ブログアップが遅れましたが、5/21~22和歌山海南歩っとウオークに参加しましたが、ウオーキングの後、アフターウオークをしました。
【醤油発祥の町湯浅】
初日のゴールが下津駅でしたのでそれから紀勢本線に乗り、湯浅まで行ってきました。
下津から約20分で湯浅駅に到着。
地図を見ながら徒歩で約10分。
店内を覗くと、醤油独特の匂いが漂ってきます。この店の奥様でしょうか、湯浅の醤油を説明するといって、資料館に案内されました。
湯浅町は、熊野三山へと続く熊野古道の宿場町として栄え、熊野古道が唯一商店街を通る町としても知られています。交通上重要な位置にあった湯浅は、
近世に 入り次第に商業都市として発展を遂げます。その核をなしたのは、なんといっても醤油です。 鎌倉時代、中国の宋で修行を積んだ僧が伝えた「金山寺味噌」か ら生まれたのが、
現在の日本の醤油の始まりと言われており、紀州湯浅は「醤油発祥の地」と知られています。
紀州湯浅の醤油の歴史は、1254年までさかのぼります。紀州由良町「興国寺」の開祖「法燈円明国師」が中国(南宋)の径山寺から持ち帰った径山寺味噌(金山寺味噌)が、
当時、興国寺では野菜と大豆から作られる金山寺味噌を健康食として盛んに醸造され、やがて湯浅周辺の山漁村に伝わりました。(湯浅町観光協会HPより)
金山寺味噌を醸造する際、使われる瓜や茄子などの野菜から余分な水分(たまり)がしみこんできます。もともと捨てられていたこのたまりを調味料として使ってみると
中々の美味で、そこで初めからこのたまりを利用するつもりでつくれば、「新しい醤(ひしお)」、つまり調味料が出来るのではないかと考え、改良に改良を重ね、
やがて醤油となりました。これが日本における「醤油」の起源であると考えられています。(湯浅醤油HPより)
また、湯浅の水が醤油造りに適したこともあり、江戸時代には、徳川御三家紀州藩の保護を受け湯浅町の中心産業として発展してきました。
文化・文政時代には1000戸しかなかった湯浅町に92軒の醤油屋があったと云われています。その間も関東銚子、をはじめ日本各地にその製法を伝えました。
今では、町内で数軒の醸造業者残るのみとなっていますが、伝統的な手作業による製造方法は、脈々と受け継がれています。
また、径山寺味噌は、「径」を「金」に変えることで売り上げもアップしたそうです。
また、湯浅町は、白壁の土蔵、格子戸や虫籠窓など、醤油醸造の伝統を感じる家並みが残る東西約400m、南北約280mの一帯は平成18年に文部科学省から、
「重要伝統 的建造物群保存地区」に選定されました。醤油醸造など商工業を中心に発展した町が今も地割を残し、近世から近代にかけての重厚な町並みが歴史的風致をよく 残す
貴重なものと認められたのです。素晴らしい自然と醤油の香り漂う湯浅の町は懐かしく、そして今も力強く伝統と文化を発信し続ける町なのです。(湯浅町観光協会HPより)
家に帰って、刺身をこの湯浅醤油で食べてみました。お刺身の味が一段と美味しく感じられました。
【紀三井寺】
2日目18kmをゴールしてから、海南駅から電車で紀三井寺に行きました。紀三井寺駅から歩いて約10分、紀三井寺に来ました。
拝観料200円を払い、中に入ります。
待ち構えていたのは、231段の階段です。18kmを歩いた後だけに躊躇しますが、頑張って登って行きます。
この階段、若き紀伊国屋文左衛門が結婚と出世の契機となる出会いをした坂で、25段、33段、42段、61段と厄年を踏み越える石段です。
この階段を元陸上日本記録保持者青戸選手が21,9秒で駆け上ったそうです。
この寺は、宝亀元年(770)、唐の僧為光(いこう)上人によって開かれました。和歌山城からほど近いところにあるため、歴代藩主が訪れ、紀州徳川家の繁栄を祈願した寺です。
宝歴年間(1751~1764)に本堂を新築。その本堂のなかには10代藩主治宝(はるとみ)が寄進した多宝塔が安置されています。
本堂横の入口、霊宝堂のなかには、治宝直筆の掛軸、一休和尚の額、その他、西国三十三箇所の絵図などが多数展示してあります。
また、六角堂は、西国三十三箇所を巡礼するのに等しい功徳があると伝えられ、他府県からもたくさんの人が年中途切れることなく参拝に訪れています。
紀三井寺は、三つの井戸のあるお寺。千二百年来の寺名の由来ともなった三井水は、今も名草山の懐に抱かれ、滾々と絶えることなく湧き出しています。
この由緒ある紀三井寺三井水(北より吉祥水・清浄水・楊柳水)は、昭和60年、環境庁が発表した「名水百選」に選ばれています。
階段を登り終えると右側に新仏殿があります。ここでは、「大千手十一面観音像」が公開されていました。高さ11m、木造立像としては、日本一を誇るそうです。
紀三井寺は、桜の名所でもあります。境内には、沢山の桜がありました。シーズンには、多くの方がお花見に来られるのでしょう。
本殿に入ると巡礼姿の方を見かけました。ここ紀三井寺は、西国三十三箇所霊場の2番札所にあたります。
「三十三」とは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、
その功徳に与るために三十三の霊場巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。(Wikipediaより)
御朱印をいただくのも行列ができていました。30分ほど待ってやっと御朱印を手に入れました。
このあと、JR紀三井寺駅から和歌山駅に行き、特急くろしおで新大阪、新大阪から新幹線で博多へ。約5時間の旅でした。
和歌山は、初めての地でしたが、また機会があればもう一度行ってみたい所です。