11/21~23まで山陽道「小田~岡山駅」まで歩きました。
途中の川辺宿で「金田一耕助の誕生地」という看板を見つけ、その誕生地に行ってきました。
探偵金田一耕助の生みの親 作家の横溝正史さんは、戦時中の昭和20年から約3年間、吉備郡岡田村(現倉敷市真備町岡田)に家族と疎開しました。
そこで執筆活動を行い「本陣殺人事件」「八つ墓村」「獄門島」などの作品を発表しました。
その中の本陣殺人事件では、探偵「金田一耕助」が横溝作品に初めてデビューしています。
私も案内板に沿って歩いていきたいと思います。
十一月二十七日即ち一柳家で恐ろしい事件のあった翌日のことである。
伯備線の清ー駅で降りてぶらぶらと川ー村の方へ歩いていく一人の青年がいた・・・・・・・・・・・・・・・(本陣殺人事件より)
疎開した岡田村は、江戸時代10342石の小藩でした。 郵便局の前の国道の地下道を潜ると舗装はしているものの岡田村に向かって広い道路が続いています。
丁度突き当りが岡田村役場跡です。小説では三本指の男がこの角にある食堂川田屋(本当は酒屋さん)に入りました。
岡田村役場跡からまっすぐ歩くと小高い丘があります。
「真備ふるさと歴史館」「大池ふるさと公園」があります。岡田藩館は小学校付近にあったそうです。
ここに「金田一耕助」の像が立っています。
岡田大池は周囲1kmもありそうな大きな溜池です。東岸には出島が浮かび弁天様が祀られています。このあたりは横溝正史の特にお気に入りの散歩コースだったようです。
「本陣殺人事件」にも小さな池が出てきますがこの大池ではないかと思われます。短編の「空蝉処女」ではそのものずばりこの大池が登場します。
正史が散歩中、池畔の竹藪の中でミステリアスな娘と出会うというストーリーです。 (案内板より )
丘を降りていくと四つ角に小さな「祠」が建っています。これが「濃茶のばあさん」です。
案内板によると、江戸時代藩家老の奥方が旅路で病に苦しんだ時、茶店の老婆が親切にその地の神社に祈願し平癒したので、帰国後奥方は祠を建てその神社を
勧請したと伝えられ、土地の人は「濃茶のばあさん」として祀り、供え物が絶えなかったという。
横溝はこの話をヒントに名作「八つ墓村」に「濃茶の尼」を登場させました。(案内板より)
濃茶のばあさんから左折した突き当りが横溝正史一家が疎開先です。
太平洋戦争末期の昭和20年4月、東京での戦禍を避けて真備町岡田で3年間の疎開生活を送りました。
当時軍部の圧力で探偵小説を書くことができなかった正史は、岡田地区の人たちと交わり、畑でジャガイモ作りなどに精を出しました。
然し、本格的な長編小説を書きたいと考えていた正史は、東京から運んだ蔵書を読み、地区の親しかった人達から農村の困窮、農漁民の生活などの話を聞き、作品の構想を温めました。
戦後の昭和23年(1948)、正史がこの地で書いた本格長編推理小説「本陣殺人事件」が第一回日本探偵作家クラブ長編賞(現 日本推理作家協会賞)に選ばれました。
まだまだ正史の岡田時代の足跡はあるのですが、あまり時間を費やすと街道歩きの予定が狂ってしまいますので疎開先を最後に伯備線清音駅に向かいました。
尚、川辺宿の本陣ですが、明治26年の大洪水ですべて流され、今は歯科医院の所に碑だけが建っています。
また、先月11/23~24にかけ、金田一耕助ミステリーツアーが行われたそうです。
おはようさんたい!
小説も読みましたが沢山映画化もされましたね。
小説は自分勝手な想像力で読むので地域はあまり気にしていませんでしたが、実際の場所があると立体的になってきます。
また、読み返してみたくなりました。
よっくんさんは鑑真和上の足跡も坊津からたどっておられ、その坊津に上陸したとき同行していたのが、吉備真備だったのですね。
すごい歴史の旅が繋がりましたね。
辞書の金田一京助、春彦さんの出身地は岩手県と青森県の境に近いJR金田一駅が目印になります。
金田一先生も笑ってOKされていることでしょう。
金田一耕介の映画が上映されていた時に、何冊も読みました
推理よりも、おどろおどろした世界の方が印象的でした
今、読んだらまた違う印象を持つんだろうな
でも、お天気も良くて良かったですね
横溝作品若いころ読みましたね。
今回山陽道を歩く前にも「本陣殺人事件」を読んできました。
若いころにはこの横溝トリックがわからなかったのですが、歳のせいでしょうかだいたいわかるようになってきました。
また読んでみたいですね。
(今は文字が大きくなっているので読みやすいでしょうね)
今回、吉備真備の所も歩きました。
そうですね、鑑真を連れてきたのが真備ですね。吉備真備は山陽道でアップします。
横溝さんのある小説の中では金田一耕助は東北の生まれとなっています。金田一京助さんの出身地も東北ですね。何か関係がありそうです。
私も若いころ、横溝作品は次から次へ読んでいました。岡山が舞台の作品が多かったですが疎開先で書いていたのですね。
金田一耕助ミステリ^ウオークにも参加したかったです。