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前日は山内丸山遺跡見学で楽しみ、青森駅近くのホテルにて宿泊した、朝5時頃には習慣的に目が覚める、カーテンを開けると曇り空なので、青森駅、青森港もホテルから近く早朝散歩に出かける。
歩き始めると案内サインを見つけ、場所の確認をする、知らない場所にはこの様なサインは大変便利でもある。近くには近代的な道路が開設されている、道路と並行して走るお洒落な遊歩道もあり早速散歩する。この遊歩道は湾内の相当遠くまで続く様です。
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遊歩道には釣りを楽しんでいる方もいた、釣り物を聞けば、今の時期はノッコミの「真鯛」で5〜60センチクラスが釣れると言われる、この様な岸から近くで真鯛が釣れるとは驚きである。
ベイエリアで真っ先に目に付く地上15階、高さ76mの三角形の建物であり観光&物産の発信基地になっているそうです。
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青森駅も近く始発電車?が青森駅に到着した様である。現在新鋭機を増設している雇用である。
この建物は「ねぶたの家 ワ・ラッセ」大型ねぶた5台を展示及び保管場所であるそうです。今年はコロナ禍も終了し開催の模様である。
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次は青函連絡船 メモリアルシップ 八甲田丸である、なんと戦前青函連絡船近くには戦災の被害はあったそうで、当時の米国大統領は日本人皆殺しを望んでのであろう、一般的に考えればこの様な場所に何故爆弾を落としたのであろうか?全く不思議な思いである。戦争とは誠に残虐であるが一般市民には迷惑な事であり中世のナイトの時代が余程紳士的である。
最も当時の米国には良い、悪いが判断できない大統領だったのかも知れない。
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後日、東京大空襲、広島・長崎に落とした2種類の原爆は、もはや戦争ではなく大量殺戮である。ハリー・S・トルーマン、ドワイト・D・アイゼンハワーは日本人大量殺戮者でもある。
勘違いしないでください、自由な国・米国では無く、大量殺戮者の米国だと言う意識は決して我々は忘れてはならない事実である。特に歴史の短い西洋人種の白人系は残虐である、当時間違い無くリー・S・トルーマン、ドワイト・D・アイゼンハワーとソ連のレーニンは日本人撲滅を本気で考えていた事実が今も残る。
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未だ米国の属国と言われ続ける日本は何時になれば独立できのであろうか?岸田は何時までも売電のポチ状態であり、実に情けない状況にある様です。
さてさて筆者が思うは、戦後日本経済も順調に伸びた初任給20,000円前後から今や(1990年代)200,000円前後およそ10倍に増えたがバブル以降全く変わらない生活を続けるが、その頃から大マスゴミに変化したマスゴミが騒ぎ出したことは環境問題をニュースにした頃より悪くなっている。
最近に至っては化石燃料を使い自動車はEV移行を叫ぶが最近になりやっと間違いに気付き始めたのが現状である。パクリEVで安価に製作したEVは良く燃える車だそうであり、被害が出て当然なのであり、馬鹿な主張にそこで初めて間違いに気付く、欧州自動車業界と新規参入の中国共産党である。
今毎日、朝日の大手新聞社は窮地に陥っている。今まで大手マスゴミは天に向かって唾を吐き続けた結果が現状である。一刻も早くTVも含め媒体は無くなれば良く、政治家もいない状態で今の日本は政治屋ばかりである。
正直今や(親中)公明党と連立する自民党は時代遅れな政党になり下がり、悪の巣窟の様の状態である一刻も早い解体が迫られているのではないか。
この連絡船は1908年から1988年までの80年間で青森と函館を結ぶ連絡船として、1億6千万人の乗客と2億5千万トンもの貨物を運びました。
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青函連絡船の1番の魅力は、貨物車両を搭載する車両甲板です。当時の面影が制限されていました。
大東亜戦争当時の大統領フランクリン・ルーズベルトが原爆も発令して最終的に命令(虐殺)したのはトルーマンであるが、日本人を皆殺しを考えていたのであろう。肝に銘じるべきである。勿論民間人は関係ないのに東京(虐殺)大空襲他日本に主要都市にも空襲の被害を与えたルーズベルトはアングロサクソンの獣の様な性悪であったのであろう。
改めて青函連絡船を見れば相当の大きさがわかる。八甲田丸主要データ、全長132.0m、総トン数5,382.65トン、積載車両48両とされる。
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この先にはフェリーの切符売り場の建物もあり立派な建物がありそう先は海に続く防波堤があり朝の臨かな風景でもある。
ここが八甲田丸見学入口のようで入り口には八甲田丸のプロペラがモニュメントになっている。
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早朝は曇り空でしたが、散歩から帰る辺りは青空を広がり、良い塩梅になりそうである。
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ホテルに帰り朝食を済ませ、仲間で浅虫温泉方面に出発する。
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有名な「湯の島」は浅虫観光港から西北800mの沖合いにあります。4月中旬には全島カタクリが咲き乱れるそうです。
湯の島近くの小さな岩の島の見学、この島の反対側では釣り人もいました。浅虫の海岸は釣り堀の設備も完備している様です。
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近くに駐車場もあり、民宿もあり通りは焼き物の良い匂いがする、早速注文し、朝から帆立の磯焼きを頂く、肉厚で実に旨い、この辺りの名物であるそうです。
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暫く走ると「浅虫水族館」がある。入り口で記念写真です。
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海の中を歩いているようなトンネル水槽や可愛いアザラシ、ペンギンたち。この他、イルカショー、いるか館などもあるそうです。
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海亀の回遊するポールから、ホタテ貝の養殖をあしらったプールで地元色が強い見せ方が気に入りました。
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イルカショーを見学して浅虫水族館を後にする。
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さてこの辺りで珈琲タイムにした、この珈琲抽出の入れ物も随分淹れ方のコツが分かり美味しい珈琲を頂いてます。夏でも涼しい部屋で頂く珈琲はホットに限る様です。但し注意する事は抽出時の温度である。
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次に行ったのは「青森県立三沢航空科学館」である、三沢に近づくと関東の横田基地とも共通する米軍基地独特の街並みが続く、なるべくこの基地が賑わう事がないように、平和が続く事を願うが・・・敗戦国から属国が続いた我が国もこの辺りで米軍が承認した憲法も改正し世界に示す平和な独立国にと願う。
三沢飛行場、現在F-35A戦闘機も所有する三沢基地(航空自衛隊)、米軍三沢基地に隣接する三沢航空科学館である。
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「青森県立三沢航空科学館」に到着ここで昼食タイムである。
入場して直ぐに1931年、ミス・ビードル号は三沢市淋代海岸から、米国ワシントン州ウェナッチ市まで世界初の太平洋無着陸横断飛行に成功した飛行機の展示。
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当時話題となった世界初の太平洋無着陸横断飛行だそうです。
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戦後初の国産輸送機YS-11も展示されたいた。計器一杯の操縦席です。
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グライダー操縦体験、操作員の方には丁寧な操縦方法も教えられ全ての飛行機の操縦は同じと教わる。少し訓練すれば操縦できるかもしれない?
ホモサピエンス族は冒険心、探究心な遺伝子が組み込まれている為、昨日行った山内丸山遺跡の丸木船で大海原に出かける気分はホモサピエンスが持っている遺伝子のせいであろう。
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歩道のタイルにもこの様なタイルが所々あしらわれていたのが印象的でした。
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そして三沢航空科学館を後にして八戸に向かう。
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八戸のホテル到着しチェックインすると、八戸は漁港で大変活気があり、飲み屋さんも実に多く、街全体が昭和の匂いがいっぱいでした。
適当に魚の美味し様なお店を選び、二日目の飲み会の始まりである。気の合った仲間と行く旅は実に気分が良い、明日も東北の旅を楽しむのであった。
今回の旅は軽装のためカメラはコンデジと携帯のカメラでの撮影で画質は悪いのですが、持ち運びは軽く大変良かった。ブラボー!
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