昨夜は年始の飾り付けの仕事で早朝4時頃帰宅、途中初日の出をと思い早朝高速の渋滞情報を見ると。海から上がる初日の出は縁起が良さそうである。「海ほたる」方面は全て通行止め、おとなしく横浜方面より寄り道もせずに帰路につく。
無事帰宅し、早速手洗い、嗽をし、お帰りの挨拶はワンコの「モジャ」がじゃれ付きます、早速お風呂を沸かし、勿論戴き物の柚子をいれ、柚子湯に浸かる、じっくり温まり身体は消毒の意味も含め石鹸でくまなく洗う。
昨夜も武漢風邪の陽性になった方は東京では1,000人を超えたそうです、ステイホームを叫び国民を恐怖に落とし組む東京都知事は如何に、今年の最初に武漢風邪対策し冬場になり拡大すると分かっているのに、対策は全く出来なかった事は棚にあげ、都民を脅しひたすらお願いと警告を発して脅しいる、当初都知事選に出馬当時から疑問視した筆者だが、老人が多い日本で無駄に英語を使い、やはり何も出来ない無能なヒステリックな都知事も都民が選んだ人選ではある。
早朝5時に就寝・・・午後にゆっくり目覚める、簡単なシャワーで目を覚まし、2021年の挨拶、今年もよろしくおねがいします。
例年の如く筆者の制作はイラレで制作し、年賀状の住所を削除したPDF年賀状を毎年掲載しているが、年々手抜き作業に成っていくようで宛先だけは肉筆としている。
昨年末に入手したTANNOYのエンクロージャーの相当癖の強いユニット、HPD295からのⅢLZモニターゴールドに交換し、随分GOODMANS AXIOM 80のA.R.U付きの箱にも馴染み同じ10インチのTANNOYのユニットで音質の変化に驚く、1965年当時LP購入し聴いたグスタフ・レオンハルト (Gustav Leonhardt)の透き通るようなバッハのチェンバロ/バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV.988/グスタフ・レオンハルト/独TELEFUNKENを正月最初に聴き直そうと考えていた。
特に聴き方は決して大音量では聴かず、適度な音量(普通の話し声でも聞き取れる程度)で十分、J.S.バッハの音楽は、いや少音量で密かに聴くのが何故か説得力がある様に思うは筆者だけであろうか?高音の音質は爪で弾く弦音が触れる瞬間から解る響きが実に綺麗に響く、別次元のように聴こえる・・。
正月らしくお琴で奏でるゴルトベルク変奏曲などあれば一度聴きたいとおもう。
勿論1967年当時は単品のユニットとしてTANNOY Monitor Gold III-LZとネットワークが付属して販売していた記録もあります。
勿論自然な音とは若干違い10吋TANNOY独特の作られた音かも知れない、高音の少し綺羅びやかに聴こえる音は、実に魅力的なユニットと思う、ピアノの音等も膨よかな低音が加わり独特のグランドピアノらしい味のある作られた音だがこの魅力に嵌まれば手放せない音楽が聴こえる。勿論チェンバロの響きも大変素晴らしくレオンハルトの演奏が輝く。
HPD295の鳴り方とは随分違い、人によってはHPD295が自然に近いと言われる方もいますが、筆者はⅢLZモニターゴールドを絶賛する。
勿論程よくメンテナンスし全ての真空管を交換良い調子になったLUX KIT/A3500パワーアンプとⅢLZモニターゴールドでのコンビは流石音楽の美しさ、バッハらしい清潔な清々しいチェンバロの音を響き長年求めた音に近づいた音がバッハの音楽が鳴った。勿論300Bシングルも良いがEL34のダブルプッシュの力強さ好きだ、アリアから静かに聴きながら、武漢風邪の一刻の早い収束を願うことであり、今年も平穏無事を祈るばかりである。
筆者の持つ300Bのアンプはナス管と相性が良いと言われ、PSVANE HIFI系なす管300B-Nを勧められたが調べると値上がりしている様子です。正規品のPSVANEは全て高額になっていて驚く。
バッハ/ゴルトベルクを聴きながら、もし、レオンハルトがいなかったら、この世界はどのようになっていただろうか、と考えたのである。
もしレオンハルトがいなかったなら、アーノンクールやブリュッヘン、ビルスマ、クイケン兄弟など古楽の同志や仲間たちの演奏活動は随分違ったものとなっただろう。彼の周囲に参集した若い古楽奏者たちは、もし彼という中心がなかったら、何処に集まったのだろうか。オランダは古楽復興の世界的な中心地となっただろうか。
チェンバロを取り巻く状況はどのようになっていただろうか。彼が演奏活動を始めた1950年代の前半には、「チェンバロ」と言えば「モダン・チェンバロ」を意味した。「モダン・チェンバロ」とは、ピアノのように堅牢な構造体にチェンバロの弦をはじくアクションを組み込んだ楽器で、今日広く用いられている「歴史的チェンバロ」とはおよそ似て非なる楽器であり、チェンバロと言うよりは「チェンバロ化されたピアノ」を呼んだ方がふさわしいものであった。
今日では、当時を知る多くのチェンバロ製作家やチェンバロ奏者が「怪物」とか「モンスター・マシン」などと呼んで、モダン・チェンバロに対しては否定的な評価を下しているが、歴史的チェンバロの魅力を世界中に伝えたのは、1960年代のレオンハルトのレコードであった。筆者も、その音色に魅せられて彼のファンになった1人である。
もし彼の演奏に出会うことがなかったら、いまだにモダン・チェンバロを弾いていたのだろうか。歴史的チェンバロの奏法は、彼の弟子たちによって世界中に広がったのである。アラン・カーティス、アンネケ・アウテンボッシュ、クリストファー・ホグウッド、ジョン・ギボンズ、鍋島元子、トン・コープマン、ボプ・ファン・アスペレン、シェティル・ハウグサン、ロバート・ヒル、グレン・ウィルスン、スキップ・センペ、ピエール・アンタイ、リチャード・エガー、ケネス・ワイス。そして孫弟子たち、アンドレアス・シュタイアー、クリストフ・ルセ、鈴木雅明、アリーン・ジルベライシュ。
大きな影響を受けたことを公言しているトレヴァー・ピノックのような人たちを加えると、その人数は果てしなく膨らんで行く。
レオンハルトが不世出の名演奏家であったことには議論の余地がないが、「創始者」という面に着目しただけで、もし彼がいなかったら今日の古楽の世界は成立していなかったのではないかという感を強く抱かせる。その意味で、彼が、20世紀後半から今日にかけてのクラシック音楽界において、最も大きな影響力を持った音楽家の一人であったことが実感されるのである。
レオンハルトは、1928年5月30日、オランダの富裕な実業家の家庭に生まれた。母方はオーストリアの貴族で、とても厳しくしつけられたそうだ。彼のノーブルな風貌とエレガントな立ち居振る舞い、感情を表に出さない静かな物言いなどは、こうした生い立ちに多くを負っているに違いない。幼少よりピアノとチェロを学ぶ。
オランダ人にはよ珍しい「グスタフ」というドイツ風の名前は、父親がマーラーの熱狂的なファンだったからだという話を聞いたことがある。もし本当だとすると、彼の後年の音楽的な関心や趣味からは最もかけ離れた作曲家の名前を貰ったことになる。しかし、父親はバッハやバロック音楽に対する関心も強く、レオンハルトがまだ少年の頃、チェンバロを購入した。ドイツのモダン・チェンバロの代表的メーカーであるノイペルト社の製品であった。ドイツ軍の占領下、外出も出来ないという不自由な生活が1年半も続いたときも、レオンハルト少年は夢中になってバッハの作品をチェンバロで弾いていたという。
終戦後まもなくスイスのバーゼル・スコラ・カントールムでチェンバロとオルガンを学び、その後、指揮の勉強のために訪れたウィーンで、後に盟友となるチェロ奏者のニコラウス・アーノンクールと出会った。若冠21歳で、バッハの《フーガの技法》がチェンバロのための作品であったことを証明する論文を発表し、この大曲を弾いてウィーンでデビュー。1952年から55年までウィーンでチェンバロを教えたが、その後はアムステルダムを拠点に、古楽器による弦楽合奏団レオンハルト・バロック・アンサンブル(後に「レオンハルト・コンソート」と改称)を結成、様々な編成によるバロック期の声楽・器楽合奏を精力的に手がけるようになる。彼は通常、チェンバロまたはオルガンで通奏低音のパートを弾きながら指揮に当たったが、必要に応じて自らチェロやヴィオラ・ダ・ガンバのパートを受け持った。また、多忙な演奏活動の傍ら、後進の指導にも精力的に取り組んだ。
今も大切に保管するバッハ/ゴルトベルク変奏曲BWV.988/グスタフ・レオンハルトTELEFUNKEN直輸入盤です。購入後50年程前かと記憶する。
1960年以降、レオンハルトは、録音活動に関しては、テルデック(独テレフンケン+英デッカ)とドイツ・ハルモニア・ムンディ(DHM)の2社の間でほどよいバランスを取りながら行われた。チェンバロ独奏のものはDHMの方が多いとはいえ、テルデックにもかなりのものがある。アンサンブルに関しては、アーノンクールとの共同作業はその後もしばらく続くが、レコードにおける共演はバッハやモンテヴェルディの大曲が多くなる(《ヨハネ受難曲》、《オルフェオ》、《聖母マリアの夕べの祈り》等)。これらは何れもテルデックである。テルデックにおいて圧倒的に存在感が大きいのは、リコーダーのフランス・ブリュッヘンとの共演である。チェロはほとんど常にアンナー・ビルスマ。ブリュッヘンとアーノンクールのグループによるヴィヴァルディの《室内協奏曲集》という面白いレコードもあった。このブリュッヘン、ビルスマにヴァイオリンのヤープ・シュレーダーを加えてクワドロ・アムステルダム(アムステルダム四重奏団)というグループが結成され、テレマンの《パリ四重奏曲》とクープランの《諸国民》を全曲録音した。
レオンハルト・コンソートのレコードも、全てテルデックから出た。ビーバー、シュメルツァー、ムッファトなどのオーストリア音楽は、アーノンクールのコンツェントゥス・ムジクスと共通のレパートリーだが、アーノンクールとレオンハルトでは随分印象が違う。レオンハルトの演奏の方が軽快で溌剌としている。また、レオンハルト・コンソートには、ウィリアム・ローズやヘンリー・パーセルなどイギリスのコンソート音楽の素晴らしいレコードがあった。これら、17世紀の渋い合奏音楽は誠に滋味豊かなもので、今日、コンサートにおいてもなかなか聴く機会の少ないものだ。
レオンハルト・コンソートと共に録音したバッハの《チェンバロ協奏曲》(全曲)は注目すべき企画であった。全曲とは言っても、一番有名なニ短調(BWV1052)だけは、アーノンクールがタヘッツィのチェンバロ独奏で録音した。それ以外の協奏曲は全てレオンハルトによるもので、4台までの全てのチェンバロ協奏曲、未完のニ短調(BWV1059)、そしてブリュッヘンとの共演による《フルート、ヴァイオリン、チェンバロのための三重協奏曲BWV1044》も含まれている。
先日柏高島屋に寄り、以前購入した珈琲の銘柄ハイチ・コープが美味しく正月用に購入した。
ゆっくり珈琲を挽き淹れたてを頂く至高の一時であり、曲は次の曲に進む、晩年のバッハは年を追うごとに難解な対位法による作曲に没頭しましたが、その最後に位置する集大成がこの「フーガの技法」で、楽譜がバッハの生前に出版されなかったために多くの謎が残りました。
レオンハルトはこの作品を徹底的に研究し尽くし、従来の未完の作品という定説に反して、これが完成された作品であり、チェンバロのために書かれたことを明らかにしました。ドイツ・ハルモニア・ムンディ バッハ名盤J.S.バッハ:フーガの技法 BWV.1080を聴きながら飲む珈琲は格別である。
確かに深い香りと完成度の高い気高き音を聴く一種独特の世界は体験しないと味わえないのかも知れない。
今年もよろしくお付き合いください。ブラボー!