さて本日で筆者も喜寿を迎えたわけだが、喜寿は「㐂」と書き、字を分解すると十七の上に七が付いたような文字となることに由来とされているそうだ。
先日の続きであるが、アンドレ・レヴィのバッハ無伴奏ソナタ(LUMEN / 3LP)を聴き味を締め、今回エネスコのバッハ無伴奏ソナタは是非聴きたい処であり、調べると2024年に再録している事が判明した。
名器が真の名盤と連関するのは、人間の社会、思想、芸術、文化の奥深いところの根源的なるもの、 本質的なるものを捉え、それを明日に照らしだそうとする信念、哲学が内在しているが故に、 現代の新奇なものを越えて、なお魅力的なのであろう。 軽薄な時代が終焉し、精神性のある社会が、一刻も早く到来することを希求してやまぬ。勿論此処で掲載する古典タンノイ群(レッド/シルバー)と遭遇するならば、聞き手に音楽には神秘的な彼岸の響が内在し、天球のハーモニーが人間の魂を磨き、癒してくれることに気付くのであるのであろう。
筆者所有のタンノイはTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetのセットである、一応色々工夫し自作のインシュレーターを装着し粗筆者としては合格に近い仕上がりにしているつもりであるが、アンプ群については少し違うアンプも仕入れたいのだが貧困老人には現状維持が懸命である、コスパも良いとは思っているのであるが・・・正式には「IIILZ in Cabinet」というのが正しいスピーカーシステム名らしいですが、一般的にはきっとIIILZで通じる思います。
搭載ユニットは初代がmonitorRED(IIILZ)、2代目はmonitorGOLD(IIILZmk2)、3代目はHPD295(日本では「IIILZ in cabinet」でしたが英国では「CHEVENING」として販売されていたそうです)と3代にわたるモデルなわけですが、筆者はIIILZと言えば2代目がお気に入りです!
初代のREDは未だ聴いた事がありません。にでまずは外観ですが、サランネットが貼られていて確認しづらいですが、このエンクロージャは密閉型です。(初代も密閉型ですが、3代目はバスレフ型になります)聞き手に音楽には神秘的な彼岸の響が内在し、天球のハーモニーが人間の魂を磨き、癒してくれることに気付くのであるのであろうが、筆者所有のタンノイはAXIOM80の箱にTANNOYユニットを移植した、TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetのセットである、一応色々工夫し自作のインシュレーターを装着し粗筆者としては合格に近い仕上がりにしているつもりであるが、アンプ群については少し違うアンプも仕入れたいのだが貧困老人には現状維持が懸命である、コスパも良いとは思っているのであるが・・・
筆者がオリジナルの箱に拘った原因は当時の五味先生の本の文中にあった様です。オーディオ巡礼より・・・
家庭でレコードを楽しむのに、この程度以上の何が必要だろう、と私は思った。友人宅のIII LZでは、たとえばボリュームをあげると欠陥があらわれるが、Wさんのところのはそれがない。カートリッジはエンパイアの九九九VEだそうで、〈三位一体〉とでも称すべきか、じつに調和のとれた過不足のないよい音である。
畢竟するに、これはラックスSQ38Fがよく出来ているからだろうと私は思い、「ラックスもいいアンプを作るもんですな」と言ったら「認識不足です」とW氏に嗤われた。そうかもしれない。しかしIIILZと38Fさえ組合わせればかならずこううまくゆくとは限らないだろうことを、私は知っている。つまりはW氏の音楽的教養とその生活が創造した美音というべきだろう。W氏は、はじめはクォードの管球アンプで聴いていたそうである。いくらか値の安い国産エンクロージァのIIILZでも聴かれたそうだ。そのほかにも、手ごろなスピーカーにつないで試した結果、この組合わせに落着いた、と。
私事ながら、私はタンノイ・オートグラフを鳴らすのにじつに十年を要した。それでもまだ満足はしていない。そういうオートグラフに共通の不満がIIILZにもあるのは確かである。しかし、それなら他に何があるかと自問し、パラゴン、パトリシアン、アルテックA7、クリプッシ・ホーンなど聴き比べ(ずいぶんさまざまなアンプにつないで私はそれらのエンクロージァを試聴している)結局、オートグラフを手離す気にはならず今日まで来ている。それだけのよさのあることを痛感しているからだが、そんな長所はほぼW家のIIILZとラックス38Fの組合わせにも鳴っていた。
畢竟するに、これはラックスSQ38Fがよく出来ているからだろうと私は思い、「ラックスもいいアンプを作るもんですな」と言ったら「認識不足です」とW氏に嗤われた。そうかもしれない。しかしIIILZと38Fさえ組合わせればかならずこううまくゆくとは限らないだろうことを、私は知っている。つまりはW氏の音楽的教養とその生活が創造した美音というべきだろう。W氏は、はじめはクォードの管球アンプで聴いていたそうである。いくらか値の安い国産エンクロージァのIIILZでも聴かれたそうだ。そのほかにも、手ごろなスピーカーにつないで試した結果、この組合わせに落着いた、と。
私事ながら、私はタンノイ・オートグラフを鳴らすのにじつに十年を要した。それでもまだ満足はしていない。そういうオートグラフに共通の不満がIIILZにもあるのは確かである。しかし、それなら他に何があるかと自問し、パラゴン、パトリシアン、アルテックA7、クリプッシ・ホーンなど聴き比べ(ずいぶんさまざまなアンプにつないで私はそれらのエンクロージァを試聴している)結局、オートグラフを手離す気にはならず今日まで来ている。それだけのよさのあることを痛感しているからだが、そんな長所はほぼW家のIIILZとラックス38Fの組合わせにも鳴っていた。
出費は一時、鑑賞は一生読者諸賢に言っておきたい。三十年にわたる私のオーディオ体験で、タンノイIIILZとラックス38Fは、もっとも好ましい組合わせのひとつである、と。音イジリを楽しむなら別だが、音楽を――家庭で、レコードによるそれを――楽しむなら、何十万円もの高価なエンクロージァやアンプは必要ない。IIILZとラックス程度で十分だ。ただし、多少値は張ってもかならずキャビネットはオリジナルを購めるべきである。出費は一時のものだが鑑賞は何年間もの歳月にわたるのだ。わずかな出費ではかえられぬ豊かなものをあなたは入手するのである。
だから各パーツの組合わせで、何を主体に考えるべきかと問われたら、これも言いふるされた言葉だが、まずスピーカー・エンクロージァに意を注ぎなさいと私はすすめる。経済事情のいかんを問わず、音を決定づけるものはスピーカーである。スピーカー・エンクロージァだけは許されるかぎり、いいものを購めなさい、と。
だから各パーツの組合わせで、何を主体に考えるべきかと問われたら、これも言いふるされた言葉だが、まずスピーカー・エンクロージァに意を注ぎなさいと私はすすめる。経済事情のいかんを問わず、音を決定づけるものはスピーカーである。スピーカー・エンクロージァだけは許されるかぎり、いいものを購めなさい、と。
グレード・アップはスピーカーを向上させるだけで十分である。
此の文章にまだ話され続けた、タンノイのユニットと他のスピーカーボックスへの移植はやってはいけない事と思い続けていたが、以前ステレオサウンド誌でタンノイコーネッタの工作記事を読んだが当時の筆者は既にオーディオ熱は冷め但し季刊誌のステレオサウンド誌だけは読み続けていたのですが、誠に残園ではあるが興味はあったがコーネッタの音は未だ聴いたことの無い、一つの憧れの音であろうか等思う。
そして現在はアコースティック・レジスタンス・ユニット付きのGOODMANS AXIOM 80の箱に出会うわけである。そしてIIILZ Monitor Goldユニットを移植して聴いているのが現在である。落ち着いた佇まいはお気に入りでもある。
今回の話題は以前挙げたアンドレ・レヴィのバッハ無伴奏ソナタ(LUMEN / 3LP)同様二匹目の泥鰌を狙い、ジョルジェ・エネスクのバッハ無伴奏ソナタ(CONTINENTAL / 3LP)この辺りは一度じっくり試聴し慕ってみたい演奏家でもあるのだが2024年復刻したので早速CDを取り寄せた。
バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータは1720年頃バッハの30代半ば頃の作品で古今東西の名ヴァイオリストをして幾度となく挑戦させる名曲にして何曲でもある、構成は教会ソナタ形式を取り2楽章ではフーガを加え、室内ソナタの形式を取る。また舞曲で構成され、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジークと言う構成も取り入れ、バッハはいろいろな様式を取り入れ特に第2番の終局、シャコンヌは演奏する側もその規模と言い、複雑さは想像を絶すると言うより空前絶後の名曲でもあろう、ソナタ第2曲の3曲フーガは4本の弦と1本の弓から多いとには4声部を同時に演奏しなければならないと言われている。番号が重なるごとに難しい演奏が強いられることで、感動を与えている演奏と思われる様でもある。ジョルジュ・エネスコの録音して以来、多くの演奏者が堰を切ったように全曲録音が始まる、大戦を境にレコード音楽は音質改善がなされ、1948年以降LPの登場となる、勿論此の当時からテープレコーダーも品質向上した事も起因するのであろう。今回購入のCDは1949年/ニューヨーク(モノラル)のソフトをニューリリースした物の様です。勿論以前からジョルジュ・エネスコのバッハは聴きたかったが中古しか無くそれも相当高額でためらっていた事が事実である。聴けば分かりが多分此のレコードは1950年にLPで発売されたが、当時68歳のエネスコの体調は万全とは言えず衰えもあったのであろう、しかしじっくり聴けばバッハの音楽性の豊かさは感じるのであった。
【曲目】
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲
Disc1
(1) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001
(2) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調BWV1002
(3) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV1003
Disc2
(4) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004
(1) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001
(2) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調BWV1002
(3) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV1003
Disc2
(4) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004
https://www.youtube.com/watch?v=od_sBicH4Kw
(5) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調BWV1005
(6) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV1006
【演奏】
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
【録音】
1949年/ニューヨーク(モノラル)
(5) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調BWV1005
(6) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV1006
【演奏】
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
【録音】
1949年/ニューヨーク(モノラル)
録音時期:1949年
録音場所:ニューヨーク
録音方式:モノラル
LPからの復刻
掲載: 2024年10月16日 00:00
更新: 2024年12月04日 00:00
超稀少な米コンチネンタルCLP-104/6からの復刻。バッハ無伴奏全6曲は没後200年にあたる1950年にアメリカのマイナーレーベルCONTINETALから発売されました。豪華な3枚組アルバム入りのセットはエネスコ最晩年の心血を注いだ演奏で、演奏家や心あるレコード愛好家が絶賛しましたが数年でカタログから消え、クラシックLP最高のコレクター・アイテムになっていました。新忠篤氏がかつて日本コロムビアで行った復刻とは別のオリジナル盤からのもので、そこに秘められたエネスコ芸術の全貌が真の姿で蘇ってきたようです。
「J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」は、1952年に演奏された全曲無伴奏のCDで、ハイフェッツの唯一の全曲無伴奏アルバムです。
無伴奏ですので、ハイフェッツのヴァイオリンソロが他の演奏に邪魔されず心ゆくまで楽しむことができます。その演奏テクニックは正確で、美しく輝かしい音色を楽しむ事ができます。
J.S.バッハのシャコンヌは、クラシック音楽の中でも最も象徴的で愛されている曲の一つです。
元々は独奏ヴァイオリンのために書かれたもので、バロック時代に書かれた独奏ヴァイオリンのための単一楽章の曲です。この曲は、その技術的、感情的な要求から、ヴァイオリンのために書かれた作品の中で最も難しいものの1つとされており、バッハの最高傑作の一つと言えます。ヤッシャ・ハイフェッツによるシャコンヌの演奏は、この作品の最も決定的な解釈のひとつとされており、その卓越した技術と表現力で有名です。
ハイフェッツの演奏は、この曲の感情を引き出すことに長けており、バッハ本来の音楽性に忠実でありながら曲の持つ情緒的なパワーを強調したもので、リリカルで表情豊かな演奏とルバートや装飾音を駆使して曲の美しさを引き出しています。このハイフェッツの演奏はヴァイオリニストの指標となり、その後のシャコンヌの解釈に多くの影響を与え、クラシック作品の中で最も偉大な演奏のひとつとされています。
元々は独奏ヴァイオリンのために書かれたもので、バロック時代に書かれた独奏ヴァイオリンのための単一楽章の曲です。この曲は、その技術的、感情的な要求から、ヴァイオリンのために書かれた作品の中で最も難しいものの1つとされており、バッハの最高傑作の一つと言えます。ヤッシャ・ハイフェッツによるシャコンヌの演奏は、この作品の最も決定的な解釈のひとつとされており、その卓越した技術と表現力で有名です。
ハイフェッツの演奏は、この曲の感情を引き出すことに長けており、バッハ本来の音楽性に忠実でありながら曲の持つ情緒的なパワーを強調したもので、リリカルで表情豊かな演奏とルバートや装飾音を駆使して曲の美しさを引き出しています。このハイフェッツの演奏はヴァイオリニストの指標となり、その後のシャコンヌの解釈に多くの影響を与え、クラシック作品の中で最も偉大な演奏のひとつとされています。
改めて聴いたがハイフェッツの無伴奏ヴァイオリンが、こんなに素晴らしいものとは思わなかった。ショックを受けた。というのは、この録音があることは、学生の時から知っていたが、当時はシゲティが一番だった。我々はレコードで何を聴いていたのかと思う。50年聴いてきて音楽を聴いていたのかと反省しなければと思う。
【収録情報】
Disc1 JSバッハ: 1. 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV.1001
2. 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調 BWV.1002
3. 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調 BWV.1003
4. ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調BWV.1041 Disc2
5. 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番二短調 BWV.1004
6. 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調 BWV.1005
7. 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調 BWV.1006
8. ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV.1042
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団(4,8)
アルフレッド・ウォーレンスタイン(指揮:4,8)
録音年月日/初出レコード番号:
1952年10月21,29日/LM1976( 1)
1952年10月23,29日/LM2210(2)
1952年10月24,25,29日/LM2115(3)
1952年10月23日/LM1976(5)
1952年10月22,29日/LM2210(6)
1952年10月22,29日/LM2115( 7)
1953年12月6日/LM1818(4,8)
録音場所:
ハリウッド、RCAビクター・スタジオ(1-3,5-7)
リパブリック・ピクチャーズ・スタジオ(4,8)
復刻プロデューサー:エリック・ウェン
復刻エンジニア&マスタリング:Rick Torres
ヤッシャ・ハイフェッツ / Jascha Heifetzのヴァイオリンの音は鋭い運弓と力強いヴィブラートによって創り出されるその音色は非常に特徴的である。演奏家それぞれの個性などという次元ではなく、ハイフェッツがヴァイオリンを奏でることで、別質の新しい楽器がそこにあるかのごとく錯覚を起こしそうになる。その余りに強烈な個性故に、好みが別れることもあるだろう。だが、その演奏スタイルは協奏曲から小品に至るまで他に得難い魅力に溢れている。
ハイフェッツは1917年にRCA初録音を行い、以降55年にわたりヴァイオリンのおよそ主要なレパートリーをほとんど録音している。この中には、ハイフェッツが紹介することで再評価された作品や、ハイフェッツに感化されて作曲されたもの、またハイフェッツ自身により演奏会用に編曲されたものも多く含まれている。どの曲の録音も素晴らしいが、スコットランド幻想曲はこれまでに彼と比肩するほどに消化できている演奏は多くはない。またコルンゴルトの協奏曲も、20世紀中はほぼハイフェッツによる演奏・録音のみが孤高の存在であった。小品もまた、カミソリのような技巧の切れ味と歌い回しの粋さが同居しておりハイフェッツのソロ・ソナタ&パルティータは、一般的にそれほど高い評価を得られているわけではありません。シェリングやグリュミオー、最近ではクレーメルやテツラフの方が、バッハらしい演奏かもしれません。ですが、ハイフェッツの演奏でフーガを聴くと、各声部がはっきり浮かび上がって聞こえます。これが、他の演奏に無い特徴です。もちろんシャコンヌをはじめとして、フーガ以外も曲の構造がよく分かる演奏です。音色は素っ気ないし、テンポの速さが気になる面もあります。解釈的にも古めかしい面もあります。
chaconne. スペインに起源する野性的,官能的な4分の3拍子の舞踊。 民俗舞踊としては現存していない
この曲は「シャコンヌ」という題名で広く知られていますが、正式な題名は「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の中の「パルティータ第2番BWV. 1004」の中の第5楽章です。
Johann Sebastian Bach:パルティータ第2番ニ短調 BWV1004 第5楽章Partita in D minor for solo violin(BWV1004)5.Chaconne
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV.1001
ヴァイオリンの音色についての不思議、ひとつのヴァイオリンを違う人が演奏した時に、楽器の音は変わるのでしょうか?結論から言うと、変わります。演奏方法で楽器の音量も音色も変わるはずです。その変化を起こす技術が演奏者に必要です。 ヴァイオリンで言えば、弓の張り方ひとつで音色が変わります。 弓の毛を当てる弦の場所が、数ミリ変わるだけで音色が変わります。圧力がほんの少し変わっても音色が変わります。弦の押さえ方でも音色が変わります。ピッチがほんの少し変わっただけで、音色が変わります。いつも決まったピッチで、それぞれの音の高さを演奏していると、ヴァイオリンが共振しやすくなります。此の様にデリケートなことで音色の違う音色でヴァイオリンの美音とはハイフェッツの神懸り的なテクニックには他に比類がなく、すべてのヴァイオリン奏者は彼のことをおいそれと批判をすることはできないだろう。20世紀初頭頃までのクラシック音楽の演奏には曖昧さが許され、またかえってそれを良しとする風潮があったと言えるのかも知れない。ブラボー!