日本人がもつその一般的な価値基準
とは
絶対的な存在
または
それに準ずる地位にある誰か
による
第三者からの判断
の上に成り立っている
共通の認識
ということになるだろう
個人の価値基準というものは重視されず
大勢の赴くところを参考にして
己の価値とする
という風土と文化が
歴史の結果として
意識の奥深くにまで
染み透っている
スタンダードの不在を
自覚することができていないと
周囲を見回して
大方の意向に盲従することで
安堵する
個としての独自の基準があっても
それに周囲は重きを置かず
全体がもつ認識の一致
或いは
不一致
と思しきものを追い求めて
ひたすら
靡こうとする意識を抱えて
身構えている
まるで
それは
草や藻のような
揺らぐもの
それが
日本人に通有する
一般的特徴だといえる
天皇が国の方針を定める意思決定
に直接関わっていた時代には
それを補佐する要職に
武家の代表や軍の上層部などの組織が
絶対的な存在
の代理人
という立場で
執権
またはそれに等しい要職に就く
慣わしになっていた
この国の歴史というものは
閲してきたあらゆる時代を通じて
さまざまに
作られてきたのだが
その結果として
個としての価値基準となるものが失われ
家に代表される集合体
の利益を優先する暮らしに平和を見出し
日夜その維持に勤みながらやってきた
国民は歴史的に絶対的存在である
天皇の意志に追随することで
安寧と繁栄を得
日本語とそれが生む固有の文化とを
時間をかけて
今日まで
着実に育て上げるよう努めてきた
温和で従順なその麗しい国民がもつ資質は
権威の代行組織による
恣意的な制御の対象となるよう
容易に誘導可能なものとなっており
それが災いして
唯一の被爆体験を
強いられる
という
比肩すべきものとてない
巨大な
悲しみの連鎖という経過を
世界史に刻みつける結末を
70年前の夏に残した
国民は権威に従うことが善であり
お上に従順でありつづけてさえいれば
なにごともうまくいく
と信じさせられてきた
至高の権威者が
戦後
象徴的存在へと変化したことによって
国民はカリスマを失って
占領国であるアメリカ型の支配体制に
率先して順応し
戦後の高度成長期の推進役となってきた
この変化に伴って
価値の基準は
新しい権威者となった
アメリカ型の
それ
多くの場合
経済的には自由主義
を基本とする
政治的には民主主義
と呼ばれてきた新体制
の上に成り立っている
後付けの
特別に
付与された価値らしきもの
を民族の判断基準とすることに
同意することが
民族の発展に寄与した
とする時代が必然的に作られた
それは敗戦国となるその日まで
日本には一度も存在したことのない
封建主義からの解放
を意味する自由という名の価値を
きらびやかな装いとして見せていた
権威主義という土台の上に構築された封建主義
の桎梏から解放され
はれて制約のない身となった
日の本の民は
そうなった段階にあっても
解放された自由を持てあまし
個人としての価値の基準を
積極的に手に入れようとはしなかった
大勢の赴くところをみて
己の価値基準だと
率先して錯誤した
その弊習が
亡霊となって
この国土全域を蔽っている
日本という国に棲むひとびとは
個人としてよりも
全体としての調和を
より重んじる
事の善悪や
好き嫌い
などは価値基準の一つとして認められてはいたのだが
個としての価値が多様なものになっていってからでも
全体の和
を乱すものなら
それを価値とは看做さない
この傾斜が災いとなったケースが
残されていた
権威筋が安全だと宣言していた原発が
水素爆発を起こして
呆気なく
木っ端みじんに吹き飛んだ
あれ以来国民は
権威の示す判断に
とても懐疑的になることができるようになった
だが
核以外の分野では
相変わらず
権威からのご託宣が
盲目的に追随するための絶大な条件
という牢固たる姿勢を
今以て
根強く保持することを
当然視してもいる
権威というものは
古来
天皇制の周辺に跋扈する
ものとなっていた
国会では国民の代表を自任する政党の一部が
公共放送の事業者に
公正な情報伝達を阻むことさえ
平然として
やっていたことがある
その結果
番組の内容は事前に変更され
本来の内容とは違う仕上がりとなった
10年前の2004年のことである
同じ種類の問題が
再び
NHK会長の発言の端々に
繰り返しみられる
権威主義者というものは
自らが権威的立場に就いたとき
権威主義者を目指す者を
再生産する役割を果たすのだ
保守に固執したがるという特異な傾きは
権威主義の結果として
与えられたもの
現状を快適だと思うものは
問題のある制度を温存する行為を意味する
保守に拘る
改善すべき点が皆無といえない状況で
保守を標榜するのは
愚かさの証明にしかならない
問題のある制度を保守することが
どのような意味をもつ行為なのか
ということを
何一つ考慮していないのだ
この点で
批判の対象とされるための存在
という価値を自ら担っている
解決すべき課題をゼロにすることができたとき
はじめて
保守すべきその体制が
整う
誰かのもつ価値判断が
己の価値基準より
普遍的で正当なもの
とする根拠は
見つからない
そして
原発が水素の爆風で
吹き飛んだ
権威は疑うためにこそ
存在することを
許されている
その権威に国民が盲従するようになったとき
この上ない不幸な結末が
被曝体験となって
またもや訪れたのだった
反証を前提とするという意味で
権威主義というものは
はじめから
とても疑わしいものであったのだ
とは
絶対的な存在
または
それに準ずる地位にある誰か
による
第三者からの判断
の上に成り立っている
共通の認識
ということになるだろう
個人の価値基準というものは重視されず
大勢の赴くところを参考にして
己の価値とする
という風土と文化が
歴史の結果として
意識の奥深くにまで
染み透っている
スタンダードの不在を
自覚することができていないと
周囲を見回して
大方の意向に盲従することで
安堵する
個としての独自の基準があっても
それに周囲は重きを置かず
全体がもつ認識の一致
或いは
不一致
と思しきものを追い求めて
ひたすら
靡こうとする意識を抱えて
身構えている
まるで
それは
草や藻のような
揺らぐもの
それが
日本人に通有する
一般的特徴だといえる
天皇が国の方針を定める意思決定
に直接関わっていた時代には
それを補佐する要職に
武家の代表や軍の上層部などの組織が
絶対的な存在
の代理人
という立場で
執権
またはそれに等しい要職に就く
慣わしになっていた
この国の歴史というものは
閲してきたあらゆる時代を通じて
さまざまに
作られてきたのだが
その結果として
個としての価値基準となるものが失われ
家に代表される集合体
の利益を優先する暮らしに平和を見出し
日夜その維持に勤みながらやってきた
国民は歴史的に絶対的存在である
天皇の意志に追随することで
安寧と繁栄を得
日本語とそれが生む固有の文化とを
時間をかけて
今日まで
着実に育て上げるよう努めてきた
温和で従順なその麗しい国民がもつ資質は
権威の代行組織による
恣意的な制御の対象となるよう
容易に誘導可能なものとなっており
それが災いして
唯一の被爆体験を
強いられる
という
比肩すべきものとてない
巨大な
悲しみの連鎖という経過を
世界史に刻みつける結末を
70年前の夏に残した
国民は権威に従うことが善であり
お上に従順でありつづけてさえいれば
なにごともうまくいく
と信じさせられてきた
至高の権威者が
戦後
象徴的存在へと変化したことによって
国民はカリスマを失って
占領国であるアメリカ型の支配体制に
率先して順応し
戦後の高度成長期の推進役となってきた
この変化に伴って
価値の基準は
新しい権威者となった
アメリカ型の
それ
多くの場合
経済的には自由主義
を基本とする
政治的には民主主義
と呼ばれてきた新体制
の上に成り立っている
後付けの
特別に
付与された価値らしきもの
を民族の判断基準とすることに
同意することが
民族の発展に寄与した
とする時代が必然的に作られた
それは敗戦国となるその日まで
日本には一度も存在したことのない
封建主義からの解放
を意味する自由という名の価値を
きらびやかな装いとして見せていた
権威主義という土台の上に構築された封建主義
の桎梏から解放され
はれて制約のない身となった
日の本の民は
そうなった段階にあっても
解放された自由を持てあまし
個人としての価値の基準を
積極的に手に入れようとはしなかった
大勢の赴くところをみて
己の価値基準だと
率先して錯誤した
その弊習が
亡霊となって
この国土全域を蔽っている
日本という国に棲むひとびとは
個人としてよりも
全体としての調和を
より重んじる
事の善悪や
好き嫌い
などは価値基準の一つとして認められてはいたのだが
個としての価値が多様なものになっていってからでも
全体の和
を乱すものなら
それを価値とは看做さない
この傾斜が災いとなったケースが
残されていた
権威筋が安全だと宣言していた原発が
水素爆発を起こして
呆気なく
木っ端みじんに吹き飛んだ
あれ以来国民は
権威の示す判断に
とても懐疑的になることができるようになった
だが
核以外の分野では
相変わらず
権威からのご託宣が
盲目的に追随するための絶大な条件
という牢固たる姿勢を
今以て
根強く保持することを
当然視してもいる
権威というものは
古来
天皇制の周辺に跋扈する
ものとなっていた
国会では国民の代表を自任する政党の一部が
公共放送の事業者に
公正な情報伝達を阻むことさえ
平然として
やっていたことがある
その結果
番組の内容は事前に変更され
本来の内容とは違う仕上がりとなった
10年前の2004年のことである
同じ種類の問題が
再び
NHK会長の発言の端々に
繰り返しみられる
権威主義者というものは
自らが権威的立場に就いたとき
権威主義者を目指す者を
再生産する役割を果たすのだ
保守に固執したがるという特異な傾きは
権威主義の結果として
与えられたもの
現状を快適だと思うものは
問題のある制度を温存する行為を意味する
保守に拘る
改善すべき点が皆無といえない状況で
保守を標榜するのは
愚かさの証明にしかならない
問題のある制度を保守することが
どのような意味をもつ行為なのか
ということを
何一つ考慮していないのだ
この点で
批判の対象とされるための存在
という価値を自ら担っている
解決すべき課題をゼロにすることができたとき
はじめて
保守すべきその体制が
整う
誰かのもつ価値判断が
己の価値基準より
普遍的で正当なもの
とする根拠は
見つからない
そして
原発が水素の爆風で
吹き飛んだ
権威は疑うためにこそ
存在することを
許されている
その権威に国民が盲従するようになったとき
この上ない不幸な結末が
被曝体験となって
またもや訪れたのだった
反証を前提とするという意味で
権威主義というものは
はじめから
とても疑わしいものであったのだ