◆撮影:2013年6月23日、旧福知山線にて
2013年6月23日(日)
『T山の会』
<旧福知山線・廃線歩行>
■参加者:UMさん、MOくん、MKさん、SEさん、YUさん
[コースタイム]
[JR武田尾駅]13:03→[エントランス広場]→14:50[廃線・終了地点]→15:12[JR・生瀬駅]
<遺作の一枚>
7月の夏山を想定して、不動岩でザックを担いで懸命に登攀している筈であったが、僕とMKさん組は、東壁Ⅲ級ルートを一本攀じ上ったのみで、またMOくん、SEさん、UMさん組は僕達よりも右側のやはりⅢ級ルートを一本攀じただけで不動岩を後にした。それは1本目を上る途中より僅かだが雨が落ち始め、時間の経過の中で岩が確実に濡れ始めたからで、MOくんの判断で「歩荷に変更」ということになった。また、何処を歩荷するかという話の中で、誰の提案であったのかは記憶にないのだが“旧福知山線の廃線”と決まる。そのとき僕は、岩登りを中止することに後ろ髪を引かれる思いではあったが、結果として、歩荷に変更したことが正解となった。それは雨が止むことがなかったからだ。廃線を歩くとき、「止むんではないか」「不動岩を後にするんではなかった」と、後悔するときもあったりしたが、決して強くはなかったが傘が必要なくらいにシトシトと降り続いた。
この“旧福知山線の廃線”を僕は過去に何度か歩いたことがある。それはもう20年以上も昔のこと、その中で僕が明確に記憶しているのは、二人の娘とハイキングにやって来たときのことである。今は亡き長女が、僕が撮影した“旧福知山線の廃線”の写真をもとに数年後に、高校一年になったときに油絵を一枚画き遺作の一枚となっているからだ。我が家は家族でよく山や森中へ行ったものだが、そして多くの写真が残っているのだが、絵を画くのが好きであった長女が僕の撮影した写真を絵にしたのは、この武庫川沿いの廃線と、小学三年生の夏に訪れた上高地岳沢の流れを後に画いた二作品のみだから、トンネル中の「闇」と、トンネル中から出口の向こうに見える「光の煌き」が娘の脳裏に深く刻まれていたのかもしれない。
生瀬駅に辿り着いたとき、僅か二時間ほどの歩荷にもかかわらず、僕は当然のことながら全員疲労していたように思う。新岩始め嘗て攀じたかもしれない武庫川対岸の岩を見ながらの歩荷は、廃線に這入って直ぐに現れたちょっとした広場で休んだ以外は、僕にとってかなりの速歩であった。この廃線を歩いた二時間足らずの間に出合った廃線ハイキングを楽しむ人の数は、雨にもかかわらず軽く百人を上回っていたのではないだろうか。
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