活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

ラアス・アルハイマ首長国へ

2011-11-29 20:29:42 | 活版印刷のふるさと紀行
 ブログを休んでいる間にアラブ首長国のラアス・アルハイマに行ってきました。
ご存知のようにアラブ首長国は7つの国にわかれています。
ラアス・アル・ハイマはアブダビやドバイほど知られておりませんが、7つのうちの
1つで、ドバイから車で1時間ちょっと、アラビア半島の尖端にあります。

 なぜ、そんなところまでとお思いでしょう。実は私の属している印刷文化研究会
神田川大曲塾のメンバーの一人である高橋 裕さんが設計した「真珠博物館」が
オープンしたと聞いて一度は訪ねてみたいと思っていたアラブの土をこの際、踏んで
やろうと勇躍出かけた次第です。

 高層建築の立ち並ぶドバイの街中を抜けると、高速道路沿いに沙漠が見え隠れし始め
ます。ときおりラクダもいます。そしてしばらく走ると瀟洒な別荘地帯が広がります。
警報ブザーが鳴りっぱなし、130キロで飛ばすので風景はどんどん変わります。

 真珠といえば日本、脳裏に伊勢志摩が浮かびがちの私にとってアラブと真珠は結び
つかないと見てとったであろう高橋さんが最初に案内してくれたのが海岸にある真珠の
加工場でしたし、それから船で真珠の養殖浮きのある海上へ連れ出してくれたのです。

 その話は次回に譲って、今回は高橋さんに敬意を表するべく、「真珠博物館」の前に
立つ彼をご紹介することにしましょう。

 

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恨むまいぞえ「寸又峡」

2011-11-19 10:24:40 | 活版印刷のふるさと紀行
 掛川の資生堂での研究会を終えた神田川大曲塾の塾生一同は折から
紅葉シーズンということで、かの、寸又峡へ向かいました。

 暮れなずむ大井川沿線の風景を楽しみながら大井川鉄道で千頭(せ
んず)へ。もちろん、大井川鉄道のSL写真入りの缶清酒が大モテ。
千頭からは最終バスに拾ってもらい、寸又峡に入りました。
 
 夜の宿で遅くまでのカンカンガクガクの印刷文化論は塾名物で恒例。
そのかわり、これまた、ご当地名物の『美女づくりの湯』を女性軍は
どれだけ堪能できたか心配でした。

 それでも翌朝、眠い目をこすりながら寸又峡散策を開始。紅葉は七分
どおり、それでも久しぶりに大自然を満喫。「日本の自然100選」で
すから大満足。ただし、長さ90メートルの「夢の吊り橋」はスリル満点、
ちょっぴり恨めしいそんざいでした。写真のモデルは塾員でヒマラヤ男の
中野慶一さん。さすがに鼻歌交じりでした。

 吊り橋も吊り橋ですが、400段近い段々は私には散策とは程遠いもの
でした。おまけに落ちない大石で有名な外森山神社の階段まで追加された
ので、恨むまいぞえ寸又峡になってしまいました。

 しかし、初体験大井川鉄道のSL急行は結構でありました。


  
 



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資生堂アートハウスで

2011-11-18 09:59:53 | 活版印刷のふるさと紀行
 銀座の資生堂ギャラリーは馴染みの場所でしたが、掛川のアートハウスは
はじめて。企業資料館よりもメインの位置を占めているので、館員にうかが
ったところ、15年も兄貴株とのことでした。

 まずアートハウスのたたずまいがいいのです。玄関手前のグルグルまわる
彫刻もアートの象徴なら、建物そのものがアートそのもの、1980年の
建築学会賞受賞は当然とうなづきました。

 ここに収蔵されているのは大正時代からの歴史を持つ銀座の資生堂ギャラリー
で開催された美術展や工芸展に出品された絵画・彫刻・工芸品で、1600点も
あるそうです。

 さっそく、見て回りました。

 ガラスごしに屋外の風景まで取り込んだ空間で彫刻作品を程よい間隔で見られる
常設展示も楽しかったですが、奥村土牛や高山辰雄さんらの日本画、梅原龍三郎
や岡鹿之助さんらの洋画、佐藤忠良・、舟越保武さんらの彫刻、それに斯界随一の
作家による陶芸・染織・漆・金工、ガラスや竹工芸の作品を一点,一点じっくり
カーブを描いた壁面に沿って見て行くのは珠玉の時間です。

 ここで久しぶりに佐伯米子さんの花の絵に出会うことが出来ました。落合でパリ
がえりなのに着物を召して祐三の思い出を話してくれた米子さん在りし日を思い出
しました。
 また、「うるし、麗し」と題して田口善国・磯井正美・増村益城・赤地友哉さん
ら人間国宝作家による漆芸品の展覧会にも目を奪われました。



 


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資生堂の企業資料館で

2011-11-17 12:42:13 | 活版印刷のふるさと紀行
 資生堂といいますと、あの前田美波里が青空バックに砂浜に水着で
寝そべっているBEAUTY CAKEの中村 誠さんデザインのポスターを思い
浮かべてしまう中年以降の方は多いと思います。
1960年代の半ばだったでしょうか。もちろん、私もその一人です。

 私たち神田川大曲塾の見学は「企業資料館」から始まりました。
創業120周年の1992年につくられたといい、4階建てで、3~4階に
は創業以来の製品と宣伝広告物などの資生堂の企業文化の資産がどっさり
収蔵されているそうです。

 見学の対象は1階の時代とともに歩んだ企業文化のアーカイブといいます
か、創業からの資生堂の歩みがわかる展示です。
学芸員アシストの柏倉さんという女性が時代を追って丁寧に解説してくださ
いました。私はたまたま生まれた年にギフトとして使われたモダンな女性を
配したウチワに惹かれました。

 しかし、展示の圧巻はなんといっても2階の「デザイン史パネル」や
「ポスター広告の変遷」のコーナーでした。写真はタイポグラフィー処理
だけの初期の広告ですが、空白を生かしたデザインの美しさは当時の広告
表現で他社の追随を許さないものでありました。おそらくアール・ヌーボー
を基調にして新進気鋭の「意匠部デザイナー」が女性美の訴えかけを懸命に
した作品でありましょう。

 いままで、自動車や造船のようなおおがかりな展示をしている企業資料館を
たくさん観て来ました。資生堂の場合たまたま製品が小さいという展示の上での
利点はありますが、このように創業から140年の各時代を明快に切り取った
資料館はぜひ多くの人に日本の文化史、日本のデザイン史として見てもらい
たいものです。頂いたパンフレットに「美と知の資料館」とありました。

 

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神田川大曲塾 秋の研修は掛川から

2011-11-14 11:54:11 | 活版印刷のふるさと紀行
 ここは静岡県掛川市下俣、新幹線の掛川駅からタクシーなら5分のところ。
浜松に向かう新幹線の左側の車窓から目を凝らせば見えるようなところに建つ
資生堂のアートハウスと企業資料館見学が わが神田川大曲塾の秋季研修の
スタートでした。

 どやどや私語しながら車を降りた塾員を迎えてくれたのはアートハウス右手の
イタリアの具象彫刻家ベリクレ・ファツィーニの「後脚で立つ馬」と題された
力強い馬の彫刻で思わずその場に釘づけになりました。

 それにしても都心の文化施設では想像もつかない、青い空と芝生と植栽に囲まれ
大きな彫刻を配した広い敷地に「資生堂アートハウス」と「資生堂企業資料館」
の贅沢さには驚かされました。芝生の前の散策道で、これで隣を走る新幹線の音さ
え耳に入らなければと思ってしまいました。

 資生堂といいますと、私たちはつい、化粧品を思いうかべてしまいますが、明治
21年(1888)に日本最初の練り歯磨き「福原衛生歯磨石鹸」を発売した薬局
だったそうで明治30年かあ化粧品を手がけるようになったと聞きました。
 高等化粧水「オイデルミン」がそれで、なんと今でも販売されているといいます
からロングセラーもロングセラー、114年ですか。

 その歯磨きの前は明治5年(1872)に東京銀座で福原有信が創業した西洋式の
調剤薬局でした。銀座の大火、煉瓦街、新橋~横浜の鉄道開通のあの時代です。

 大曲塾としてはこのように明治の初めから今日にいたるまで、日本の文化をつくり、
支えて来た資生堂の企業文化や印刷文化とのかかわりを勉強できればと思っての
見学行になった次第です。



 


 

  
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世界のブックデザイン展を見る

2011-11-13 14:23:49 | 活版印刷のふるさと紀行
 印刷博物館のP&Pギャラリーで本日から始まったWorld Book Design
2010-11を観て来ました。

 これは毎年3月、ドイツのライプツィヒ・ブックフェアで開催される
「世界で最も美しい本のコンクール」2011年度に入賞した図書に、日本の
造本装丁コンクールの入賞作品やオランダ・スイス・中国・カナダ・オーストリア
など7か国でコンクールに入賞した作品が250冊ほど展示されています。

 カナダとオーストリアは今年はじめての新顔でしたが、会場をひとめぐりした
第一印象は、以前と違って出品国による違いがなくなって、デザイン・レイアウト・
造本や印刷の水準がある程度均質化されて来たような気がしました。
 おそらくデザイン教育やそれぞれの国同士のデザイン交流が背景にあってのこと
でしょう。

 電子書籍の時代にあっても、こうした手にとってこころよい重さを感じながら、
紙の手触り、インキの色やにおい、タイポグラフィーを指先や目で楽しめるのは
「美しい本」が醸し出す醍醐味のように思います。

 その点、この展覧会でありがたいのは現物を手に取って見られることです。
ただ、凝った造本で、手に取るのがこわいようなのがありますので、はたして、
2012年2月19日までの会期中、バラけずにもつか心配です。

 

 
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大友宗麟の謎

2011-11-07 15:43:15 | 活版印刷のふるさと紀行
 写真はポルトガルのアズレージョ風の白壁です。タイルではなくて
漆喰壁ですが、南蛮風でいかにも大友宗麟の臼杵らしくていい感じです。
私はこの写真をパソコンの壁紙につかっていたせいもあって、臼杵とい
うと石仏よりもこの壁をイメージしてしまうほどのお気に入りです。

 宗麟は禅宗に凝り、臼杵に寿林寺を建てたり、京都の大徳寺にも瑞
峯院を建てて寄進したりして熱をあげていたのですが、急変するのです。
 あわただしく、自分よりも息子や部下を先に受洗させ、キリシタン嫌
いの妻を離婚し、再婚した新妻を受洗させ、1578年(天正6)にいよ
いよカブラルによって自らも受洗してドン・フランシスコを名乗ります。
若い時に出会って尊敬したフランシスコ・ザビエルのフランシスコから
頂戴したフランシスコであることは当然です。

 こうして宗麟がキリシタンになったことで豊後領が大騒動になります。
それに受洗直前に、大軍を率いて日向に攻め込んでいます。加えて親子して
寺社仏閣の弾圧にも乗り出していますし、国主の改宗を許せない部下も
山ほどいます。まさに国を挙げて大波乱の様相を呈していました。
 
 折も折、ちょうどその時期にヴァリニャーノが臼杵に宗麟を訪ね、7か月も
滞在する時期に重なります。布教や修練院で講義をしたりしています。
 カブラルとちがって仏教や僧侶に対して敵意を持たない主義だった彼には
宗麟がどのようにうつったでしょうか。

 ヴァリニャーノが臼杵に7か月も滞在していたのに、少年使節派遣の
計画を宗麟に伝えていなかったというのが定説になっています。
 はたして豊後代表ともいうべき伊東マンショの使節入りを彼が知らなかった
というのはほんとうでしょうか。
 もうちょっと、宗麟について考えてみたいものです。


 
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臼杵の町と大友宗麟

2011-11-06 13:07:49 | 活版印刷のふるさと紀行
 前回書きました大分の県庁そばの遊歩公園で西洋音楽発祥の碑や
外科手術事始めや西洋演劇事始めの碑を見て歩いていますと、いまから
450年以上も前の九州の人たち、とりわけ子供たちがどのように南蛮文化を
受け止め、理解していったのかと、つい、想像してしまいます。

 そして思いの行き着くところは「大友義鎮(よししげ)」、宗麟になるのが
自然です。彼を語るには戦国大名として九州六か国を牛耳っていた時代と、島津
に敗れてからのキリシタン大名として時代と二つの側面があります。
私は少年使節との関連からどうしてもトルレスやアルメイダやフロイスたち宣教師
と親交を重ね、来日早々のヴァリニャーノの訪問も受ける後者のキリシタン大名と
しての方に興味を持ってしまいます。

 彼がキリスト教信心を深めたのは、出家して宗麟を名乗って府内(大分)から
臼杵に移住してからのようです。出家して宗麟を名乗るのと、キリスト教との接近は
どうも理解しがたいのですが、キリシタン嫌いの奥方との軋轢などエピソードには事欠
かないので、なにか測り知れないものがつき動かしたのかもしれません。

 私は臼杵の石仏のある界隈も好きですし、趣のある街並みにも心惹かれます。
野上弥生子の生家、小手川酒造のところの白塀に僧衣姿の宗麟も描かれている
ポルトガルのタイル絵アズレージョ風の壁画も気に入っています。


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洋楽事始めとサカラメント提要

2011-11-05 15:45:02 | 活版印刷のふるさと紀行
 久しぶりの曇り日の土曜日です。こんな気分の日にはと探し回って
聴きはじめたCDが『洋楽事始』、長崎フィルハルモニア合唱団の合唱
『サカラメント提要』でした。

 サカラメントは音符と歌詞は黒、五線は赤の2色刷りで、これが日本の
活版印刷で最初の2色印刷であることは印刷史上、周知のことです。
1605年、慶長10年にキリシタン版として印刷されています。

 西洋音楽の事始めというと、私は大分市の府内城の前の遊歩公園にある
「西洋音楽発祥記念碑」を思い浮かべます。(写真)外国人宣教師が弦楽器
を弾いている前で3人の日本人の子どもがかわいらしい口を開けてうたって
います。彫刻は富永直樹という人の作品ですが思わず450年前の情景に吸
い込まれて行く気がしました。

 何を歌っているのでしょうか。大分に洋楽をもたらしたのは、ザビエル
で、1551年9月19日に府内城に大友宗麟を訪ねたときに楽器を携えた
記録があります。1557年、弘治3年に大分では聖歌隊がオルガン伴奏で
讃美歌をうたったといいますから、讃美歌かグレゴリオ聖歌だったでしょう。

 私の聴いている合唱の指導はかの皆川達夫先生だとあります。ラジオその
他で皆川先生の解説を楽しみにしておられる方をたくさん知っていますが
あらためて、洋楽事始の講義と聖歌を聴きたいものです。

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川越で。印刷メディアよ、健在であれ。

2011-11-03 11:11:32 | 活版印刷のふるさと紀行
 日中は晩夏の感じが残る秋の日差しの中、埼玉の川越の町をうろつ
いてきました。来月早々、紅葉の最中に何人かの方を案内するためです。

 振り出しの喜多院はNHKのドラマ『江』の影響もあってか、江戸
城から移築された家光誕生の間や春日の局化粧の間を見たさに訪れる
人でいっぱいでした。東日本大震災で多少の受けたそうです。

 次に訪ねたのは「川越まつり会館」、川越まつりは10月の第3土・
日曜日に終わったばかりですが、360年の歴史を持ち、華麗な山車
(だし)で有名です。この会館は前市長の肝いりで町おこしのために
つくられたそうで展示も演出もなかなかのもの。お囃子や祭りに酔う
群衆のどよめきが聞こえてくるようでした。

 大型スクリーンに映し出される祭り当日の映像も迫力がありましたが、
山車の上からの視線で群衆や囃子連中が見られる機器も人気でした。
 当然ですが館内に現物の山車が2台と建造中の山車が1台展示されて
いましたが、最近作られたものは1億2千万円とかで驚きました。

 さて、このような映像や会館ガイドの熱心なナマの説明も観光客にと
ってはうれしいものですが、川越の町歩きで私があらためて感じ入った
のは、印刷メディア、「観光パンフレット」のもつ役わりです。
 写真の川越まつり会館の6つ折りパンフレットも全市の29台の山車
が見られ、川越まつりの歴史や全容が簡単に理解できる編集で好印象を
もちました。

 町をめぐる巡回バスの中でも、蔵造りの町を訪ね歩く人の手にパンフ
レットは握られていましたが、スマートフォンやタブレットの地図だよ
りの人は見かけませんでした。印刷メディアよ健在でありつづけてほし
いものです。

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