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5/19~20に福井県若狭町で行われる「第27回若狭・三方五湖2DM」に参加しました。
3年前に初参加して今回2度目の参加です。この大会、必ず1日は雨が降るというジンクスがあります。そういえば3年前も初日は雨でした。今年はどうかな
JR西日本の「おとなびパス」を購入し、前日の金曜日から福井・敦賀に入りました。このおとなびパスは、3日間JR西日本管内の新幹線を含む全電車が乗り放題です。(新幹線、特急は6回まで)
5/19(土)朝から雨が降っています。天気予報では、9時ぐらいには止んでそのあとは、曇りという予想。一応ポンチョと傘を用意。
敦賀発7:09の臨時電車で三方駅へ。会場へは、駅から歩いて約10分です。
8:45より出発式。芝生広場は、雨の為、水が溜まっていて半ば田圃状態です。三方中学吹奏楽部の演奏と「激」でスタート。
まだ雨は降り続いています。時折突風が吹き差していた傘が煽られます。
5km地点が三十三(みそみ)公民館。ここは、10kmのチェックポイントです。三十三(みそみ)という地名が珍しいのでちょっと調べてみると、近くに三十三間山というのがあり、
京都の三十三間堂が創建された際、その棟木をここの山中から切り出したという伝説があるそうです。そこから付いた地名かな?
3年前は、「かみなか農楽舎」がチェックポイントでしたが、今回は給水所になっています。
上中農楽舎から農道を通り、わかさカントリークラブの方へ向かいます。このあたりは、長い上り坂があり、しかも雨で視界が遮られています。
途中で40kmの人とすれ違いました。高砂のIさん、福岡のYさん・・・・・
鯖街道「熊川宿」にやってきました。
古代、若狭は朝廷に食料を献上する御食国(みけつくに)の一つでした。日本海で獲れた魚や貝が遠路はるばる京都へ運ばれ、いつの頃からか「京は遠ても18里」と言われるようになり、
特に18世紀後半からたくさんの鯖が若狭の海で陸揚げされ、「鯖街道」と称されるようになりました。与謝蕪村も鯖を背負い都に入る若狭の人々が目に止まったのか、「夏山や通ひなれたる若狭人」と
詠んでいます。秀吉に重用され若狭の領主となった浅野長政は、天正17年(1589)に熊川が交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除して宿場町としました。
以来、40戸ほどの寒村が200戸を超す町になりました。
倉見屋荻野家住宅は、熊川宿で最も古い町屋で問屋の形式を残しています。隣接する土蔵には、街道を行く荷物が納められました。
松木神社は、義民松木庄左衛門が祀られている神社です。
寛永17年(1640年)、16歳で庄屋の地位を継ぐ。
小浜藩では関ヶ原の戦いで木下勝俊が改易されて京極高次が新藩主となったが、これまでの後瀬山城に替わって新たに小浜城を築城したために財政が苦しかった。
このため、大豆納の年貢1俵の基準を1俵あたり4斗から4斗5升に改めて増徴を図った。築城で多くの農民が駆り出されたこともあって領民の生活は苦しくなり、
藩側に大豆納を元に戻すように要求したが受け入れられなかった。寛永11年(1634年)に京極忠高(高次の子)に替わって小浜藩主となった酒井忠勝も引き続き税制を維持したために
人々の不満は高まった。そこで寛永17年(1640年)に入って、若狭国内252ヶ村の名主が集まって郡代官所に陳情を行うことになり、この年に名主となったばかりの庄左衛門他20名を総代として
陳情を行った。以後、数十回にもわたって直訴を繰り返したために、承応元年(1652年)に総代全員が捕らえられ、獄中で厳しい拷問を受けた。だが、1人庄左衛門のみはこれを耐えて、
獄中でもなお大豆納の引き下げを求めた。これに驚いた藩はやむなく大豆納を元の4斗に戻すことに応じたが、代わりに庄左衛門は同国日笠河原で磔に処せられ、
28歳の命を終えた(小浜藩領承応元年一揆)。以後、領民は大豆の初穂を神前に供えて彼の威徳を謝した。
墓所は日笠河原に近い正明寺にある。昭和になってから、彼を祀った松木神社が建立された。
白石神社は、熊川地区の氏神であり、旧指定村社で祭神は、彦火々出見尊、白髭明神、小浜藩主酒井忠勝公、山の神が合祀されています。毎年5月3日祭礼が行われ、山車が巡行します。
接待所では、今も生誕の地若狭町では、その遺徳を伝えようと、豚汁に大豆を加えたものを「長操鍋」と名付けて、イベントなどで振る舞っています。
その長操鍋が振る舞われました。今日は、雨で寒かったので温まりました。 ※長操・・・松木庄左衛門の法名です。
長操鍋を食べ終わって接待所を出ると、曾我廼家福輔さんと出会いました。確か3年前もそうでしたが、今回もインタビューを受けました。
熊川宿の中を歩きます。番所の近くに「旧逸見勘兵衛住宅」があります。ここは、伊藤忠商事二代目社長「伊藤竹之助」の生家です。
熊川の逸見勘兵衛家(地図の河内川にかかっている中条橋のたもと)に生まれた竹之助は、明治33年滋賀県立商業学校に進み、卒業と同時に、
大阪市伊藤本店(現在の伊藤忠商事の前身)に就職し、やがて初代社長伊藤忠兵衛にその人格才量を認められ、娘と結婚し伊藤忠商事二代目社長となりました。
熊川番所は、若狭と近江の国境に位置し、かつて「入り鉄砲に出女」の統制と物資への課税が行われていました。全国でも宿場内に残る復元された番所として歴史的構造物です。
道の駅「若狭熊川宿」が1回目のチェックポイント。3年前は、ここまで来なかったと記憶しています。
ここからJR上中駅まで歩きます。この23kmコースは、上中駅から電車で三方駅に移動することになっています。(電車代は大会本部が持ちます)
現在12時30分。上中駅発の電車が13:36です。ここから上中駅までが約6km。少しスピードアップします。
13:24 上中駅に到着。13:36の電車に間に合いました。上中駅が2回目のチェックポイントです。
13:36の電車に乗って三方駅へ。三方駅から歩いて会場に戻ります。14:10ゴールしました。
今日は、一日中雨の中のウォーキングでした。明日は晴れるでしょう
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