10/27(土)は、第14回別府・大分かぼすツーデーウォークに参加しました。
この日は、夕方から地元の小学校の同窓会があるので、コースは、10kmを歩きました。(自分としては、物足らない感じですが・・・・)
会場は、大分市と別府市の中間にある田ノ浦ビーチ。出発の準備をしていると、札幌のSさんと会いました。Sさんは、足を骨折されて久しぶりの大会参加だそうです。
午前8:00、30kmコースと一緒にフライングスタートします。
昨年は、この別府コース、悪天候で中止になりましたのが、今日は秋晴れのいい天気です。
国道10号線沿いの海岸を歩きます。遠くには、大阪~別府間のフェリー「さんふらわー」が停泊しています。
正面には、鶴見岳と由布岳。
北浜の海岸にやってきました。
北浜公園が10kmのチェックポイントです。温泉卵が振る舞われました。
「波止場神社」があります。名前も面白いし、ちょっと調べました。
波止場神社(はとばじんじゃ)は、大分県別府市元町に鎮座する神社。旧社格は無格。祭神は、大物主命、気長足姫命、倉稲魂命、菅原神、市杵島姫命、三筒男命、事代主命。
明治の初め、廃藩置県の政治改革で幕府領別府が日田県となり、初代県知事松方正義は将来、鄙びたこの出湯の里が繁栄することを予測した。そのために早速取りかかったのが
海上交通の整備としての波止場づくりだった。その時、築港工事や内海航行の安全を祈願して勧請したのがこの波止場神社である。
境内にある大正2年に建てられた築港建設の記念碑には総工費20000両、東西100間、南北80間の防波堤を築き、明治6年初めて汽船「益丸」が就航したとある。
それだけに祭神はすべて海に縁のある商売繁昌の神々である。八幡神をはじめ、住吉三神から宗像三神、金比羅さん、お稲荷さん、恵比須大黒にいたるまでこの狭い境内に祀ったものである。
明治3年鎮座祭に配られた記念の扇面には当時の新波止場や流川、松林に家並などの漁村風景が描かれている。扇の裏面には”港の左右の干潟に出湯があり、海内稀なる潮湯泉にて
もろもろの病を治す。と記されている。 拝殿は入母屋造桟瓦葺妻入りの建物である。梁間3間、桁行2間の吹放しで正面には「波止場神社」と松方正義の書になる木彫りの額が掲げられている。
向拝の木鼻や手挟みには波の紋様が刻まれ、格天井には明治4年駐春園主人嶋石生の手になる花鳥、十二支が描かれている。
尚、往年の西鉄ライオンズの名投手稲尾和久さんの生家に近いことから「稲尾神社」とも呼ばれているそうです。
波止場神社の横には、「竹瓦温泉」があります。ここには、普通浴と砂湯があります。
明治12年(1879)創設で、当初建築されたものは竹屋根葺きの浴場でその後改築されたものが瓦葺きであったため、竹瓦温泉の名称がついたと伝えられています。
現在の建物は昭和13年(1938)に建設されたもので正面は唐破風造(からはふづくり)の豪華な屋根をもつ温泉となっており、その外観は別府温泉のシンボル的な存在となっています。
天井の高いロビーは昭和初期のイメージを残しており、湯上りにくつろげるスペースとなっています。 名物の砂湯は浴衣を着て砂の上に横たわると砂かけさんが温泉で暖められた砂をかけてくれます。
コースは、商店街に入ります。このあたりに創業大正5年のパン屋さんがあったのですが・・・・・
ありました。「友永パン屋さん」です。この店は、中に入ると整理券を受け取り、オーダー表に注文するパンを書いて渡します。
お客さんは多いのですが、店員さんが機敏に動かれ、そんなに待たなくてもいいです。また、パンの値段も安いです。(小倉アンパン@100)
六盛は、別府でも有名な冷麺屋さんです。お昼時には、行列ができます。
コースは、国道10号線(小倉街道)に戻ってきました。
10:50 ゴールしました。フライングスタートしたので僕らが最初にゴールしたみたいです。ゴール後、抽選会では、新米3合が当たりました。
このあと、同窓会に参加するため、別府から高速で帰りました。