活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

楽しみが減った銀座歩き

2012-01-31 10:37:10 | 活版印刷のふるさと紀行
 大寒とはよくいったもので、東京でもこの4,5日の寒さはかなりのもの。
新潟あたりの豪雪地帯の方には笑われそうですが。

 元気を出して銀座八丁を歩くことにしました。入社した印刷会社が銀座で
したから以来ナン十年、銀座歩きが元気の素と信じているフシがあります。
八丁目の天ぷらやで腹ごしらえして、いざ、中央通りを四丁目方面へ。

 見ると新橋寄りギリギリ銀座の界隈に大型バスが何台も駐車していて、しか
も歩道いっぱいに人があふれています。ここらあたりにしては異風景、近づいて
すぐわかりました。
 中国からのお客様、地震や放射能の問題が少しは落ち着いて安心しての来日
でありましょう。みなさんにぎやかに観光を楽しんでおられるようです。
観光バスの中に徳島ナンバーがありました。たぶん徳島・中国便はないはずだ
から、なぜだろうなどとつまらぬ疑問が頭をもたげます。

 それにしても最近の銀座はすっかり変わりました。私など足を向けることの
ない海外有名ブランドの店ばかりふえてぶらりと立ち寄りたいる店が減ってし
まいました。高層ビルがないことがかえって立ち遅れた古い町の印象を与え
かねません。『銀座百点』華やかなりし、昭和年代をつい、懐かしんでしまい
ます。

 新聞社や印刷所が銀座を占めていた時代など知る由もありませんが、銀座の
柳は記憶の片隅に残っています。いまは、中央通りも並木通りも御幸通りも
みんな変わってしまいました。せいぜい昭和30年代から40年代、あのころ
の面影が残っている銀座さがしをしてみようと思います。



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南蛮船と艀の話

2012-01-29 11:52:51 | 活版印刷のふるさと紀行
 
 この正月に読んだ本でいちばん興味深かったのは、安野眞幸著の『世
界史の中の長崎開港』(言視舎)でした。

 サブタイトルに「交易と世界宗教から日本史を見直す」とあるように
長崎に港が開かれるに至る背景にはキリスト教とイスラム教の勢力争い
もあったというようなことが主題になっております。

 しかし、私が興味を持ったのは、西九州の南蛮貿易港であった平戸・
横瀬浦・福田・長崎・口之津・志岐の各港は、「家船=エブネ}とよば
れる船を家代わりに水上生活をする漁民が水産物を採る以外に陸揚げす
る荷物の運搬や曳き船役や乗船客の搬送にも活躍していたらしいのです。
 
 家船が艀に使われていた。南蛮船が港に着いたり、出港したりすると
き、家船が艀(はしけ)がわりに活躍をしていたとすると、私が想像し
ていたのとは違います。

 私は1582年(天正10)に天正少年使節たちが長崎港を出るとき沖の
南蛮船まで彼らを運んだのは大村か有馬か彼らの応援領主が仕立てた艀だ
とばかり思ってました。住民の少なかった時代ですから、あるいは、使節
たちの出身地から顔見知りの漁民の家船が駆けつけたのかも知れません。

 としたら、彼らが帰国して長崎から加津佐へ活版印刷機を運ぶときも
家船が何艘か協力したのではないでしょうか。



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「嵐」が活版印刷?そしてアラビア文字のカリグラフィ

2012-01-27 11:59:14 | 活版印刷のふるさと紀行
 昨晩の話。読書をしていましたら携帯が鳴りました。取り上げますと
けたたましい声「いま、嵐が活版印刷をしている。はやく、はやく、TBSを
つけて見て」と某女の声が。

 とっさですが理解しました。彼女、相葉雅紀の大ファン。
案の定、スイッチを入れると相葉雅紀・松本潤の二人が『秘密の嵐ちゃん』で
原田知世さんと「名刺」を印刷しているところでした。

 今をときめく国民的アイドルと活版印刷、テレビ局もやるものです。
 
 さて、話題転換。アラブ首長国連邦の高橋 裕さんからアラブ文字のカリグラ
フィの資料が送られてきたのです。
 なんでも彼のラスアルハイマーのお隣の首長国シャルージャで開かれていた
アート展覧会を訪ねたとき何点かの作品を撮影してくれたらしいのです。

 アラビア語は独特のアラビア文字で書かれます。はアラビア文字イスラム教と
ともに世界各地にひろがったはずですが残念ながら私たちにはなじみがありません。
文字と文字をつなぎながら右から左へ横書きをして、行は上から下に進むという
くらいしか私は知りません。

 ディスクに収められた何枚かの作品はアラビア文字のカリグラフィだといいますが、
どれも装飾文様と一体になっていてデザイン的に美しいものばかり。ここに掲げた
作品は地味ですが、カラフルなものがたくさんありました。

 それに、これはシャルージャの市民参加芸術展のようなもので、一般市民の中に
アラビア文字のカリグラフィを趣味としている人がかなりいるそうです。
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東京の雪、越後の雪さらし

2012-01-24 10:46:22 | 活版印刷のふるさと紀行
 今朝、目をさますとテレビが東京の積雪4センチ、あちこちで起きたクルマの
スリップ事故をにぎやかに報じておりました。東京に雪が降るのはいつも2月末
か3月ですから1月の積雪はニュースかも知れません。

 どんな様子かとベランダに出て下を見ると、駐車場がうっすらと雪化粧。おそ
らく毎日、雪と戦っている雪国の人から見たらなんの変哲もない風景でしょうが
物珍しいことは確かです。

 雪、雪国といえば私にも忘れがたい風景があります。「越後上布」の雪さらし
の取材のとき受けた感動です。越後の山なみをバックに広がる雪の大地に越後上布
の反物が何列も並んで晒されているあの風景です。カメラは佐々木照男さんでした
が憑かれたようにシャッターを切り続けておりました。
 聞けば夏の麻のきものとして着てこられた上布が何十年ぶりかに産地へ里帰りして
もう一度新品同様に美しく蘇るのが伝統の技「雪さらし」だというのでした。

 そこにたどり着くまでの雪道の歩きの大変さも昨日のことのように思い出します。
もちろん越後上布や小千谷縮(おじやちぢみ)の生まれるまでの工程も取材しまし
た。暖房もなく、障子1枚の民家の中で機織りがされているのも驚きでしたし、か
なり高年齢の女性ばかりが働き手でした。

 話は飛びますが、以前のオフセット印刷では、よく真っ白の雪がブルーかぶりを
してしまい校正用紙に「青味おさえる」など書き込んだものでした。






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ドバイよいとこ

2012-01-22 16:40:05 | 活版印刷のふるさと紀行
 日曜日は朝寝坊の日、まして「大寒」、昨日、今日と雪か雨かと予報が
いううくらいですから。
 しかし、今朝はうれしいことがありました。ベッドでひろげた日経新聞社会面に
『ドバイの旅、自然満喫』という大見出しを発見。

 ドバイは高層タワー・買い物だけじゃないということで、「真珠作りを体験
砂漠ツアー盛況」とアラブ首長国連邦の新しい魅力を紹介しているではありま
せんか。

 昨年11月の終わりにアブダビ・ドバイ・ラスアルハイマーを訪ね、このブログ
で報告しましたように、ラスアルハイマーで真珠採集船に乗ったり、スゴ腕の日本人
板前さんに絶品のお寿司をご馳走になったり、真珠博物館を見学したり、まさに、
新聞に紹介された通りの体験をした私としてはちょっと得意な気分を味わいました。

 と、いいますのは、この新聞記事にもありますように、これから日本からの観光
ツアーに、今ある四輪駆動車によるサファリー探検に、真珠作り体験が加わることは
確実です。してみると、私は現在観光ツアーにないコースを先取りしたことにな
ります。いつも後塵を拝してばかりの人生でタマにはいい気持ちになるのは許される
でしょう。

 もっともラスアルハイマー訪問は真珠博物館の設計者、高橋 裕さんのおかげでし
たからさっそく「出ている、出ている」と電話しました。すると「この間、取材を受
けましたから」ご当人はきわめて冷静で、私としては詰まりませんでした。

 そうはいっても、ドバイの世界一高いハリファー・タワーから下をのぞきますと、
超近代都市ドバイが砂漠の中の都市というのがよくわかりましたし、きれいで大きな
ショッピングモールでの買い物もまた、楽しでした。
ドバイ良いとこ、いちどはおいで、ぜひ、おすすめです。
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コダックとデジタルと印刷

2012-01-21 10:21:02 | 活版印刷のふるさと紀行
 今朝、新聞をひろげて驚いたのは「コダック 破産法申請」の見出しでした。
つづけざま、夕刊には「コダック上場廃止」とありました。

 それにしても印刷人だったら誰しも「あのコダックがと思わざるを得ない」で
はないでしょうか。大きなコダックのフィルムの入った黄色の箱を大事にかかえ
て製版工場の中を小走り行き来する状景は恐らくいまでもどなたの目にも焼き付
いているに違いないのです。

 もちろん一般のカメラ愛好家でも、カメラマンでもコダック一辺倒はたくさん
いました。
 とくに、印刷の前工程のひとつ、製版ではフィルムが出来の鍵を握っていまし
たし、印刷工場のフィルム使用量は膨大でしたから、コダックの名はそれこそ永
久不滅に思えたものです。

 破産法申請の見出しの横に「デジタル対応遅れ」となか見出しがありました。
1975年に世界で初めてデジカメを開発したのはコダックだったのに、日本の富士
フィルムが多角化してこんなに成長しているのに。130年前コダックを創業した
ジョージ・イーストマン氏は歯噛みしているに違いありません。


 デジタルといえば、その昔、週刊誌『女性自身』の表紙をパリでデジタル・カラー
スキャナーによって分解・製版したのが大日本印刷でした。1961年(昭和36)でした。
その高価なPDIカラースキャナーを大日本・凸版など4社が共同で購入して順番を
決めて使用したのが日本の印刷会社のデジタルへの取り組み第一歩でした。

 私自身の記憶ではイスラエルのサイテックス社のレイアウトスキャナー「レスポンス
300」が導入され、青空に緑の草原が、曇り空の雪の大地にディスプレ上で一瞬に
変化する切り抜き、合成、修正自由を目の当りにして驚いたのが昭和54年だったと
思います。なんだか三題話めきましたが、コダックのこれからに期待します。
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田中一光さんの「光朝」書体

2012-01-15 16:20:57 | 活版印刷のふるさと紀行
 田中一光ポスター展にはGGGとモリサワのポスターがたくさん出展されて
おりました。GGGは場所柄わかりますが、田中さんはモリサワでも長い間
いい仕事をたくさん残されていたからにほかなりません。

 その中でひときは目立ったのが、『光朝』のポスターでした。
 光朝(こうちょう)は田中さんがモリサワのためにつくったフォント(活字書体)
です。デザイナーがフォントを設計するというのは大変なことです。一朝一夕にで
きることではありませんからかなりの歳月がかかっているはずです。

 いわゆる明朝体ですが、字体の鋭さ、力強さ、繊細さから、田中さんが長年ポスター
制作の上で日本文字の書体選択で苦労され、自分で書体設計に挑戦され、その蓄積が
『光朝』を生んだと容易に想像がつきます。


 海外の印刷物、とくにポスターを日本のポスターと見比べると、どうしても日本の
方がスッキリしないように感じます。その理由が絵柄や写真ではなしに、タイポグラ
フィ、書体にあることははっきりしています。
 漢字とかな、それもカタカナとひらがな、さらに数字や英文字までを処理しなくては
なりませんから頭が痛いこと請け合いです。

 と、ここまで書いて私にも頭の痛いことが発生しました。パソコンの操作ミスで
毎回、1枚ずつ入れているブログの写真が全部消えてしまったのです。画像フォルダ
からもピクチュアからも。
 gooにはデータが保存されているはずですが、アタマが真っ白です。




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田中一光ポスター展とシェリー酒

2012-01-15 11:33:46 | 活版印刷のふるさと紀行
先週末、ギンザ・グラフィック・ギャラリーの「田中一光 ボスター1980-2002」を観て
来ました。没後10周年記念企画とありましたが、あの訃報を聞いたときの驚きを今でも、
まざまざと思い出します。

亡くなられたのが2002年の1月10日,私がそれを知ったのは翌朝いちばんで同じビルに仕事
場を持っていたイラストレーターの杉浦範茂さんからの電話でした。受話器を持ったまま暫く
茫然自失でした。
「お倒れになったところが悪かった、人目のあるところで病院へすぐ搬送出来たらよかった
のに」、彼も口惜しそうでした。

私が田中一光さんと仕事の上で最初にお世話になったのは大阪万博のときで、実際に親しく
毎月、ご指導をいただくようになったのは1986年からでした。こんどの展覧会は、円熟期の
作品150点が展示されていますが、時期的に重なっていますのでどの作品にも懐かしさや親し
さを感じ、あれこれ、在りし日の田中さんとのやりとりを思いだしながらゆっくり見ることが
出来ました。

なかでも1990年スペイン、マドリッドで行われたコンプリント(印刷・出版・放送などの国際
会議)に 協賛して開催されたジャパンプリント日本ポスター展のポスターの前では釘付けにな
ってしまいました。

あの夜を思い出したからです。湾岸戦争が終わったばかりのときでしたがなんとか事前交渉も
うまく行ってオープン前々日に会場設営に乗り込んだところ、田中さんと伊東順二さんが荷解き
をしてポスターパネルを床に並べ始めていてくださるではありませんか。

遅れをとって恐縮していると、「いやいや気にしない、1日早く着いたものだから。手伝うから
飛びきりのシェリーをご馳走してよ」
そのポスター展は田中さんの口添えもあって日本の第一線デザイナーの作品を網羅して、最新の
印刷技術を使った作品ばかりでしたから恐らく心配だったのではないでしょうか。

シェリーといえばマドリッド到着その夜に田中さんはお気に入りを見つけられたようでした。
銘柄を忘れてしまいましたが熟成の利いた濃い赤でちょっと辛め、すきっとした斬れ味でした。
イベリコ豚を肴に田中さんを囲んで盛り上がったあの夜は昼間の設営風景とともにわすれられ
ません。

作品制作だけではなく、周辺のあらゆることに神経を行き届かせておられたのが田中一光さん
だったと思います。


田中さんはシェリー酒がお好きでした。銘柄を思い出せませんが、マドリッド滞在中にとくに
愛飲されたのがありました。熟成が利いた濃い赤のジェリーをイベリコ豚を肴におおいに夜遅く
まで楽しんだあのだのことは忘れられません。
お勘定は田中さん持ちでした。ことごとさように、田中さんは作品制作だけではなく、あらゆる
ことに神経を行き届かせる人でした。





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カール・マイって知っていますか。

2012-01-13 13:58:02 | 活版印刷のふるさと紀行
 七福神詣での話からパリへ飛んでしまって、われながら自分の思考回路の混乱ぶりに
いささか呆れております。お許しください。

 浅草七福神が9か所あって、実際は九福神あることを歩いてみて知りました。道理で
かなり足が疲れました。9か所でご朱印を頂いた色紙は我が家の玄関の下駄箱の上に
鎮座してもらって、いよいよ本論に入ることにします。

 私はこのところ「積ん読派」の仲間入りをきめこんだ感があります。ところが、正月に
その山から引っ張り出して読んだ1冊に戸叶勝也さんの『カール・マイ』に刺激されました。
サブタイトルに“知られざるドイツの冒険作家”とありましたが、正直、私にとってもカー
ル・マイは知らない作家でした。

 戸叶さんによると、カール・マイはドイツでは大人気作家で、百年余の間に聖書につぐ
発行部数を数えている子どもでも知っている「国民作家」だというのです。現に彼の著作
だけを専門に出すカール・マイ出版社があるそうですし、映画化されている作品もあるそ
うです。

 テレビの「タイム・ショック」ではありませんが、知らないとなると口惜しいではあり
ませんか。先日、アラブへ行ったばかりで興味もあるので、さっそく『砂漠への挑戦』を
アマゾンで求め読んでみました。

 舞台がエジプトで、百年以上も前ですから地理的環境は違いますが、なかなかスリリング
でした。そういえば、いまはこういった冒険小説の類は少なくなりました。もちろん、マイ
にとってはもっと純文学系統の作品もありますが、正月です。『ティグリス河の探検』
『悪魔崇拝者』など、彼の血沸き肉躍る活劇作品をもう2~3読んでみたいと思います。
 

 
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パリの人力車

2012-01-12 10:57:36 | 活版印刷のふるさと紀行
 大曲塾の七福神詣でのところで、浅草の人力車について書きました。
前述の平野興平さんのブログで、なんと、パリのシャンゼリゼを颯爽と走る
パリの人力車の恰好いい写真をみつけました。

 ドライバーとボディーの赤が効いています。
 もう何年か前、長崎の県立美術館を訪ねたときにこれと同じような人力車
(横文字の愛称がついておりましたが忘れました)興味本位で乗りこんだこ
とがありました。乗りごこちもよかったし、ボディーもパリに負けず劣らず
のスマートさでした。あれは、いまも走っているでしょうか。
 
 スローライフが提唱されている折、こうした乗り物は気分転換にはいいで
しょうが、個人的にはまだ、次々に発売される小型の電気自動車に目が行っ
てしまいます。申し訳ありません。
 
 それと、自転車といえば、最近は警察や自治体も気にし始めたようですが、
歩行者で歩いているとき、クルマのとき以上に「自転車」がコワいのです。
歩道で音もなくウシロから追い抜きをかけてくる人の多いこと、はっとして
やりすごして、見ると、幼児を前後に乗せた若いママさんだったりするので
すから、スローライフどころではありません。

 ところで、みなさんも平野さんのブログ、「inotora12の日記」をのぞいて、
感想を投稿してあげてください。きっと喜んでくれると思います。

http://d.hatena.ne.jp/inotora12/



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