部分もあり、「2台のチェンバロによる演奏」がぴったりかもしれません。コープマンは、この論理的抽象的で難解かもしれないバッハ最後の大曲を誠実で落ち着いた雰囲気で深く静かに演奏しています。
瞑想に誘われる名演です。CD2枚ものになる演奏も多いですが、このCDは1枚に収められております。ブラボー!