山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

六甲全山縦走路Ⅲ・王子公園駅~摩耶山~記念碑台~六甲山最高峰~有馬温泉駅(穂高湖)

2019年03月06日 | 山野歩
2019年02月24日(日)
『六甲全山縦走路・Ⅲ』
<王子公園駅~摩耶山~記念碑台~六甲山最高峰~有馬温泉駅>
[コースタイム]
◆ [王子公園駅] 8:05 → [青谷橋] → (上野道) → 9:43 [虹の駅] → 10:30 [摩耶史跡公園]10:35 → 10:53 [摩耶山] → 11:02 [掬星台] 11:20 → (アゴニー坂) → 11:58 [杣谷峠] → 12:07[神戸市立自然の家] → 12:42 [三国池] → [丁字ヶ辻] → [前ヶ辻] → 13:24 [記念碑台] 13:45 → (六甲山ゴルフ場)→ 14:26[みよし観音] → 14:42 [六甲ガーデンテラス] → 16:03 [六甲山最高峰] 16:08 → [一軒茶屋] → (魚屋道) → 18:11 「有馬温泉駅]
<穂高湖>
穂高湖という石柱が眼に留まる。立ち寄ってみたいと思ったが、今日のこれからの行程を考えて諦めた。
それは、我が家の仏壇横にある長女の遺影の傍らに、
穂高湖の辺で幼い長女と次女が遊ぶ写真が並んでいるからで、穂高湖の様子を今一度見てみたいと思ったからだ。
その写真は30数年前に撮影したもので、娘達は何をしていたのだろうか、
しゃがみ前屈みになっている次女のお尻が半分見えているという何とも言えないあどけない可愛い写真だ。
昔、我が家では、休日になると時折、上さんが早朝より作ってくれた弁当を持って、
家族4人で山野に出掛け、自然を愛で愉しんだものであった。
当時、我が家には乗用車なるものが無かった筈ゆえ、
摩耶ロープウエイ等を利用して山麓より上ったのだろうが覚えていない。
また六甲山牧場へと足を運んだ記憶は微かに残っている。
今日僕は脚が攣る気配すらなかった。ところが芍薬甘草湯を1袋使用する。
それは自身の為ではなく、1人の女性ハイカーに進呈したからであった。
掬星台が過ぎて現れたちょっとした上り道辺りであったろうか、
僕の直ぐ前を歩いていた5人グループ(男性1人、女性4人の中高年)中の1人が立ち止まった。
横を通り過ぎるときに「脚が攣った」という声が僕の耳に届いた。
脚が攣って歩けないと言う様子ゆえ、芍薬甘草湯を1袋ザックより取り出し差し上げたのだ。
その後、車道に沿って歩くとき、立ち話しをしているグループ横を通り過ぎようとしたところ、
「先ほどはありがとうございました」との声が掛かった。
振り向くと、彼等は先ほど芍薬甘草湯を差し上げたグループであった。
僕の方が彼等より前を歩いている筈なのだが、いつの間にか彼等の方が前を歩いていたのだ。
その後、彼等を懸命に追い掛け、記念碑台のベンチで一緒に大休止にする。
40年以上続いているという西宮の山の会の彼等は、これから宝塚へ向かう予定だと仰って早々に記念碑台を後にした。
しっかりと脚を休めた僕は、いつもの如くゆっくりとした足取りで歩き始め、
やっとのことで辿り着いた16時の六甲山最高峰には誰一人居なかった。
それ以降も意識してゆっくりと歩き続け、暗くなり始めた頃、華やかな灯が点った有馬温泉街に到着する。
先日は青谷道を下ったゆえ、今日は上野道から摩耶山へと至る道を選択した。
小さな墓地を過ぎて山道へと入り、上野道という道標を確認して安堵する。
今日の山行では、六甲山最高峰を踏みたいという思いともう一つ、摩耶山山頂も踏みたいという思いがあった。
先日の山行では摩耶山の頂を踏んでいなかったからで、今日は三等三角点をしっかりと踏んで先ずは一つの目的を果たした。

また、摩耶史跡公園の少し手前を道標に誘われて左へと進むと、旧摩耶の大杉が待ち構えていた。
昭和51年の旧摩耶天上寺の大火災が原因で既に枯死しているのだが、幹周りは8㍍もあり、六甲随一の大木だと記されていた。

アゴニー坂より舗装道路へと飛び出し車道沿いを歩くとき、12時が廻った頃、
先ずは後ろからやって来たランナーに「宝塚までですか?」と声をかけると、「宝塚です!」と答えた。
次は前からやって来たランナーに「宝塚からですか?」と声をかけると、やはり宝塚と答え頷いた。
何れのランナーも、六甲全山縦走の完走を目的に縦走路を走っているのであった。
羨ましいくらいの走り方で、2人の足取りは至極軽やかであった。
コメント
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