「うちの息子は開成を受けました。しかし、あともう少しのところで合格出来ませんでした。」とか「息子は東大を受験しました。残念なことに試験前日高熱が出て、結局不合格でした。体調さえ良ければ・・・・・」ということを自慢げに語る方を世間で見かけます。
私はそういうことを聞いて、
「何を言っているのだろう?受けるのは願書さえ出せば誰でも受けられる。大切なのは受験することではなく合格することなのだ。だから、あんなふうに受けたこと自体を親が自慢してどうする。『惜しかった。』という親心はよくわかる。しかし、それを親が自慢げに口にしても詮ないだろう。息子が受験して惜しくも落ちたことを親が語っていては、既に別の道に進み、気持ちを切り替えて、そこで精一杯努力を重ねている息子さん本人がかわいそうだろう。」と内心思います。厳しいようですが、私はそう考えております。
ある日卒塾生の御父母様から相談を受け、その話の中、私の娘の受験の話になり、参考にされたいと言う趣旨で質問されたので「どういう経緯で○○大学に入学したか」をありのままに話しました。通常はプライベートなことなのでそこまでは滅多に話しませんし、相手が卒塾生の御父母様でしたのでここだけの話ということで話しました。私がそこまで話したのは□□大学を受験したことを自慢げに言う趣旨ではなく、そのときはその失敗談がその方のお子さんの参考になればという趣旨でした。
ところが、そういうことってすぐに噂になるもので、私自身は塾関係の何人かにしか話していないのに、いつのまにか娘の受験校、進学校、卒業後の職業まで広まってしまったようです。
実は、私自身が娘の大学卒業後の進路について本当に多くの方に親身に相談にのって頂き、多くのアドバイスを頂きました。お陰様で娘も自分の進むべき道がいっそう明確になり、4月から精進を積む予定です。娘の進路について相談にのって頂いた全ての方々に心より感謝しております。他人に対しても「無償の愛」を実践されている方が数多くいらっしゃることを実感しました。正に「有り難し」です。世の中捨てたものではないです。
私はしがない塾教師ですので娘が就く職業について何の知識もないし、親戚にもそういう関係者がおりません。ですので娘から卒業後の進路について相談されても一般論でしか応えてやれませんでした。そこで、娘が就く職業と同じ分野で現在活躍されている方々に相談をしました。すると、皆さん私の娘と親ばかな父親の私のために本当に親身になって相談にのってくれたのです。そのときの皆様の温かな思いやりとお心遣いが涙が出るほど嬉しかったです。
そこで、今度はそのアドバイスを頂いた方々のお子さまに対していっそう充実した指導をなし、必ずや志望校合格を果たし、ご恩返しをしたいと思います。
私は皆様からの温かい思いやり、お気遣いに触れ、娘と同じ進路を目指す方々に対して、仕事抜きであっても、私がして頂いたように親身になって相談にのり、その方が希望の職業につけるよう、話をして差し上げたいと思うようになりました。私のような者であってもお役に立てるなら、いつでも相談にのり、それが社会へのご恩返しの一つとなれば幸いだからです。
そういう思いで卒塾生の御父母さまの相談にのり、娘のプライベートな話をしたつもりでした。娘の出身中高一貫校や進学した大学・学部などは秘密ではありませんが、いくら親身になって相談にのったとしても、不合格となった大学名までは言う必要がなかった、と思います。今、自らの思慮の浅さを反省しています。