10月25日(日曜)
二度目の今回は、正式な登城口から登り、未踏の藤坂・初の門・一の門・土岐門・畳橋跡・大手門。
そして、六段壁を仰ぎ見ながら本丸跡地へ。
登城坂(藤坂)
大手道一番難所の坂道です。
初門を過ぎると、直線的に伸びていた登城坂はカギ形に大きく湾曲する。
有事の際に敵方を足止めするための工夫。
↑ ヘアーピンカーブ
勾配のきつい坂道です。
普通に歩いていても汗ばむほどで、上着を脱いでリュックに詰め込みました。
↑ 土岐門手前の石垣
土岐門
岩村城 大手道第二の門
土岐氏との戦の勝利後、建物の部材を移築して造られたという伝承が残っているそうです。
↑ 同上(標高670m)
畳橋跡
右側の石垣は三重櫓跡、反対側は大手門。
大手門を過ぎて、しばらく歩くと六段壁が迫ってきます。
六段壁
↑ 正面之図
↑ 斜め横之図
↑ 側面之図
↑ 六段目から見下ろして
復 路
本丸跡地の下側の帯曲輪を周り、南曲輪の途中まで足を伸ばしました。
そして六段壁の正面に出ます。そこからは往路と同じコースで下山。
↑ 藤 坂
下りの方が勾配のきつさを感じ足運びは慎重に。
岩村城跡の名所絵図
今回初めて見学した場所は赤線の囲みです。
残す未踏の箇所は、南曲輪の奥の方だけになりました。
岩村城址の植物
↑ 本丸石垣のアザミの花
↑ シシウド?
大手門の石垣の下に咲きます。
初めてこの地を訪れた二年前も同じ場所に咲いていました。
↑ 同 上
岩村歴史資料館の庭にて
↑ 楷樹(かいのき)の紅葉
葉の並びが楷書の語源。
説明文を読んで、思わず、、、達筆になれますように・・・
大正4年(1915)に中国から種子が持ち込まれた日本では珍しい名木。
今日の記念にスタート時刻の午後2時撮影。
二度目の今回は、正式な登城口から登り、未踏の藤坂・初の門・一の門・土岐門・畳橋跡・大手門。
そして、六段壁を仰ぎ見ながら本丸跡地へ。
登城坂(藤坂)
大手道一番難所の坂道です。
初門を過ぎると、直線的に伸びていた登城坂はカギ形に大きく湾曲する。
有事の際に敵方を足止めするための工夫。
↑ ヘアーピンカーブ
勾配のきつい坂道です。
普通に歩いていても汗ばむほどで、上着を脱いでリュックに詰め込みました。
↑ 土岐門手前の石垣
土岐門
岩村城 大手道第二の門
土岐氏との戦の勝利後、建物の部材を移築して造られたという伝承が残っているそうです。
↑ 同上(標高670m)
畳橋跡
右側の石垣は三重櫓跡、反対側は大手門。
大手門を過ぎて、しばらく歩くと六段壁が迫ってきます。
六段壁
↑ 正面之図
↑ 斜め横之図
↑ 側面之図
↑ 六段目から見下ろして
復 路
本丸跡地の下側の帯曲輪を周り、南曲輪の途中まで足を伸ばしました。
そして六段壁の正面に出ます。そこからは往路と同じコースで下山。
↑ 藤 坂
下りの方が勾配のきつさを感じ足運びは慎重に。
岩村城跡の名所絵図
今回初めて見学した場所は赤線の囲みです。
残す未踏の箇所は、南曲輪の奥の方だけになりました。
岩村城址の植物
↑ 本丸石垣のアザミの花
↑ シシウド?
大手門の石垣の下に咲きます。
初めてこの地を訪れた二年前も同じ場所に咲いていました。
↑ 同 上
岩村歴史資料館の庭にて
↑ 楷樹(かいのき)の紅葉
葉の並びが楷書の語源。
説明文を読んで、思わず、、、達筆になれますように・・・
大正4年(1915)に中国から種子が持ち込まれた日本では珍しい名木。
今日の記念にスタート時刻の午後2時撮影。