お茶を飲みながらまずしたことは、大切な人に手紙を書くこと。
チャイでほっこりあったまったおかげか、知らず知らずにペンが進んでいきます。
しばらくご無沙汰してしまっていたその人に、年賀状にこのブログのことを書いてみたら、「見ました、とは言えずにごめんね。プリントアウトしたものを少し、大事なところだけみたい気はするのだけれど」というような内容の手紙が届きました。
そのことが逆にうれしくて、とてもうれしくて、でもそしたらどこを送ろうか・・・と1ヶ月も悩んで、今朝打ち出して。
2、3枚のつもりが、案の上、いっぱいになっちゃって、でもたくさん見てもらいたくて。
今その紙の束を見ながら、さてどうしたものか、とちょっと悩んでいるところです。
私が調子が悪くて沈黙していたときも、その人からの便りは思い出したように時おりポストに運ばれてきていました。
じっくり隅から隅まで読んで考え込んでしまったときもあれば、目を通すのが辛くてささっと斜めに読んでしまった日もありました。
何が書いてあるのかではなく、自分の中のことでそれは変わりました。
そして今、今の自分と思いを伝えたい、そんな私がいます。
画面の文字からでも思いは伝えることはできる、このブログを書いていてそういう気がしています。そういう風になれたらいいなと思っています。
でも、やっぱり手紙は特別。
紙に書くことは、書いている自分に対しても何かの力をくれる気がします。
大切な人はたくさんいて、それぞれに距離感も関係性もちがっていて、どの人も大切なのだけれど、メールもしたことなくてこの先する可能性もきっとなくて、こうして手紙でつながっている、そういう人がいることがすごくしあわせな気がします。
朝起きたら、書いた3枚の手紙を読み返して、分厚くなってしまうであろう書類封筒に入れてポストに投函しよう。
またいつか、そのうちコトンとポストにその人からの手紙が届く、その日を楽しみに。