示玄

日々の雑感

喜怒哀楽

2006-07-29 17:01:25 | Weblog
 梅雨は明けたのかと思っていたが、昼前からドシャ降りの雨となった。
久しぶり本でもと、古い月刊誌を・・。
この中の「喜怒哀楽の人間学」の一節です。

 少年は両親の愛情をいっぱい受けて育てられた。その母親が姿を消した。
庭に造られた粗末な離れ、そこに篭った、結核を病んだのだった。
近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は近寄らずにはいられなかった。

 しかし母親は一変していた、少年を見るとありったけの罵声を浴びせた。コップ、お盆、手鏡と手当たりしだいに投げつける。青ざめた顔に乱れた髪、荒れ狂う姿は鬼であった。

 少年は次第に母親を憎悪するようになる。悲しみに彩られた憎悪であった。
少年が6歳の誕生日に母は逝った。「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、少年は全身で逆らい、決して棺の中を見ようとはしなかった。

 父が再婚、新しい母に愛されようとしたが、うまくいかず義母の間に子どもが生まれのけものになる。少年が9歳になって程なく父が亡くなる。やはり結核だった。その頃から公園やお寺が寝場所となる。

 そのたびに警察に保護される、何度目かの家出のとき、義母は父が残していたものを処分し、家をたたんで蒸発した。それから少年は施設を転々とするようになる。

 13歳のとき、少年は知多半島の少年院にいた。もういっぱしの「札付き」であった。ある日少年に奇跡の面会者が現れる。泣いて少年に棺のなかを見せようとしたあのオバサンだった。

 オバサンはなぜ母が鬼となったかを話した、死の床で母はオバサンに言ったのだ
「わたしは間もなく死ぬのです。あの子は母親を失うのです。幼い子が母と別れて悲しむのは優しい記憶があるからです」

 憎らしい母なら死んでも悲しまない、新しいお母さんに可愛がってもらうには、憎ませておくほうがあの子は幸せになるのです。
少年は話を聞いて呆然とした。

 自分はこんなにも愛されていたのか。札付きが立ち直ったのはそれからである。
作家 西村滋さんの少年期のお話です。

 喜怒哀楽が人生です、表面だけ受け止めてはいけない。
その向こうにあるものに思いを馳せる、人間学の所以もそこにあると・・・。
長くなりました、晴耕雨読、きょうは雨でした。
<写真 雨の庭の花、アルストロメリア・メドーセイジ>
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