よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

ビワイチ徒歩の旅「彦根~能登川」(滋賀県彦根市~東近江市)

2025-03-15 10:14:31 | 琵琶湖一周徒歩の旅

3/10(月)~3/11(火) 倉敷ツーデーマーチの後、滋賀県彦根市に向かいました。実に1年半ぶりの「ビワイチ徒歩の旅」復活です。

2年前、地元のW協会事務局を任され、なかなか遠征に出られなく、また、決算前ですが、2日間と無理を言って出かけました。

マップは、大津の歩友、Oさんから頂いた資料とビワイチウォーキングマップという小冊子を基に自分で作成しました。

琵琶湖の湖西線側に比べ琵琶湖線側は、湖面から駅までが遠く、1日目は、彦根駅から能登川駅、2日目は能登川駅から近江八幡駅までというルートです。

9:00彦根駅に着きウォーキング開始です。

駅前には、「井伊直政公」の銅像が建っています。説明文によれば、

井伊直政」は、永禄四年(1561年)現在の静岡県井伊谷に生まれ、幼少の頃から文武両道に励み、慶長五年(1600年)に徳川四天王の一人として天下分け目の合戦で知られる関ケ原の戦で

功をあげ、石田三成の居城であった佐和山城を与えられ、十八万石の大名となった。
その後、城を現在地の彦根山へ移そうとしたが、同七年(1602年)四十一歳で病没し、子らが直政の遺志を受け継ぎ二十年の歳月を費やし元和八年(1622年)彦根城を完成させた。
こうして、彦根三十五万石初代藩主井伊直政公は、今日の彦根市発展の礎を築いたのである。

 

彦根」の地名は、むかし天照大神の御子に天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いきつひこねのみこと)の二神がおられ、このうち活津彦根命が活津彦根明神として彦根山に

祭られたことに由来しているとされている。

戦国時代になって絶えず戦場となっていたが、豊臣時代に石田三成が佐和山城主となってから町は次第に繁栄し、その後、関ヶ原の戦功で井伊直政が彦根の地に封ぜられ、その子直継が彦根城の

築城を始めて、直孝により完成され、城下町として発展、産業、政治、文化の中心地として300年間栄えた。

明治4年廃藩置県により、翌5年2月27日長浜県を犬上県と改称し、その後同年6月滋賀県となった。

同22年4月1日町制を施行、昭和11年都市計画法適用地域に指定され、翌12年2月11日隣接の松原、北青柳、青波、千本、福満の5ケ村を合併して彦根市人口39,335人、面積25.08平方キロメートルが

誕生した。次いで、昭和17年6月10日南青柳村、磯田村、昭和25年4月1日日夏村、昭和27年4月1日鳥居本村、昭和31年9月30日河瀬村、亀山村、昭和32年4月3日高宮町、昭和43年4月1日稲枝町が

合併し今日の彦根市となった。(彦根市HPより)

  

 

 

 

京橋通りにある「宗安寺」は、浄土宗の寺。佐和山城の正門を移築されたと伝えられています。大坂夏の陣で戦死した、豊臣家の忠臣として名高い木村長門守重成(きむらながとのかみしげなり)を偲んで、重成忌が行われます。
 井伊道政の正室東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪(こうずけのくにみのわ)に建立された安国寺は、佐和山(232.5m)山麓へ移され、宗安寺と改名、その後彦根城築城のさい現在の地へ再度移転されました。元禄の大火で、「赤門(あかもん)」と呼ばれる朱塗りの佐和山城大手門を移築した表門が唯一焼け残り、現在の本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したものです。また、本尊の阿弥陀如来立像は、大坂夏の陣の時、淀君の念持仏(ねんじぶつ)と思われる仏像を持ち帰ったもので、鎌倉時代の作といわれています。その他、墓所には木村重成の首塚、唐人門、鐘楼、白砂に巨石を配した庭園があります。
 また、徳川の将軍が替わるごとに祝賀のため朝鮮国から来朝した朝鮮通信使節団高官の彦根での宿泊所であり、朝鮮王像が残されています。 

 

時刻は、まだ10時前、地元のW協会の仲間から彦根のマンホールカードをもらってくれと頼まれていますのでここで時間をつぶします。

配布場所は、四番町スクエアです。10時になりましたのでマンホールカードをゲットしました。

  

芹川に架かる池洲橋から琵琶湖に向かいます。芹川沿いには、大きな桜が植えられています。あと半月もすれば、桜並木になるでしょうね。

 

琵琶湖に出てみると比良山系から福井県側、伊吹山が雪で白くなっています。

 

湖面からルート図に戻ります。しばらく歩き、県道から別れ旧道に入ります。

 

 

 

愛西地区送水記念碑:琵琶湖の水を愛西地区の田んぼに引いたための記念碑かな???

 

歩いていると「薩摩」とか、「柳川」の地名が出てきます。薩摩や柳川からの移住者が住んでいたからでしょうか?

この琵琶湖湖岸は、トイレが少ないです。自治会館が開いていましたので事情を話し借りることができました。開いていなかったらどうしようとただただ思うだけです。

 

沖島は、近江八幡から琵琶湖の沖合1,5kmのところにある島です。周囲6,8k、面積1,57㎢、琵琶湖最大の島です。また、約250人の方が住んでおられます。

しばらく歩くと「南三ツ谷」「新海」の分岐点があります。ゴールの能登川駅は、南三ツ谷の方向です。

 

南三ツ谷の方に行くと、広い田園地帯です。ここも琵琶湖からの放水で肥沃な土地でしょう。

 

 

愛知川に架かる橋を渡ると東近江市です。

 

市役所支所のそばには、清和源氏浅原邸跡の看板が建っています。

14時45分能登川駅に到着。

 

駅前には、水車のモニュメントがありました。この日から新しくスマートウォッチで計測しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿