春は名のみか・・・きょうは冷たい風が吹く。
大根やら白菜に花が咲きそう・・<写真はチェンソー彫刻>
ブログもネタ切れ、ボケ防止ブログは遠い昔の昭和ノスタルジー<半世紀年表から>
昭和30年ころ、岡の家には庭の奥に黒毛和牛が同居。
牛は田起こし荷物運びに重要、また子牛が生まれると家計を潤す。
秋の牛市には土産の少年雑誌が嬉しい、年に一度の本である。
12月に入ると農作業が終わり炭焼き、囲炉裏の傍で母は藁仕事や縫い物をする。
体格のいい母は割木運びも、百姓の荷役も男性と同じ60kgの俵も担いだ。
何処の家でも子供が多く生まれた、女学校を出て産婆のできる母は遠くから来る産婆が間に合わず借りだされたことも記憶している。
多くの団塊の世代の生まれたころのこと・・
こども心に、雪深い山の炭焼き小屋へ祖父の弁当を届けたこともあった。
稲の脱穀や籾摺りの動力に「揮発発動機」があった、石油のことを「揮発油」といった。
大きなエンジンながら、わずか3馬力、これも百姓には貴重な動力であった・・・