活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

夏の終わりに

2012-08-31 03:13:42 | 活版印刷のふるさと紀行

 8月も今日で終わり、ヒマワリもうなだれ気味です。ようやく酷暑ともオサラバかと思うとホッとしまが、いまだに連日、真夏日、いささかゲンナリしています。

 この夏、印刷関連で気になったことが2つあります。1つは例の大阪に端を発した「印刷会社と胆管ガン発症」のニュースです。亡くなられた方はお気の毒ですが、まるで印刷会社のどこもが有機溶剤を撒き散らしている、きつい、汚い、危険な3K職場のような新聞報道は印刷文化と取り組んでいる私にはあまりにも残念です。まだ、新聞記者にさえ、印刷企業のイメージがそんなふうな残像で受け止められているのかと。

 この問題に関しては、印刷産業の団体や印刷会社自身が、もっと積極的に発言すべきではないでしょうか。印刷業の職場環境のありようを広報すべきです。厚生省の調査結果がまたれる段階ですが、私は胆管ガンが印刷会社固有の問題ではないと信じたいのです。

 もう一つは、この夏、経済界を騒がせたシャープと印刷会社の問題です。シャープの経営危機で多くの印刷会社が苦汁を飲まされています。シャープが発注社で印刷会社が受注者というあいもかわらぬ図式の中でのことですが、もういい加減、印刷会社は発注者至上主義環境から抜け出すべきではないでしょうか。クライアントの言いなりになって損するなです。

 8月28日から3日間巨人・中日の東北3連戦をテレビで楽しみました。2勝した初日、2日目、ドラゴンスファンとしては翌朝の新聞紙面も楽しみでした。ところが、中日のブランコがホームランを2発も打った2日目を伝える読売朝刊は驚きでした。1回の絶好機をセーフティスクイズ失敗でつぶした巨人の坂本とブランコに打たれた江柄子投手の写真だけで、ブランコは影もかたちもなし。読売新聞の巨人軍です。読者にはジャイアントファンが圧到的に多いと考えたいなど理由はわからないではないですが、はたして「新聞報道」としてはどうでしょうか。

 巨人大勝の3日目を伝える朝刊はあと、1時間もすれば届きます。楽しみです。

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こころの風景とCD

2012-08-26 11:14:17 | 活版印刷のふるさと紀行

 私の好きなことばに「こころの風景」というのがあります。2年ほど前、友人の富永厚さんの著書の表題に使われていて、いいなと思ったのです。それには青春 朱夏 白秋を生きて、と、サブタイトルがつけられていましたが、香り高い自伝的エッセイとでもいいましょうか、こころの風景からこころのひだまでが読み取れる好作品でした。

 その冒頭にひさしぶりに父上の郷里、長崎の生月島を訪ねるくだりがあり、踏絵を踏み、転び、隠れキリシタンとして生き残る道を選んだ人、信仰に殉じて処刑される道を選んだ人、それぞれに思いをはせるところがありました。

 先週、8月21日の日本経済新聞の文化欄に皆川達夫さんが「キリシタン音楽に光」と題して生月島の「歌オラショ」について書いておられました。生月島の隠れキリシタンが口伝てに伝わったラテン語の祈りのオラショが16世紀にスペインの一地方で歌われていた聖歌「オー・グロリオザ・ドミナ(輝ける聖母)」と歌詞や旋律が一致するのを7年がかりで発見されたいきさつが紹介されています。そして「恐らく宣教師のひとりがふるさとの歌を生月島の信徒に教え、明日、処刑されるかも知れない極限状態の中でこの曲を歌い、400年もの間、伝えてきた信徒の信仰の強さに改めて感嘆させられた」とこころの風景を綴っておられます。

 実は皆川達夫さんは『洋楽事始』というCDを出しておられます(写真)。長崎フィルハルモニア合唱団の歌う「サカラメンタ提要」からグレゴリオ聖歌19曲、中世音楽合唱団の生月島の隠れキリシタンのオラショが10曲入っているのですが、生月島のオレショはなまったラテン語だと聞きましたが、歌詞は聞きとれません。五島や平戸や外海ではオラショは声に出さずに祈るだけといいますが、地を這うような生月島オラショはこころの風景を見せてくれるようで私がよく聴くCDの一つです。

 

 

 

 

 

 

 

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吉田秀和さんのCD『永遠の故郷』

2012-08-25 11:34:48 | 活版印刷のふるさと紀行

 「吉田秀和さんの『永遠の故郷』がこんどCDになるのよ」、集英社の村田登志江編集長から聞いたのは昨年の夏の終わりだったかと思います。そして、いま、そのCDが酷暑の中で私にまたとない涼風を送り届けてくれています。まさに至福のときです。しかし、その間に、吉田秀和さんの訃報をうかがうことになってしまいました。今年の五月でした。多分、このCDの出来上がりがご生前に間に合わなかったのではないかとさえ思われます。

 98歳とはいえ、残念でたまりません。音楽評論家として、文筆家として、もっと、ずーっと生きていていただきたかった。吉田秀和さんは私のモノサシでは到底測ることのできない方でした。音楽界にとどまらず、各界の大御所とのエピソードを耳にするたびにその人間としての大きさと知識の深さに仰天するばかりでした。とくに新聞の連載やNHKの「名曲のたのしみ」で私は吉田さんの深い珠玉のような解説にいつも虜になってしまうのでした。

 晩年といってはいけませんが、最後の方の著作、集英社から出された『永遠の故郷』4部作を出るたびに夢中で読みました。「音楽はすべての人の人生そのものにつながる、だから、決して色褪せない」「永遠の故郷だ」というのが持論の吉田さんが、「夜」、「薄明」、「真昼」、「夕映え」の4部にわけて、それぞれにお好きな曲を託すような思いつきをいつ、どうして、どんなときになさったのか、一所懸命に読み取ろうとしました。

 この永遠の故郷CD版は演奏者についてのエッセイとそれぞれのCDに収められた歌曲の原文と吉田さんの訳詩が掲載された冊子つきのしゃれた構成です。音楽好きのあなたにはぜったいおすすめですし、私自身も当分ハマリッ放しになるCDです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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銀座パレードの日に

2012-08-20 11:46:30 | 活版印刷のふるさと紀行

 こんな人、人の銀座を見たことがない、長年、銀座のオフィスに通っていたのに、こんなに群衆で埋まった銀座通りに出会ったのははじめて。きょうはロンドンオリンピックのメダリストパレード当日です。いったい、どこからこんなに大勢の人が、いったいオリンピックがそれほどのものかなどと悪態をつきたくなるほど身動きとれない状況がお昼までつづきました。

 沿道の人数は50万といわれていましたが、おそらくテレビの実況放送でパレードを見ている人は何千万を数えるでしょう。オリンピックの競技そのものも連夜、ロンドンからライブ中継され何百万、何千万の人が眠い目をこすりながら日本選手を応援したはずです。現代の電波メディアの持つ威力をまざまざと見せつけられた2週間でした。

 実はいま、日本で1900年代早々、大正から昭和にかけて次々に出現した創刊雑誌と印刷のことを調べている最中です。そのなかには大日本雄弁会講談社の創刊から50万部でスタートし、増刷して62万部を売り切ったという『キング』をはじめ、『主婦の友』など多くの読者を獲得して雑誌メディアにミリオンセラー時代を到来させた雑誌が少なからずあります。当然、それに伴って印刷業界も設備増設に走らねばなりませんでしたし、印刷技術も飛躍的に伸びました。

 それから100年、現代の出版界・印刷界はどうでしょう。ロンドンオリンピックを新聞はともかく、雑誌で「もういちど」という人がどれだけいるでしょうか。メダリストパレードに人は吸い寄せられても、雑誌メディアに読者が殺到することは考えられません。銀座パレードの日に、あらためて落日の雑誌メディアと印刷について考えさせられてしまいました。

 

 

 

 

 

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麺だしは「あごだし」に限る話

2012-08-19 11:34:22 | 活版印刷のふるさと紀行

 残暑斬るあごだし五島うどんや舌に冴え   あごめしの写真を載せておいて麺の話では羊頭狗肉?まあ、暑いので勘弁してください。トビウオのことを九州の方で「あご」と呼ぶとしったのはそんなに昔のことではありません。九州取材であごの塩焼きやフライの淡白な味に惹かれました。写真のあごめしは五島に向かう船の〝船弁〟で、これも旨かった証拠写真です。

 さて、その五島で度々、食してやみつきになったのが五島うどん。喉ごしがスルッとしてうどんでありながらそうめんみたいな食感。とくにだしの「あご」がちょっぴり塩っ気もあってカツオだしほど自己主張はしないのですが、そこはかとなく深い味を醸しだしているのが気に入りました。

 うどんといえば稲庭も讃岐も抜群ですが、暑い日の舌にはあごだしの麺つゆにつけて食べる五島うどんほどぴったりのものはないと思うのです。うどんだけではなく、平戸や山形の酒田ではラーメンのだしで有名だと聞いています。

 麺以外で有名なのはトビウオが県の魚になっている島根にあご野焼があります。しかし、私はアツアツのあごだし五島うどんが最高の消夏法です。きょうも福岡から取り寄せた粉末のあごだしを溶いて酒とみりん少々、大分は臼杵のしょうゆでつゆをつくって昼飯といきますか。ところで、トビウオは魚扁に飛ぶでしたか、あごには漢字がないでしょうね。

 

 

 

 

 

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はてな?二つの光景 

2012-08-18 10:48:09 | 活版印刷のふるさと紀行

 暑い日がずーっと続いて朝のウォーキングも連日サボタージュ。今朝は小雨はパラついているが涼しいからとひさしぶりにスタート。ゆりかもめの「新豊洲」のところで妙にアメリカっぽいオール横文字の看板発見。思わず足をとめたのです。

 見ればワイルドマジック アーバンアウトドアパークとあります。以前は草ぼうぼうで前を通ると、まるで牧草地のような草いきれを感じるひろーい土地が金網の向こうにひろがっていました。そうか、あれか、手ぶらで行ってバーベキューが楽しめるバーべキュー場やオートキャンプ場からアメリカンスタイルのラグジェりーテント、カフェやレストランと新聞に出ていたっけ。それにしても何もない、テントの痕跡もバーベキューの跡も。狐につままれた感じでした。

 謎は謎としてゆりかもめの次の駅「市場前」まで行ってみました。というのは、最近気になっているのは、遠目に、例の築地の魚市場の移転先で一揉めあったあの場所に最近テント張りの建物が何棟か見えるので正体を確認したくなったこと。モノ好きな話です。

 ところが、そばまで行ってみましたがただ、天井部が三角のカマボコ型の天幕棟が並んでいるだけで、中になにがあるのか、何が進んでいるのかはわかりません。金網越しに大手の建設会社11社の名前が貼ってあるところをみると、この区画の工事をジョイントベンチュアーで進めるのでしょうか。おもしろかったのは、「自分で考え、自分で、感じる 危ないと思う心が危険予知」という安全標語が目に飛び込んできたことでした。

                             

                   

 

                      

 

 

 

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下町のモダンボーイ井上源之丞(日本の印刷人100)

2012-08-15 10:11:50 | 活版印刷のふるさと紀行

 

 

前回、秀英舎の生みの親として佐久間貞一をあげました。ならば、凸版印刷はというと誰の目にも井上源之丞ということになるでしょう。生年に30年も開きがあるのに、佐久間と並んで日本の印刷業界草創期の巨星扱いを受けているから大変な大物です。

 本人は八丁堀鉄砲洲生まれの江戸っ子ですが、井上家はもともと大阪で「堺屋」という江戸にまで名前を知られた紙問屋で、祖父は廻船問屋として千石船を所有するほどでした。その千石船の難破、倒産によって父、源三郎が東京へ移った。どうやら関西の血の方が濃いようです。

 源之丞は15歳で府立城北中学に進みますが、卒業前に結核に罹り1年休学するようなこともありましたが、後年の凸版印刷の社長時代の恰幅、押し出しからはとても想像できません。この写真は明治34年5月撮影とありますが、凸版はその前年、合資会社として下谷二長町一番地で発足しています。 ですから当時の源之丞は凸版の創業に関わったわけでありません。

 もともと自分で印刷会社を経営しながら顧問のような形で凸版の経営相談に乗っていた彼が会社をたたみ、正式に凸版の副支配人としてスタートを切ったのは明治41年、30歳のときでした。住まいのある新宿区からスーツにアスコットタイで颯爽と自転車で風を切って通勤したようです。日露戦争直後、モダンボーイの先駆けといってよいでしょうか。この年凸版印刷は内外印刷を合併してあらたな第一歩を踏み出しました。その合併に最初から力を発揮したといいますから、案外、本人としては創業にかかわったと思っていたのではないでしょうか。

 いずれにしても、あの、昭和の毒舌評論家大宅壮一が「翁の一生は我が国印刷史」と追悼録でベタ褒めしています。

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彰義隊と佐久間貞一 (日本の印刷人100)

2012-08-14 10:50:40 | 活版印刷のふるさと紀行

 

 

 はっきりしませんが、刀を腰にした武士3人、この中央の男が佐久間貞一、秀英舎、いまの大日本印刷の起業家のひとりです。明治4年11月に長崎で撮影したとあります。

 これに先立つ4年前、慶応4年5月15日、佐久間貞一は彰義隊の一員として上野の山で新政府軍と対峙していました。こう書くと格好いいのですが、実際は洋式装備の1万に対して寄せ集め、負け残りの彰義隊4千では勝ち目があろうはずがありません。雨で日暮れが早いはずなのに明るいうちに決着がついてしまったのです。

 目の前で音をたてて崩れた徳川幕府、江戸城を去ることになった幕臣たちは慶喜や家達を追って駿府入りをします。貞一も掛川に住んで塾通いをしたり、招かれて九州に赴いて天草の島民の北海道移住事業などを手がけたり、伊豆沖で座礁沈没したフランス船ニール号の積み荷を天草の潜水夫を使って引き揚げてちょっと著名になったりします。

 実際に秀英舎が創業されたのは明治9年10月ですが、彰義隊全滅の日から約10年間の彼の歳月を『佐久間貞一小伝』では「流浪中」と表現しています。彼が「活版印刷の会社を興そう」と考えたのは駿府時代なのか、この写真を撮った長崎で活版印刷を目にしたのか、あるいは、教部省で新聞刊行の任に当たったときなのかわかりません。

 とにかく彰義隊員のひとりだった彼、佐久間貞一が友人宏佛海、大内巒、保田久成3人と創業に至るのであって、彰義隊での生死、戦争の行方如何でひょっとして秀英舎、今日の大日本印刷は存在しなかったかも知れません。

 

 

 

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ひさしぶり東京湾の花火

2012-08-12 17:28:11 | 活版印刷のふるさと紀行

 早暁のオリンピックTV観戦の疲れもものかわ、午後7時からの「東京湾大華火祭」の会場に5時半入り。まだ明るいのに晴海運動場は満員でした。

                  

 昨年は東日本大震災で中止でしたが、今年は復興支援も旗印にた伝統花火もあり、かなりの盛況が期待されるので準備万端、マットからクッションまで持参して交通規制でバスの運行がないので、片道000歩をエッチラ、エッチラ。 午後7時定刻に観客全員のカウント・ダウンでウエルカム東京湾なる1発目がド・ドーン。全部で12000発が打ち上げられるというので、1時間20分拍手と歓声が続く豪華版です。  打ち揚げの煙と花火の描き出す花弁の間をヘリコプターがひ っきりなしに飛んでいます。新聞社でしょうか。              

   

 どうも東京湾大華火の華の字が気に入りませんが、このイベントの               主催者の中央区はなかなか頑張っています。特に感心したのは整然とした会場設営と治安と交通整理の念の入れ方です。帰りに人込みを避けて裏道をたどりましたが、そこにも警官と道案内の警備員がちゃんと配されておりました。

 花火の感想? やや色づかいが少ない花火が多かった気がしました。「印刷」といっしょにしてはいけませんが、花火色にもっと鮮烈な色が混じったらいいのにと思いました。それと音です。打ち揚げ近くで花火を見る楽しみのひとつに、あの音があります。奇抜な音をくふうできたとムチャクチャなことを考えた次第です。

 

 

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うなぎ 後日談

2012-08-05 12:36:55 | 活版印刷のふるさと紀行

 6月20日のこのブログで「うなぎのシラスやーい」と今夏のシラス不足によるうなぎの品不足や価格高騰を嘆きました。たしかに7月27日の丑の日を前にテレビも紙メディアもこぞって、うなぎ君を登場させました。加えて、アメリカがうなぎの捕獲を禁ずることを世界諸国に提唱しようとしているニュースまで報じられて憎くっきアメリカと歎じる有様でした。

 さて、丑の日当日、私はどうしたかと思いますか。家人と2人で金1万2千円のお店行きは涙を呑んで断念。近所の大型食品店に予約してあった三河奥矢作の天然うなぎの蒲焼1折3千円也を求めたのです。丑の日当日家人が引きとって来た小ケースの底からヒラリと「うなぎの産地証明書がでてきました。『愛知県三河地区で水揚げされた天然鰻であることを証明いたします』なんだか宝石みたいといいながら自家製うな重をしつらえてくれた家人には面倒がられましたがまあまあの味でした。

 そして昨日、上野のデパートの食品売り場で三河のうなぎの「ひつまぶし」を発見。吸い寄せられるように近づいて匂いに負けて購入。2千700円でした。ところで、ひつまぶしはご存知ですか。ひつとはお櫃のこと、うなぎの蒲焼が細かく刻まれてご飯にまぶしてあるのです。以前、名古屋のうなぎ料理店でよく食べたことが蘇って来て飛びついたのです。食べ方としては茶碗に盛ったひつまぶしを最初はうな丼ふうに、つぎはそのうな丼の上に刻み海苔、わさび、薬味のねぎをのせてさっぱり味わう、最後は海苔、わさび、ネギを乗せた上からだし汁、あるいはお茶をかけてうなぎ茶漬けにするという三通りにわけて食べるのが定法とか。この「ひつまぶし」はベリィグッドでした。

 三河産の天然鰻はいずれも一色とありました。ただ、丑の日に食べたうなぎが予約段階で奥矢作産とあったのは解せません。一色は矢作川と関係ないはずです。あれは?。

 

 

 

 

 

 

 

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