伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

古いアルバムのPeterson Trioを再聴する、1959年から1960年時代で変化したOscar Peterson Trioの歩みを考察

2025年02月26日 | JAZZ・ボサノヴァ

これは今となっては希望に満ちた米国ニューヨークの摩天楼であった。

その様な事を思いながら過ごすが、思いもよらないニュースが入る「叔父が創設したUSAIDは軍産複合体によって乗っ取られた、とロバートケネディジュニアが語る真実の物語なのである。保健福祉長官に任命されたロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が、叔父のJFKが創設したUSAIDが軍産複合体に乗っ取られたことにより、「全体主義の邪悪なプロパガンダ機関」になってしまったことを語った」と言い出したが詳しく分かるまでUSAIDの事実が明らかになるのであろう!
現在NHKの報道ではUSAIDでの収賄はデマと言っているそうでが、此のニュースが明らかになればNHK崩壊に繋がるのが見ものでもある!

途中のニュースで驚いたが話は戻します。1960年CBSスタジオでのライブ スコット・ヤノウによるレビュー1959 年に大量の音楽を録音した後、オスカー・ピーターソン・トリオは1960 年にスタジオ アルバムを 1 枚 (The Music from Fiorello) 制作しただけで、1961 年 7 月 28 日まで再び記録されることはありませんでした。
この 1997 年の CD には、カナダ放送協会向けに録音され、数十年後まで商業的にリリースされなかった 10 曲が収録されています。ピアニストのピーターソン、ベーシストのレイブラウン 、ドラマーのエド・シグぺンは、いつものように激しくスイングし、OP が主役です。予想どおり優れたプログラムのハイライトには、ピーターソンの「Blues for Big Scotia」、「My Heart Stood Still」、「How About You」、「Cookin' at the Continental」、「Dancing on the Ceiling」などがあります。このタイトなトリオは、一貫性がなければ無敵でした。



おかしいなあと思いつづけて聴いていたいた筆者にも、少し納得できたのが、シェイクスピアフェスティバルのオスカー・ピーターソン・トリオだった。
此のアルバムだけ聴けば・・・うん、これはさすがに凄いと納得するのですが!
けれど音がずいぶん悪いなあ?当然のように現在のトリオと楽器の設定が違っている、正直このシェイクスピアフェスティバルのオスカーピーターソン購入後余り聴いてなかった。当時は音楽より音質重視の方向性が強かったです。

所が現在の愛機TANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetのセットで聴くかぎりギターのハーブ・エリス音が実に光る、哀愁を感じるのである。ギタートリオ時代と、エド・シグペンのドラム入りトリオ時代の違いを。



確かに昔読んだ五味康祐の作品に「人間の死にざま」と言う本がある内容は西方の音が書かれているがその内容に(モーツアルト弦楽四重奏曲K590の文中に五味氏がフォンテーン氏に会うのに英国に飛んだが、心臓発作でフォンテーン爺さまは倒れ面会謝絶のため、スピーカー製作工程でも見せて貰おうとロンドンに飛んだ、実見してその工場のチャチなのに二の句がつげなかった。裏町の町工場もいいところだ。銘機と讃えられたスピーカーがこんなむさい場所で造られるのか。もっとも、英国デッカ本社を十年前訪れた時、その規模の小さい事に唖然とした経験がある。天下のデッカが、ヴィントガッセン、ニルソン、フィッシャー・ディスカウと言った一流どころを揃えウィーン・フィルを使ったあの「指輪」を制作する程のレコード会社が、実はハイヤーの運転手にさえ知られぬ小っぽけな建物だったのに比べれば、たかがオーディオ部品のメーカーである、汚い工場でr不思議はない。二の句がつでなんだのは中で働く連中を見たからである。その半数は黒人だった。ちっとも構はしないが、彼女らは下品だった、まるで娼婦が足を洗って工場に勤めるといった、それも自堕落な性分は改まらず、卑猥なお喋りを絶え間なく続けながら、スピーカーの生命と言うべきコイルを巻き、ナットを締めている。兎に角僕らが隋喜しゅ芸術的な・・・教養ある、とも以前に私な言った・・・気品高い音を出すスピーカーを拵える人達とは、どうしても見えない。)と書かれていたのだ。



との様に思い出を語った五味氏の内容だが、当時から日本の工場での製品管理された工場とは比べ物にもならないと感じた、想像するにその様に価値のある物を製造していると思わず仕事をしてのであろう。その製品は紛れもなくフォンテーン爺さまが考えたヴィンテージ製品でったのであろう。その工場で作られたユニットを今も伝説的なオーディオ神話に犯されたファン達はその品々後生大事に取り扱い、まるで宝物の様にしているが、此のユニットを作った人達はまるでその様な事は夢にも思いもよらなかったであろう。

日本人は昔より三種の神器なる皇位とともに歴代の天皇に伝わる宝物で、鏡と剣、曲玉があります。 剣と曲玉は合わせて「剣璽と呼ばれ、天皇の位と一体のものとされ、皇室経済法が定める「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」と位置づけられています。此の様に物を大切する思い昔ながらあった風習である。



いや日本人特有の物にも魂があると言う昔からの教えの一つの考え方であろう、アインシュタイン博士以降の今後人類が考える量子物理学分野(私たちの体をはじめ、すべての物質は原子から成り立っている。 「量子」とは、原子やそれを形作る電子、陽子、中性子、さらに小さなニュートリノやクォークなど、私たちの暮らす世界とは異なる法則が働く粒子のこと。 その法則は「量子力学」と呼ばれ、物理学の中でもとりわけ難しい分野とされる)の世界が所謂訳の分からない世界の様に思う、基本的に考えれば一番にスタート地点にいるのは日本人が一番近い世界に近づいている人種の様にも感じるのである。自然崇拝をし、物にも魂を宿すとする教えを持つ世界的に見ても数少ない人種でもある。

確かにjazzにはジムランの8吋(LE8T)との相性が良いと言われるが、ハーブ・エリスのギタートリオ時代の音楽(jazz)の違いは定評あるジムランでも味わえないのである。今回五味先生の本の中にある言葉で音楽を聴くと様々な思い入れが広がるが、筆者が思う勿論それはjazz音楽もTANNOY ⅢLZユニットで視聴がより優れているのかの疑問が解けた瞬間でもありました。一般的には音質に疑問のある「シェークピア・フェスティバルのオスカー・ピーターソン」はギターがハーブ・エリスに代わり、ピーターソンのギタートリオ時代の最高傑作と名高い作品と言うことがやっと理解した瞬間でもあった。
シェークピア・フェスティバルは文字通り演劇を中心にシェークスピアに関連する催しをする、毎年イギリスとカナダで行われているフェスらしい。最初、僕はシェークスピアとピーターソンが何の関係があるのかわからず、単にカナダ出身で成功を収めたミュージシャンの凱旋帰国演奏ぐらいに思っていたが、今回調べてみて上記のような関係があることがわかった。



購入当時の感想はまず、音が非常に悪すぎると感じたが。それは録音された時代を考えるといたしかたないことではあるが。だがハーブ・エリスのあの安物のようなギターが聞こえてきたとたん、思わず驚いてしまった。さらにピーターソンのミーミー言ううなり声も耐えられるものではなかった。以来このアルバムは余り聴くことはなく、オーデフィオ機器も現在より数段落ちた機器の事もあった。ピーターソンの目指したジャズの面白さを理解できなかったのかもしれない。今さら言うまでもないが、三人の圧倒的テクニックには脱帽するしかない。技量にまかせて乱暴に弾きとばすことはなく、イマジネーション豊かなソロを聴かせるのもかれらの音楽性の高さを証明している。ピーターソン・ファンならずとも、ジャズ・ライヴの代表的アルバムとして、持っていて損はない。たまにじっくりきけば「名盤」の名に恥じない味わいが楽しめる一枚であろう。



オスカー・ピーターソンは1925年(大正14年)に、前述したようにカナダのモントリオールで生まれました。世代的には26年生まれのトランペッター、マイルス・デイヴィスやテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーンとほぼ同世代です。しかしカナダ生まれということと、〝ビ・バップ〟以前のピアノ奏法も取り入れた独自の演奏スタイルゆえ、合衆国の黒人ジャズマンたちとは微妙に違う道を歩むこととなりました。
なんといっても大きな出来事はヴァーヴ・レーベルのオーナー・プロデューサー、ノーマン・グランツとの出会いでしょう。
グランツは、JATP(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)という大物ジャズマンを多数擁した連続コンサートの企画者として有名ですが、彼がカナダを訪れた際、ピーターソンを見いだしたのです。いっぺんでピーターソンの才能に魅了されたグランツは、ピーターソンをJATPのメンバーに引き入れます。〝ビ・バップ〟真っ盛りの49年のことでした。



その後グランツは自身のプロデュースするレーベル(マーキュリー、クレフなど。のちにヴァーヴに統合)でピーターソンのレコーディングを大量に行なっているだけでなく、ピーターソンの個人マネジャー的な立場となり、長きにわたる親密な関係が続くこととなったのです。
実力あってのこととはいえ、アメリカ・ジャズ界に取り立てて人脈がなかったピーターソンにとって、これは大きなチャンスでした。
オスカー・ピーターソンとノーマン・グランツはある時期まで一蓮托生の関係にあって、カナダ出身のピーターソンをアメリカに紹介したのも、彼のデビュー・アルバムをプロデュースして自分のレーベル、クレフから発売したのも、その後のマネジメントを一手に引き受けたのもグランツである。
ピーターソンが1949年9月にニューヨークのカーネギー・ホールで開催されたJ.A.T.P.コンサートに出演してアメリカの聴衆に初めてプレイを聴かせたのは、ベーシストのレイ・ブラウンとのデュオ演奏だった。ドラムレスの演奏となったのは、アサインされていたバディ・リッチが共演を拒否したからである。すでに別のセッションで演奏していたリッチは、「疲れた」という理由で無名のピアニストのバックに入ることを嫌がったのである。
しかしその結果、ピーターソンとレイ・ブラウンの相性のよさがたいへんわかりやすい形で示されることになり、ピーターソンのデビュー・アルバム『テンダリー』(1950年)の12曲中9曲はブラウンとのデュオで録音されることになった。以後1966年まで、17年の長きにわたってブラウンはピーターソンのグループで演奏を続けた。今日オスカー・ピーターソンの名盤、人気盤とされているアルバムのほとんどがこの17年間の中にすっぽり収まる。250枚はあると言われているピーターソンのリーダー作ならびに参加作中、最も高い人気を誇る『ウィ・ゲット・リクエスツ』(日本では『プリーズ・リクエスト』というタイトルで発売された)は、ピーターソンとブラウンの長いタッグの最後期の記録であると記された。



ハーブ・エリス(Herb Ellis 出生名:Mitchell Herbert "Herb" Ellis 1921年8月4日~2010年3月28日)はアメリカ合衆国テキサス州生まれの白人ジャズ・ギタリスト。
CDは制作がユニバーサル・クラシック&ジャズ、発売・販売元がユニバーサル・ミュージック株式会社、レス・カーター(Les Carter)氏による英語オリジナル・ライナーノーツ、小川隆夫氏と星野秋男氏による日本語解説、6曲入り。
(メンバーはギターがハーブ・エリス、オルガンがロン・フェイアー、テナーサックスがテディ・エドワーズ、ベースがモンティ・バドウィッグ、ドラムがスタン・リービーヴィー)
演奏はハード・バップではない、ジャズから解放されブルース、カントリー、ポップス風のハーブ・エリスが、やりたかったサウンド。ちなみにジャケットのハーブ・エリスが持っているギターは「Gibson 91' ES-165 HE VS」ハーブ・エリス・モデルの様だそうです。



レイ・ブラウン(Ray Brown:1926〜2002)
レイ・ブラウン(Ray Brown)はアメリカ・ペンシルバニア州出身のジャズベーシストです。スインギーなリズムや太い音色など、ジャズベースの王道的なスタイルを持つプレーヤーです。1926年10月13日ペンシルバニア州ピッツバーグで生まれます。8歳の頃からピアノのレッスンを受け始め、高校ではトロンボーンを手にしますが、学校のジャズオーケストラのベースパートに欠員が出てウッドベースに転向します。高校時代のレイはデューク・エリントン楽団のベーシスト、ジミー・ブラントンをアイドルとしてベースの研鑽に励み、次第にピッツバーグのジャズシーンで注目の存在となっていきます。



オスカー・ピーターソン・トリオにサックスのスタン・ゲッツが加わったカルテットでの演奏。このころはまだドラムのエド・シグペンがトリオに加入しておらず、ギターのハーブ・エリスとオスカー・ピーターソン、レイ・ブラウンのトリオでした。
1951年、ディージー・ガレスピーバンドのリズムセクションを担当していたブラフォンのミルト・ジャクソン、ピアノのジョン・ルイス、ドラムのケニー・クラークとともにミルト・ジャクソン・カルテットを結成します。翌年にはバンド名をモダン・ジャズ。カルテットと改名し、アルバム「The Modern Jazz Quartet」のレコーディングを行います。レイはこの後すぐにバンドを離れますが、MJQの相性で知られるこのバンドは、メンバー変更等や活動休止を繰り返しながら90年代まで活動します。MJQ加入と同じ頃、レイはピアニスト、オスカー・ピーターソンのトリオにも参加します。1966年まで在籍したこのトリオは、レイの活動の中でも最もよく知られており、特にドラマーのエド・シグペンが加入(これ以前はピアノ・ベース・ギターのトリオで活動)してからのレコーディングには、には名盤と呼ばれている作品が多数あります。



シェークスピア・フェスティヴァルのオスカー・ピーターソン

 1. Falling In Love With Love 恋に恋して
 2.How About You ハウ・アバウト・ユー
 3.Flamingo フラミンゴ
 4.Swinging On A Star スウィンギング・オン・ア・スター
 5.Noreen's Nocturne ノリーンズ・ノクターン
 6.Gypsy In My Soul ジプシー・イン・マイ・ソウル
 7.How High The Moon ハウ・ハイ・ザ・ムーン
 8.Love You Madly ラヴ・ユー・マッドリー
 9.52nd Street Theme 52丁目のテーマ
演奏:
  オスカー・ピーターソン(P)
  レイ・ブラウン(b)
  ハーブ・エリス(g)

Oscar Peterson Trio オスカー・ピーターソン・トリオ
ピアニスト/作曲家のオスカー・ピーターソンが率いたジャズ・コンボ。1951年からの初期メンバーはレイ・ブラウン(b)とアービング・アシュビー(g)。58年までにギターがバーニー・ケッセル、ハーブ・エリスと代わり、翌年よりギターに代わってドラムスのエド・シグペンが参加。この黄金期メンバーはしばしば“ザ・トリオ”と呼ばれる。
オスカー・ピーターソンは、カナダ、ケベック州モントリオール出身のジャズ・ピアニスト。 スイング期の流れを汲む奏法にモダンな和声感覚を取り入れたスタイルで、ジャズ界きっての超絶技巧を誇り、ダイナミックかつ流麗な即興演奏で知られる。強靭なタッチと明快な演奏が身上。ベーゼンドルファー製のピアノを好むシェークスピア・フェスティヴァルの演奏もハーブ・エリスとのやり取りは実に絶妙で此の基盤があってドラムが加わり黄金期に変化した。



オスカー・ピーターソン・トリオ: ライヴ・アット CBC スタジオ、1960 スタンダード・エディション CD バージョン。流石CBC スタジオでの録音の良さ60年代初頭の作品ではあるが、演奏も充実し今後のピーターソン・トリオの新しい幕開けに相応しいさ品でもある。
この特別版は、2006 年 12 月 14 日にカナダの Just A Memory からリリースされました。このアルバムは、ジャズ、コンテンポラリー ジャズ、スウィング、バップのジャンルにわたります。



Live at Cbc Studios (1960)

 1. 心は止まった My Heart Stood Still
 2. ビッグスコシアのブルー Blues For Big Scotia
 3. 秋の紅葉 Autumn Leaves
 4. スウィートジョージアブラウン
 5. あなたはどうですか Sweet Georgia Brown
 6. ナッツはたっぷりある I Got Plenty O' Nothin'
 7. コンチネンタルでの料理 Cookin' At The Continental
 8. 何時だったか分からなかった I Didn't Know What Time It Was
 9. 愛あれ Let There Be Love
 10. 天井で踊る Dancing On The Ceiling
演奏:
  Bass –Ray Brown
  Drums –Ed Thigpen
  Piano –Oscar Peterson

一年で変わったオスカー・ピーターソン・トリオ: ライヴ・アット CBC スタジオ、1960 スタンダード・エディション CD バージョン。
この特別版は、2006 年 12 月 14 日にカナダの Just A Memory からリリースされました。このアルバムは、ジャズ、コンテンポラリー ジャズ、スウィング、バップのジャンルにわたります。
いずれにしても此のメンバーがPeterson Trioのベストメンバーでレコーディングももっとも多い安定したメンバーでもある。ブラボー!


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1 コメント

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ハーブ・エリスの・・・ (mobu)
2025-02-28 18:47:07
Gibson 91' ES-165 HE VS

彼は活動中、ES175とES165(シグネチュアモデル)を使っていたようですね。
ジャズマンがよく使うモデルですが、演奏者により、メーカー違いや型番違いの
楽器の入れ替えが多い方とそうでない方がいます。同じようなモデルでの取り換え
もありますが、演奏スタイルもありますが、エリスは後者なのかもしれません。
ブログに使われてた写真が鮮明だったので思い出したことがありました。
ヘッド近くの指板のところに金属製の部品が取り付けられています。
彼以外にも時折見かけることはありましたが、多くありません。今どきの楽器
にはついていません。検索の範囲がネットまで広がり、この部品がどういうもので
あるか突き止めることができました。若いころからの長年のもやもやしたものが
解消できました。これはネットの恩恵でした。ピーターソンの話題から外れてすみません。
Oscar Peterson Trio - My Heart Stood Still - Mono to Stereo Mixは配信で聴きました。
スタジオのホールトーンが独特で、スタジオ収録だなということがわかりました。
ピーターソンはいつものように指も回り、聞かせどころは外しませんし、ブラウンの
ベースはほんと的確で教科書のお手本の様なつくりですが、それもまたいいものがあります。
シグペンのドラムもタイミングよく決まっていて、このトリオの良さが出ている1枚だと
思いました。
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