ヒツジグサ(2015年6月28日撮影・堂尾池上手の小池)
2017年6月11日(日)
『何ゆえ山に行くのか』
<暗峠まで御一緒した方に尋ねてみたい>
「何ゆえ山に行くのか」「何でしんどい思いをしてまで山に行くのか」「家でじっとしていた方が楽ではないか」「それも何故独りで山に行くのか」「目的は何にあるんか」と、山に来る度に自問するが答えは出ない。山で滑落事故を起こし、家族始め山仲間や大勢の方々に迷惑を掛けただけではないか。滑落事故を起こして、親からもらった健康な身体を自身で壊しただけではないか。
あれから三年余り経った今、それなのに時間を見つけて山にやって来る。山仲間とやって来るときには、皆が僕の安全に注意を払ってくれているのを感じるし、いつも至極楽しい。また、独りで山にやって来たときにはそれとは違った快楽がある。併しだ、独りでやって来て充実しているときもあるのだが、淋しさを感じ、鬱然たる気分に陥り悄然としてしまうときもしばしばだ。考えれば考えるほど分からなくなる。僕が山に行くのは、一種の「脅迫観念」なのかも知れないと思うときもある。
いつの日にか[むろいけ園地]から南方へと歩くとき、出合った独り歩きの僕と同年配の男性二人に尋ねたことがある。「何で山に来られるのですか?」と。何れの方も「健康維持のため」と答えられた。山に来ると健康維持に繋がるのだろうか。どのような山歩きなら健康維持に繋がるのだろうか。どの位の頻度で山に行けば健康維持に繋がるというのだろうか。ところで「健康」とはいったい何を指すのだろうか。山を歩いておられる方がいう「健康」とは如何なるものなのだろうか。と考えてしまう。
独りで山を歩く人は意外と多い。男ばかりではなく女性の独り歩きの方も時折見かける。昨年暮れに、生駒山頂より暗峠へと向かうときに声を掛けられ、暗峠まで御一緒した80歳代後半の女性を思い出す。その方は僕と同じようなスピードで歩かれた。しかしそのときには「何で山に来られるのですか?」という質問をしたという記憶はない。何処かの「歩こう会」に加入しておられるにもかかわらず、「歩こう会」の例会に満足できず、独りで石切から登って来られた筈だ。その女性にもう一度御目に掛かって、「何ゆえ山に来られるのでしょうか?」と聴いてみたいと思う。