山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

融通無碍に生きる

2015年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム
2015年5月30日(土)
『融通無碍に生きる』
<如何なる生き方をすれば>
いつ記したのかは分からないのだが、何かに記されていたものを写したのだろうと思うのだが、僕の記述に、『融通無碍に生きる』とは、「場合に応じて柔軟に物事を考え処理し、何物にも捉われない生き様」「考え方や行動が何物にも捉われず、自由で滞りのない生き様」とあった。また、「融通無碍」を辞書で紐解くと、「何物にも妨げられず、自由なさま」とある。
自身の今後の生き方を思考するとき、この『融通無碍に生きる』という言葉を思い出した。この言葉を記したころ僕は、融通無碍に生きたいと思考したのだろうか。「場合に応じて柔軟に物事を考え行動し、何物にも捉われず自由に生きる」ことが可能なら、本人にとってこれ程幸せなことはないに違いないと思うが、併しだ、本人は幸せかも知れないが、周囲に居る人達から、そのことが「身勝手ではないか」「迷惑だ」などと批判されることになるのではないだろうか。今後、如何なる生き方をすれば、僕が逝ったときに「あの人は、融通無碍に生きた』と家族や人に言われるのだろうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする