活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

オペレッタ「こうもり序曲」を聴きながら

2018-02-25 13:59:07 | 活版印刷のふるさと紀行

 昨日、紀尾井ホールのDNPフィルハーモニック・アンサンブルの定期演奏会に行きました。印刷会社の社員によるアマチュアコンサートが「ふれあい音楽会」と題して今回で36回目と聞くと「おぬし、なかなかやるなー」です。

 終演後のアンケートでヨハン・シュトラウス2世の「こうもり」と混声合唱つきの「美しく青きドナウ」のふたつに私は票を入れましたが、次回の演奏曲目希望は空欄で提出してしまいました。古楽器が必要になってしまうかもしれませんが、本当はグレゴリオ聖歌に代表される日本にはじめて入ってきたキリスト教がらみの曲の演奏や合唱を希望したかったのです。

 なぜでしょうかか。日本に初めてグーテンベルク方式の「活版印刷術」を持ち込んだ天正遣欧少年使節の一行と西洋音楽との数々のふれあいのエピソード、1605年に長崎で刊行されたキリスト教の典礼書『サカラメンタ提要』の二色刷り19曲の楽譜などなど、日本の印刷と西洋音楽との深いかかわりあいの史実から印刷会社のコンサートにふさわしいと思うからです。

 秀吉が何度も懇望したという「皇帝の歌」、これは「千々の悲しみ」ともいわれるが、クラヴォ(鍵盤楽器)、アルパ(ハープ)、ラウデ(リュート)ラベキーニャ(弦楽器)ヴィオラ・デ・アルコ(弦楽器)レアレレジョ(風琴)などの400年も前の音色、「はかりしれぬ悲しさよ―」ではじまる合唱をきいてみたい気がします。

 

 

 

 

 

 

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牛乳パック考証

2018-02-19 14:50:10 | 活版印刷のふるさと紀行

 ここでお目にかけるのは、再利用ボックスに投入寸前の我が家の愛飲後の牛乳パックです。

 戦中・戦後の物資窮乏時代を除いて、牛乳はいちばん身近で馴染みの深い飲みものです。我が家でも昔は毎朝、勝手口の横にある木のボックスに配達されている牛乳瓶を取り込むのは母の役目でした。

 みなさん、ご記憶にあると思いますが、瓶の口の紙の蓋をとるのはやっかいで、めんどうな作業でした。あの小さな牛乳瓶がほとんど姿を消して牛乳パックをスーパーで店頭買いするようになってもう30、40年は経つかと思われます。

 印刷会社の包装印刷部門で牛乳パックや日本酒パックなど紙容器の印刷がされるようになったのは1950年代の半ばころだったと記憶しています。インスタントラーメンや袋菓子、食パンなどグラビヤ印刷部門で新しい分野が次々にひろがった時期と重なっていました。

 印刷会社につとめていると変なクセがつきます。本を買うと奥付の印行名(印刷会社名)を最初に見ますし、珍しい雑誌や豪華なカタログなどに出会っても同じです。牛乳瓶も同じで、開け口部分の凹部に隠れているパックのメーカー名をつい、つい確認してしまいます。

 そのせいか私は家人になるべく見慣れないデザインの牛乳パックを買ってきてもらいます。「味じゃなくて、入れ物なんですか」と文句をいわれながら。そうこうしているうちにひとつ気付いたことがあります。商品名をいかにもその土地の牧場で産したふるさとトレトレ牛乳のようにつけているのに,製造所在地名を確認すると全く関係ない土地のケースがかなりあります。あれは産地偽証ではないかと。

 脱線しました。話を印刷に戻しますと、現在、食品包材などの包装印刷分野が日本でもアメリカでもいちばん堅実な伸びを示していることは注目に値いします。

 

 

 

 

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たかがノンブル、されどノンブル

2018-02-15 13:42:13 | 活版印刷のふるさと紀行

 写植からスタートしてデジタルフォントの領域で大活躍の㈱モリサワについては以前、同社のカレンダーのことを紹介しました。

 モリサワの大阪本社には文字と書物の歴史を見せてくれるショールームがありますが、こんど来館者に手渡しするがイドブック『文字の歴史館』が出されました。それがなかなか憎たらしいような出来なのです.私のように「印刷の歴史」について話す機会がある人間にとってヤラレタ感を催すくらい巧みな。編集です。

 アルファベット圏の文字、漢字圏の文字の歴史と印刷に大半を割き、写植からデジタルフォントへの流れをわかりやすく説明してくれている構成は文字の歴史にとどまらず印刷の歴史としても大変参考になりました。

 さて、話は少々回りくどくなりますが、今日、製本工芸作家の市田文子さんのフェースブックに、これまた先日ご紹介したばかりの学研の『大人の科学 活版印刷機』が登場しておりました。

 評判を聞きつけて今年の年賀状をこの大人の科学の活版印刷機でと思いついた彼女の話、それを読んで「私も印刷機の組み立てにチャレンジしました」というご友人の投稿。活版印刷機がこんなにモテるのは近頃、うれしい話です。

 そこで私にヒラメイタのが、この大人気の『大人の科学 活版印刷機』の企画・進行で活躍された学研の西村さんにモリサワの『文字の歴史館』を読んでもらおうという思い付きでした。「遅きに失したが、印刷の歴史の紹介に苦労されていたから」と。

 さてさて、ことの次第を西村さんにメールをするのに『文字の歴史館』のぺージ数を書き込もうとしたところ、ページの下にも上にもノンブルがないではありませんか。おやっと目を凝らしたら、ありました。パンフレットのページのサイド、小口のところに小見出しとともに赤丸に白抜き数字でノンブルが入っておりました。

 こうした処理はデザイン的、レイアウト的にはきれいですが、ページ数を素早く見るにはちょっと不便です。「ノンブルは製本所で丁合いをとるとき目印にもなるんだ」とかけ出しのころ教わったことをふと、思い出しました。パソコンがないころ、本の索引づくりにノンブルと格闘した思い出もあります、たかがノンブル、されどノンブル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『新潮』の記念号のこと

2018-02-01 13:40:28 | 活版印刷のふるさと紀行

 

  印刷のデジタル化で質問をいただきました。たとえば、前回の雑誌の場合ですと、1990年代までは印刷会社に作家の原稿は原稿用紙に肉筆で書かれた形で出版社経由で入ってくるのが普通でした。印刷現場ではそれを読んで1字ずつ活字を拾う、あるいはオペレーターがタイピングするのでした。

だから、印刷会社には出帳校正室があって校了間際になると出版社の編集者や校閲担当者が詰めきりになってゲラ(校正刷)に赤字を入れ、即、その箇所を印刷現場で訂正するのです。その往復作業を何度か繰り返してようやくOK、印刷開始となるのです。

 それではデジタル化した今はどうかといいますと、作家はパソコンで原稿を書き、そののデータが出版社経由で印刷会社のコンピュータに送られ、それが印刷会社で指定どうりに紙面化されそれが出版社経由で作家のパソコンに送られます。作家はパソコンの画面上で校正します。つまり、原稿用紙もゲラ刷も登場しないままに雑誌作りが進むようになったのです。

 さて、前回は『文藝春秋』でしたが、『新潮』が永久保存版創刊110周年記念特大号が昨年夏に出たことにも触れないといけません。創刊の1904年、明治37年といえば日露戦争の渦中ですから確かに『新潮』こそ日本の雑誌の中で最高齢といえます。その明治37年5月から平成29年5月までの主要作品の掲載年表が「新潮100年史」の形で掲載されていましたが、作家の活躍を通して見る日本の文学史みたいで興味深いものでした。

 特に昭和10年から23年まで主要掲載作品に太宰 治が挙げられていました。そうか、私が『斜陽』に鮮烈な印象を受けたのが昭和22年の7月号だったか。してみると旧制中学の4年生、自分の読書史?にも重なりました。

 そういえば新潮社の出張校正室はありませんでした。印刷元の大日本印刷とあまりにも近く立ったからでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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