今日はひとつ仕事を。
秋から3連続講座の料理教室をします。その献立を考えていました。
それは「おばんざい」の料理教室です。私が主催じゃありませんよ、お話をいただいてやらせていただくことになりました。
8月になったら募集が始まるので詳しいことを書けると思うのですが、今は内容をつめています。
一汁二菜とごはんで組み立ていますが、これが「どれにしよーかな」って迷ってしまうんです。でも、一応できました。よかった。
このブログを書き始めた頃からずっと、「おばんざい」について悩ましい心持ちを書いてきましたけど、いつからか私の中では割り切ってきました。
いわゆる「京のおばんざい」は「京都の人が普段作り食べてるおかず」ということで言われ始めたのが初めらしいですけど、いつの間にか言葉もイメージもひとり歩きしていると思います。
でも、じゃあ京都の人が自分たちの食べてるもんを「おばんざい」というかというと言わない・・・はずです。「おかず」です。いや、言う人も増えてきてるのかもしれない、それは住んでないからわからない。でも、何人か聞いたところによるとそうでした。
どちらかというと、飲食店やお惣菜屋さんで使われてるんじゃないでしょうか。ただの「おかず」じゃ、色気もわくわくもないですもんね。
ごはんに限らず「京の」というのは「京の」人以外からはかなりイメージが先行する部分が大きいようです。
京都を離れて生活しているとしみじみ実感します。
普通に話して普通にしているのに「やっぱりはんなりしてらっしゃるわねー」なんて言われたり(はんなりというのはかなり使いにくい言葉であんまり京都人自身は使わないと記憶しているのですが、京都の皆様、いかがでしょうか)、「京のおばんざい教えて」って乞われたり、光栄なことではありますが、ちょっとヘンコな(ってわからないかも ^^;)とこのある私は逆に頑なになっちゃって「絶対おばんざい教室なんてやらない!!」と誓ってた時期もありました。
その反面、「京都出身」ということでトクすることもあります。
女性っぽく見られたり、やさしい人に思ってもらったり。(これも実は私は根底はイケズやったりするのです ^^;)
宴席で何か芸をやらないといけなかったときに、苦し紛れに舞妓さんのマネをしたこともありました。でも、これは昔ちと舞妓のモデルをしていたことがあるので、あながち知らないものではないのであります。
まあ、関東に来てかれこれ15年以上経つなかで、私もだんだんしたたかになってきたわけです。(なんて種明かししなくてもねー)
去年あたりからだんだんお料理の仕事が広がってきていろいろやらせてもらい、「ごはんやひとみ」を開店する中で、私に求められるものはやっぱり「いわゆる京のおばんざい」だということがわかりました。
イメージで食べたいと思うだけでなく、イタリアンやカフェなどの外食産業があふれるこの地では、ほっとするごはんが逆に求められているようです。
そして、できるなら自分で作ってみたいと思う人もたくさんいるのでしょう。
今さら習うものでもなく、本当は普段自分がおうちごはんとして食べてきたはずのおかず、食べてきたならば記憶を頼りに作ったり親に聞いてやってみたりするのが一番と思うけど、今はその伝承さえもうまくされなくなっています。
普通のおかずはその家その家の味があり、おいしさがあり、人それぞれが「おいしい」と感じるツボみたいなのもひとりひとりちがうはず。
それをお教えするのなど私はおこがましい。今もそう思います。
でも、「京のおばんざい」というかんむりがつくことで野菜や乾物のおかずを作ってみようと思ったり、食べたいと思う人が増えたり、楽しいと思ってもらえたりすればもうけもんです。
そして、それをきっかけにそれぞれが自分の家の「おいしい」を思い出し、感じ、伝えていく、そのささやかなお手伝いができたらいいなあ、そのきっかけになればいいなあと思っています。
まして、うちで作るいろんなおかずの中で、私が作って楽しいおいしいうれしいと思うのはやっぱり「いわゆる京のおばんざい」なんだなーと、この料理教室の準備をしていて思うのです。
そしたら、これはとってもイイコトだ。
だから、きっといい講座になると思うんだなー。
もちろん、作り方は「ごはんやひとみ」流です。ただ普通にていねいに作るだけではおもしろくない。
手をかけるとこかけて、かけないとこかけないで、心をかける・・・それで頑張ってまいります。
そのうちまた「京のおばんざいランチ」も企画してもいいな。
一番好きなごはんを作って食べていただけるのですもの、こんなに楽しいことはありません。
そのときはまたみなさん、たくさんいらしてくださいね。
ということで、写真は私が作るのも食べるのも大好きな「炒りおから」にしてみました。
おからはおいしい、栄養価が高い、お通じもよくなる、安い・・・といいことづくめ。それだけでなく、冷蔵庫のお掃除もできる、これぞ始末の精神、京都の心そのものの「おかず」ではありませんか。
月末だけでなく、私は食べたいなと思ったらいつでも作ります。ただ、この真夏は足が速い。要注意であります。