山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

人の命の儚さ(我が娘の在りし日の姿が脳裏に蘇る)

2018年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム
我が家の仏壇
2018年03月05日(月)
『人の命の儚さ』
<我が娘の在りし日の姿が脳裏に蘇る>
2月27日の日記に
「KDさんの処の女性従業員さんが亡くなり、今晩がお通夜だそうだ。
暫く前に娘婿から、
『癌を病み歩けない状態で、身寄りが無くKDさんが面倒を看ている』と聞いていた。
彼女は、娘婿と同い年らしく、上さんが『ちょっと早いね』『可哀想ね』と言ったが、
『もしかすれば、彼女にとって好かったのかもしれない』『彼女にとって丁度よい時なのかも知れない』と返した。
人は亡くなった時が、その人にとってもっとも好ましい時なのだろうと思うからだ。」と僕は記している。
あれから六日目の今日、
KDさんが●●●●に来られ、上さんがKDさんと話す機会があり、彼女の癌とは大腸癌であることを知った。
「オシメの交換は娘がやってくれた」とKDさんは仰ったそうなのだが、
KDさんのお嬢さんは、まだ高校生くらいだと思うのだが、
その娘さんが30歳半ばの女性の介護を如何なる気持で担い、如何なる心中で看取ったのだろうか。
至極心の優しいお嬢さんに違いないと思うと同時に、人の命の儚さを思うとき、
我が娘の在りし日の姿が脳裏に蘇った。
コメント
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