所用があって、息子の母校へ行ってきました。
母校・・・というと自分のをいうのだと思うのですが、京都に帰ってもなかなか足を運ぶことはできず、残念。というより、最近まであまり自分の母校に行ってみようと心に浮かべることがなかったのが事実。
息子が卒業してまだ数年だけど、なんだか当時と違って見えました。
高校になるともう子どもの学校に足を運ぶことなどないと思っていたけどそうでもなくて、私は部活関係とか体育祭を見に行ったりとかするくらいだったけど、それでも懐かしい気分になりました。
オンボロプレハブの建物も(校舎ではないです)、初め見たとき牛小屋かと思ったほどの食堂も、夏の暑い陽射しを浴びてかえってとてもよい空気が漂っていて、いい環境で過ごしたのだなあとしみじみ。
すべて100円の自販機で飲み物を買い、日陰で少し涼を味わいながら、当時の子どもの姿を思い出したのでした。
卒業式で感じた以上になんだか感激してしまい、ひとり感慨深くなって帰ってきました。
そのころは身辺いろいろあって、入院中の母に会いに2週おきに京都に帰っていたことも。留守中の家事を子どもで分担させたり、お昼は買い弁かその古めかしい食堂でうどんにしてもらったり。もう大きくなったのだからと長男にまであまり気持ちを払えずにいたり、部活のお手伝いも最低限しかできなかったし、親としての責任がちゃんと果たせていたのかどうか。
でも、ここで確実に3年間過ごし大きく育ったのだと、先生のみならず校舎、グランド、靴箱にまで感謝の思いでいっぱいになりました。
そういえば、私の母校は今どうなっているのだろう。
中高、大学の話は耳にするけれど、小学校はどうなのかな。私が在学中に百周年を迎えたから今はえっと・・・。
大きなくすのきはそのままかな。たしか二宮金次郎の銅像があった。
百周年で大きな人文字を作った運動場は、大雨の日はあたりの田んぼの水が流れ込んで、完全に池になってたけど、今でもそうなのかな。いや、まさか整備されてそんなことはないだろうけど。
社会人になって勤めた幼稚園は統廃合のあおりを受けて、今はもうなくなりました。
いつまでも変わらぬものもあれば、知らぬまにそうしてなくなっていくものもある。
形ではない、思い出は生き続けると思っても、それでもさみしい思いはします。
今度京都に帰ったら見ておきたいもの、場所がたくさん出てきそうです。
所用で出向いただけなのに、いろいろなものを想った夏の終わりです。