
『 清州城 』
11月14日(日)
清州城は、若き織田信長が暮らしたお城です。
濃姫と結ばれ、桶狭間の戦いに出陣し、小牧山城へ移るまでの10年間を居城にしました。
☆ 清州城模擬天守

お城の中は、4階建ての博物館のような感じです。
城の歴史、戦の様子などが新聞の号外のように展示してありました。
中でも興味が湧いたのは、織田信長の立像と太鼓です。

↑ 「 若き日の織田信長 」 (一階に展示)
作者は、長崎の平和祈念象を制作した北村西望(きたむらせいぼう)さん。
岐阜城の入り口にも、大きさは違いますが同じ銅像があります。

↑ 吉例太鼓 (4階に展示)
戦いの前に戦勝を願い打ちます。
太鼓の横の壁に楽譜が貼り付けてあり、横目で見ながらゲン担ぎに打ってみました。
ドンドン カッ ドドン カッ ♪
金色の小さめな立像は織田信長。
桶狭間の戦いの出陣前、右手に舞扇を持ち「敦盛」を舞い唄う信長。
「人生50年下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」。
一の谷の源平合戦、笛の名手の平敦盛(タイラノアツモリ)を討った源氏の熊谷直美。
この歌は彼が出家する際の心情だそうです。
敦盛は、「青葉の笛」と言う唱歌にもなっています。
青葉の笛文部省唱歌(明治29年)
↑ YouTubeが開きます
☆天守閣からの360°の眺望

↑ 西方向
一番遠くに鈴鹿山脈と伊吹山。
中央の赤い橋が架かる川は、桜で有名な五条川。
左側の線路は、JR東海道新幹線と在来線。
五条川の向こう、線路に分断されて本当の清州城跡があります。

↑ 東方向
名古屋駅前の高層ビル群がハッキリ見えます。
☆ 清州城跡と清州公園
お城を後にし、赤い橋を渡ると目の前が城址。
左に折れ鉄橋をくぐり抜けて公園へ。

↑ 清州城址の碑

↑ 小高い丘
最上部には信長公を祀る祠があります。

↑ 二人の銅像
清州公園の中央の「信長公出陣の像」と「濃姫」の像。
信長は、桶狭間の方向を睨んでいると聞きました。

心配そうに信長を見つめる濃姫。
☆ 清州城のその後
1563年、信長は小牧山城へ移り、その後は岐阜城、そして安土城へ、、、
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1610年、家康の命により清州城と城下町は名古屋へ引っ越し。
1613年、3年がかりの引っ越し(清州越し)完了、と同時に廃城。
尾張の国(愛知県西部)の中心的な城下町だった清州。
人も家もお店も全て名古屋へ引っ越し。
当時は、田畑だけが残り荒れ野になってしまったそうです。
補足
信長が幼少の頃住んでいた城は、名古屋城の前身の那古屋(なこや)城です。
那古屋城を廃城にして清州城に移り住みました。
清州城から名古屋城の距離は、今の道路でおおよそ10㎞。
その2へ つづく、、、
歴史に詳しいのですね!
さすがです。
私は歴史分かりませんが、とてもわかり易く書かれていると思います。
You Tube見ました。
ここに出ているのが、篠笛ですか?
良い音色ですね♥
しか頭にないというw 家康幼少期に人質で
やって来たり、清須会議で知ってる程度。
やはり、畿内・東海地方には歴史的なものが
多いですね。いつか旅してみたいです。
こんばんは^^
コメントありがとうございます。
敦盛の横笛は、能管(のうかん)だそうです。
篠笛より、もっと難しい横笛なんです。
少し前のパイプオルガンと能管のコラボコンサートでは凄い響きに感動し聴き入りました。
中学時代の授業、先生から歴史の裏話も聞かせてもらえて歴史が面白くなりました。
教科書だけの授業じゃなくてラッキーでした。
コメントありがとうございます。
この地に嫁いだことがラッキーだったのかもです。
一番ビックリしたのは、国道1号線を走っていて、交差点の名前に「桶狭間」を見つけた時でした。
歴史の授業で勉強した桶狭間の戦い、、、
それが、ズバリ交差点名になっていたのです。
さすが、三英傑を輩出した土地なんでしょうね。
はい^^ ぜひお越しください。
歴史好きさんなら探検のように楽しめると思います。