散歩気分で生きる毎日に一日1本、一行詩!by ミナミヒロユキ
一行詩(うた)メモ日記
休み気分好き
祈りよとどけ罪知らぬいのちに
8月20日(月)
一週間がスタートした。先週は、お盆休みの延長でずっと休み気分だったように思う。で、月曜日だ、はじまりだ、休み気分はおしまいだ。
やっぱり、休み気分はいいなぁ。春休み、夏休み、秋休み、冬休みがあったらいいだろうな。収入と引き替えなら困るけれど、そうでなかったら休みはすばらしいのである。
しかし、自由業という名の不自由業であるからして、「休みだ、バンザーイ」と素直には喜べないのだよ、「フリーはつらいよ」なのである(収入に影響する)。
そうは言っても、休みはとっても大事だから、せめて土曜日と日曜日は休みたい、仕事から離れたい。暦通りというのが理にかなっているんじゃないかな。
何でも過ぎるのはよくないし、ちょっとした工夫や機転で、じぶんのリズムを守ることはできるはず。やらないから、できないのだ。「意欲ではなく、やるかやらないか」そういうことだ。
「意欲」は精神安定剤にはなるが、ほんとうのところは、「意欲」なんて後から出てくるか、ごまかすための都合のいいことばだと、最近思うになった。
よく、「意欲はあるのですけど」なんていう人がいるけれど、「じゃあ、なにがないのだ?」、そう聞くと、言い訳がはじまる。「とにかくやる!」しかないのだよね。
エンジンは動かさないと回転数を上げることはできない。まずはキーを差し込むことなのだ、意欲なんていらん。そういうことじゃないのかな。
今週は、ややこし一週間になりそうだ。いや、もしかしたら理想の加速を実現してゴールに入れるかもしれない、望みは捨てずに、アクセルを踏み込もう。
木曜日のライブ、台風が心配である。直撃ってこともありえる、さてさて。練習だけはちゃんとしておこう。
「うちめし」
そうめんチャンプル、
サバの照り焼き(缶詰)のせ。
時間のないときは、そうめんである。
アタフタアタフタ。
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ほんのり二日酔い
美味し酒の余韻残し目を覚ます
8月19日(日)
酒残る朝、いつのまにか眠っていた。しかし、酒を飲んで寝ると眠りが浅いので、シャキーンとはしない。ぽよよーんの、一日となる(それはそれでいい休日となった)。
ふと思ったのだけれど、酒を飲み始めたのはいつ頃からだったんだろう。意外にまじめで二十歳を過ぎてからだったはず。
たしか沖縄行きのフェリーではじめて日本酒を飲んで、そう、周りは酔っていたのに、なんてことなかったんだよな。それで、オレって飲めるの?やっぱり遺伝なの?と、ね。そこで目覚めたように記憶している。バンドの合宿だった、夏休みだったな。
もう酒飲みとしては、ベテランである。しかし、ベテランでも酔うのはなぜだ?日々鍛えてきたのに、酔っぱらってしまう。そろそろ酒というものに慣れて、酒を駆逐してしまう能力が身についてもいいはずなのに、うーん、手強いぞ、酒は。
最近は、毎日飲まなくなったけれど、一回の量が多いので一日二日休んだところで休肝日になっているのかどうか、疑問だ。でも、毎日飲むよりはいいだろうと思っている。
酒とは「ながーーーい」お付き合いをしたい。100歳になっても飲みたい。そのためには、たのしい酒でないといけないのである、好きな人と飲む酒でないとダメなのである。苦い酒は身体に悪いのだ。
酒のつまみは時間だ。その時間に含まれている栄養をいただきながら、成長していくのである、うんうん。
そういう意味では、最近はいい酒を飲んでいると思う。つまらない酒は飲まなくなった。飲み過ぎだけを注意すれば、この先も酒と戯れることができるはず。羽目をはずすのは、月に一度か二度にしよう(はずすんかい!)。
9月になれば、秋の酒。ちょっとロマンをふりかけて、ヘンタイ色に染め上げて、いただきましょう。栗に松茸、いいねぇ、いいねぇ。
「一週間絵日記」
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やさしいメロディを
ほっこり流れる雲ひとつ
8月18日(土)
秋が近づくと、やさしいメロディを欲するなぁ。夏のギラギラを沈めるために必要なのか、でも、夏にギラギラなんてしなかったし、遺伝子に組み込まれたなにか、なのか。
じぶんでもわからないことが、じぶんのなかにいっぱい埋め込まれていたり、隠れていたりするよね。
発掘する荒野は無限に広がっているぞ、ときにはとんでもない爆発物も埋まっているかもしれないけれど、まだまだ、じぶんへのたのしみはあるということだ。知らないじぶんがいっぱい埋まっているわけだからね。
ただし、自爆、自滅しないようにだけはしておかないと。そのためには、期待をしないことだ。金やダイアモンドが埋まっているとは思わないことだ。じぶんほどコワイものはないのだから。
若い頃からじぶんは危険物だと思って生きてきている(じぶんを信用していないということだな、あああ)。
よく、テレビでコメンテーターが犯罪者に対して、「やさしそうに見えるのになぜでしょうか、近所の人も評判もいいし・・・」なんて、バカなことを言っているのを聞くと、一般論を信じてじぶんのアタマで考えてないなぁと、あほらしくなる。
もしくは、そうとうじぶんというものを信じているのか、賢いとおもっているのか。天の邪鬼は、そんなコメンテーターにいつも突っ込みを入れている。これもアタマの体操だと思ってね(チコちゃんになっちゃうのだ)。
(人のなかの善悪は、そんな単純なものではないはず)。
土曜日です。エアコンなしで仕事をしています。もちろんPCは立って入力しています。かなりなれました。座ってばかりの生活だと早死にするなんて脅かされたので、立ったり座ったりを実践しているのであります。
「健康で長生きしてたのしく、ヘンタイでアホして暮らす」、それが人生のテーマであるのであるで、あるのだ。よろしく!(誰に?)
「そとめし」
バッテラだ、なつかしい味だ。
ごちそうさまでした。
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秋の気配?
終わりゆく夏の匂いよ寂しさよ
8月17日(金)
秋の風? 朝、窓を開けると少し冷たい風が入ってきた。ちいさい秋、ちいさい秋、見つけた気分になる。そろそろ秋の気配が広がっていくのかなと、天気予報を見たら、もしかしたらまた35度の日々がやってくるかもしれないと言っているじゃないか。
台風も接近しているようだし、おだやかな日々というのはなかなか訪れそうにないなぁ。しかし、冬よりも夏がいいので、35度にも耐えるよ、がんばるよ。
夏の終わりのさみしさが漂いはじめている。とくべつになにかあった夏ではないけれど、夏が終わっていくというのは、さみしいものだ。冬にも春にも秋にも感じないのに、夏だけだな、とくべつな寂しさを感じるのはね。
お盆休みも終わり、子どもたちの夏休みも最終コーナーに入りつつある。いまの子どもたちは、塾やら、勉強合宿やら、習い事やら、いろいろ忙しいだろうから、むかしの子どもたちとは、夏の終わりに対する感覚が違うのかもしれないな。
学校に行っているほうが楽だと思っている子どももいるような気がする。ハードスケジュールをこなす人生を、もうスタートしている子どももいるのだろうね。わが少年時代には考えもしなかったことだ。
夏休みの教室は、野外。とにかく朝から晩まで遊ぶ、山のなかに迷い込み、川に入り、野原を走り回り、腹がへったら家に戻る、そんな繰り返しだった。そうして出来上がったのが、コイツ(オレ)だから、うーん、やっぱり、いまの子どもたちの生活が正解か?
わが人生、もし子どもの頃に戻してくれたら、やっぱり遊びほうけるでしょう。何度生まれかわってきても成長はしないということである。そう考えると、幸せな人生を歩んでいるな。これからも、遊び中心で生きていこう!
「バカでよろしい、アホでけっこう」なのだ。
「うちめし」
チャーハンである。
醤油とみりんで味付けをしてみた。
つぎは、タケノコチャーハンに挑戦するぞ。
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記憶力とは、
勝負はこれから記憶力にムチを入れろ
8月16日(木)
覚えることより、忘れることのほうが多いよな、と、感じる日々である。いまにはじまったことではないけど、確実に「覚える」より「忘れる」が強くなっていると思う。
そういう状態なのに、若き日のじぶんより、現在のじぶんのほうが、あれこれ覚えようとしているものが増えている。これって、どういうこと?
きっと、サボりすぎてきたからだよ、必要なアイテムを揃えることなく生きてきたということではないかと、分析しているのだが、どうだろう。
最近、へんてこな分析ばかりでしているので、たいしたことではないのかもしれないんだけどね。できればというか、願望としては、「覚える」が「忘れる」に勝利してほしいのだ。
この戦いは死ぬまで続いて、そして最後は、「覚える」が負けるのだ。結末は、はっきりと分かっている。
しかし、結末を知っているからといってあきらめてはならない。結末までの道のりというものが大事だ(信じたい)。ということで、「インプットの時代」、すなわち青春時代のような感覚で暮らしている、どーだ、どうでもいいか。
そうそう、不思議とどうでもいいことって、忘れないのだよね。つまらんことはよく覚えている。覚えようと思ってもいないのに覚えていることっていうのは、ほぼ、つまらないことに限定されているような気がする。
覚えられないことで、いちばんヤバイと思うのは、じぶんのつくった歌の歌詞とコードをインプットできないことだ。致命的だよ。現在、覚えているのは20曲、最低40曲くらいはと、思っているのだけど、むつかしいよなぁ。
歌詞カードを見ながらでもなんの問題もない、でも、最後の最後まで抵抗を試みたいのだ。ボケ防止という役割もあると信じているのでね。
「いえめし」
トマトにゅうめん。
最近、調味料を使わないにゅうめんに凝っている。
いただきもののハチク
これでチャーハンをつくろうと考えている。
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スパイスーカレー 自己流
まっぴるまの光遮るものなしペンキ塗る
8月15日(水)
休日カレー、夏カレーだぁ。
今日は、朝から買い物に行き、スプレーペンキと壁を掃除するシャワーホースを買って来た。
もちろん、試しましたよ。
スプレーペンキを吹き付けてから、つぎはペンキ塗り本番と、考えております。なかなか思惑通りにはいかないだろうけれど、失敗の確率を少しでも低くするために、あれこれ工夫しているしだいであります。
汗だくになって、終了後、すぐにシャワーを浴び着替えたのに、汗はとまらず、まいった、まいった状態が続きました。
こういうときはカレーですよね。それもスパイシーなカレーがいい。ということで、「スパイシーチキンカレー」です。
①材料は、
コリアンダーが少なかったので、クローブ、シナモン、カルダモンの力をかりる。
②たまねぎ(1/2個)を炒める(ニンニク、ショウガもね)→その前にクミンシードで香りを出す。
③ホールトマト、スパイスを入れる。
④鶏肉と湯(200CC)を入れて煮込む(塩もね)
あっというまにできあがり。
かんたんです(煮込み時間は数分)。
でも、スパイシーなのですよ。
お試しください。
週に二回は食べたいよなぁ、カレー。
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たからもの
あなたにいただいた命、元気
8月14日(火)
いつも使っている仕事のパソコンにもお盆休みをとってもらっているので、違うパソコを使っているのだけれど、使い勝手がよくない。カタカナ変換ができないのだ、どうしてだ、なにがちがうのだ、そんなアホなぁと、ため息が連射される。
ぶろぐ→不ログ(カタカナにならない)、外人か! 外人だ。こういうときに信頼できる相棒というもののありがたさを感じる。人もモノも環境も、信頼関係が大事だ。ひとりでできることは限られているというか、しれているもんなぁ。
いつも誰か、なにかの力を借りて暮らしていることは間違いない。でもつねに近くにいるとそれがあたりまえになって感じなくなるから、たまにはその人やそのモノがじぶんから遠くへ行ってしまったらと、想像してみることだ。心底大切な人やモノが見えてくるよ、きっと。失いたくないもの、それがじぶんにとっての宝ものだと思う。
「離れてわかる、ありがたさ」なんていうけれど、離れてからわかったんじゃ遅い。遅いというのには、取り返しがつかないということも含まれているので、こわい。しかし、人間は失敗する動物である、手遅れということも何度も経験してきているはず。
なかなかむつかしいのだ。なんてことをお盆の昼に考えている、半分、寝ている状態であるけれど、それなりに脳は動いているようだ。からだは動いていないというか、ここ数日、脱力したまんまだ。
仕事がはじまってもなかなか元には戻らないかもしれんぞ、朝ドラからも気持ちは離れてしまっているので、二度寝モードになっている。
このままで日常に戻れるのだろうか、それが、不安だ。
「うちめし」
調味料を使用しないでこしらえた、にゅうめん。
もちろん塩もだよ。
「一週間絵日記」
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ぶらり、ぶらのみ(京都)
引き寄せられて未来明るく
8月13日(月)
京都へ、「ぶらり、ぶらのみ」でござる。
東福寺駅で降りて、某場所へお参りに行き、帰りはぶらり寄り道、目指すは四条河原町。今回は、目的の店があったのだけれど、なぜか「支度中」、昼から飲めるという話だったのに、開店する気配なし。
仕方がないので木屋町をぶらぶらして、入った店は、どうしようもないいい加減な店だった。こりゃいかんと、泥沼に足を引っ張られてしまう前に店を出た(京都の評判悪くなるぞ)。値段だけは一流、サービス、雰囲気、味、すべて評価に値せず。最後は料金までまちがってやがったぁ~(お金を返してもらった)。
あかん、こりゃダメだ、他に心当たりはないし、ネット検索で店を探すのはきらいだから(自ら検索することは皆無)、いつもの行き当たりばったり、じぶんのカンを信じるしかないし、それがたのしいのだ。
何軒も素通りして、ぴーんときた店は、とっても入りづらい場所にあった。
だからいいのではと、ここなら観光客も若者も来ていないだろうと、勇気を出して階段を上がったら、ううう、「ここはスナックかい!」と言いたくなるようなトビラ、頑丈で店内が見えない仕立て(居抜きだな)。
しかし、ここは開くしかないと、気合をいれて、Open the door。
結果は、大当たりであった、大満足であった。「京都に来たらこの店」と、決定。これまで、京都ではあまりいいことがなかったが、ここで逆転できそうな予感が・・・。これからの京都に期待したい、するよ、「ラッキー・ハッピー京都に!」。
ということで、こんなのいただきましたぁ。
おどろくほど安くて、おいしくて、
きっと努力だなぁ、仕込みに力を入れているようだ。
応援したい店です。
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今、やる、すぐ、やる
脱ぐほどにときめく人生であれ
8月12日(日)
ふと、「やりたいと思うことはやっておこう」なんてことを改めてじぶんに言っている、じぶんを発見した。
ややこしいなぁ、でも、今はいましかないのだよね。歳を重ねていくことを「すばらしい」と、いろんな人から聞いたけれど(見たり、読んだりもした)、まったくそうは思わないのだよ。「なんでやねん」と、突っ込まれる、でもさ、みんなほんとうに思っているのかなと、考えてしまう。
ということは、「若返りたいのか」そう聞く人もいる。それともちがうのだな、なんと言ったらいいのか、うまく説明出来ないもどかしさがいつも波打っている。
それはいいとして、「今できることは、いまやろう」そういう思いが募ってきているのだ。
周りの人や景色の濃度を落として、そのなかで「くっきり」と見えるものを取り出して、関わっていきたいと思う。
人もそうだし、仕事も趣味のようなものも、すべてね。わがままになるのではなくて、余所行きの上着を脱いでいく作業みたいな、そんな感じかな。若かりし頃にいつも言っていた、「一生、TシャツとGパンで過ごすのだ!」かもしれない(問題は、若かりし頃には想像もしていなかった、体型)。
これからは、やりたいこと、やってみたかったことにどんどんチャレンジしていこうと考えている。なかなかハードルの高いものもあるが、途中挫折もOKなのだ。手をつける、足を踏み入れる、声をかける、それでいのだよ。
死の間際まで「ヘンタイでエロティックに!」でありたいと願う。周りから後ろ指さされる(それは、うらやましいからだと信じて)ジジイになるのである。身内は困るだろうな、はは、許せ。
「うちめし」
サバ缶焼きそば。
初めての試みだったが、うまかった。
鯖の缶詰は、無敵である。
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勝手に更新
わけわからずが山になりさるぐつわ
8月11日(土)
PCをONにしたらいきなり「更新します!」と、宣言された。有無も言わさずに更新のスイッチを入られてしまって、あたふた。
そして「電源を切らないでください、このままお待ちください」と、強制される。こんなことがあっていいのか、不法侵入じゃないのか、訴えてやると叫びたくなった。
しかし、ここで反撃するとなにが起こるか予測ができない。PCを壊されるかもしれないのだ。相手は不法侵入者だ、強盗かもしれないぞ、と、しばらく様子をうかがっていたら、なにやらパーセンテージが表示されはじめた。
かなり待たされてから100%という文字が出てきた。次は、再起動しますか、ときたぞ、 イヤだと言ったらどうするのだ。相手はそうとう強気だ。わたしこそが正義ですと言わんばかりだ、これは圧力だな。
理不尽だとは思ったが、再起動という文字とにらめっこしていても埒はあかない。しかたなく、「やるならやってみろ!」と、クリックする。
<夏もみじ、秋になると紅葉かな>
果たしてなにがどうかわったのだ、なにを更新したのだ? 押し売りが増えたことと、今までアクセスしていた場所にアクセスができなくなった、どういうことだ、なにをした・・・この先も何か仕掛けられているものが徐々に出てきそうだ、嫌な予感がする。
そんなに更新しなくちゃいけないのか、そっちの都合じゃないのか、こっちの都合ではないことはやめてほしい。使い勝手が悪くなるなら、とくにやめてくれ~。
本日は朝から、PC(OSかソフトか?)の更新に振り回されて無駄な時間を消費してしまった。
「責任者、出てこーーーーーい!」
「出てきたらどうすんねん?」
「ごめんちゃい」
「あやまんのかい!」
なつかしい昭和のギャグで終わるのであった。
「うちめし」
全粒粉スパ、醤油味にした、うまし。
秋にはひとだらけ、夏は空いている。
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