活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

キリル文字展

2009-02-27 18:11:42 | 活版印刷のふるさと紀行
 前回、gggのヘルベチカについて書きましたが、同じ2月に印刷博物館で、「キリル文字をポスターに」という興味ぶかい展覧会もありました。
 これはキリル文字30種を世界を代表するグラフィックデザイナー30人が30枚のポスターにした展覧会でした。

 それぞれ趣向をこらしたデザインはともかく、私は会場であらためて知り、考えさせられたことがありましたのでひとこと。

 私にとってのキリル文字はロシア文字として認識しておりましたので、まず、いまから1000年以上前に、現在、ロシア語をはじめスラブ系言語で使われている
この文字がブルガリアで作られたことを初めて知った次第です。

 現在、キリル文字はご本家ブルガリアをはじめロシアはもちろん、ウクライナ、マケドニア、カザフ、マケドニア語など10ヶ国語で使われているようですが、
「はたして、いま世界中で、文字の種類はどれぐらいあるのだろう?」
と考えてしまいました。

 漢字やローマ字やギリシャ文字やアラビア文字はもちろんのこと、日本語のひらがな、カタカナ、韓国語のハングル、タイ語のタイ文字、ミャンマーのビルマ語のビルマ文字など指折り数えていくと20や30はありそうです。

 活版印刷時代、「活字見本帳」には、確か10種類くらいしかなかったと思いますが。
  
 さて、話はヘルベチカにもどりますが、先日、JRの車内からボンヤリ駅名表示を見ていたら、ローマ字書体がヘルベチカであることに気がつきました。



 
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GGG2月展はヘルベチカ

2009-02-17 09:41:54 | Weblog

 GGGではなく、ギンザ・グラフィック・ギャラリーはgggの表記が正しいのですが、そんなことはともかく、オープニング当日2月5日に2月展を見ました。
 
 印刷と長い間お付き合いしてきた割には、私は英文のタイプフェースに弱いのです。何十年も前、印刷会社の新入社員のころ、カレンダーに使われる玉(数字)や英文字の分類調査をさせられたことがあります。それがセリフかサンセリフかにはじまってやっかいな仕事であったことが手伝っているかも知れません。

 ところでヘルベチカに関する展覧会は昨秋、原宿のラフォーレや今年はgggの
弟分、大阪、四っ橋のdddギャラリーで1月に開催されたはずですが、どちらも見逃し三振でしたから期待や大でした。

 gggの展示は期待を裏切りませんでした。誕生以来50年、「印刷」領域だけにとどまらずあらゆる分野で広く使われているヘルベチカ書体の人気のほどを知らされました。

 大阪万博のころは、まだ、「ノイエ・ハース・グロテスク」と書体指定していた記憶があります。ヘルベチカがラテン語でスイス、1950年にエドアード・ホフマン
が手がけ、1957年にマックス・ミーティングが太字を手がけた一つのタイプフェースのあゆみの奥深さをまのあたりにすることができた次第です。
 
 gggやdddのDNP、印刷博物館の凸版、ミュージアムのミズノプリンティング等等、厳しい経済環境のなか、印刷企業の社会貢献も大変ですが、こうした文化活動の輪をますますひろげてほしいと願うや切でもあります。
写真はggg第272回企画展リーフの表紙からです。



 

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2009年のGGG

2009-02-15 18:02:18 | 活版印刷のふるさと紀行
 GGG、ギンザグラフィック・ギャラリーの1月展と2月展を続けてみました。
どちらも見応えがありました。
 GGGはグラフィックデザイン畑の人ならどなたもご存じですが、1986年3月、DNP大日本印刷が銀座7丁目にオープンさせたグラフィックデザイン専門のギャラリーで、1月展が第271回の企画展でした。
 印刷とグラフィックデザインは、いわばお隣リ同士、おたがいにテクニックを競いあうところからDNPが文化貢献として、地味ではあっても、大切にして、堅実な歩みを重ねているのはサポターの一人としてうれしいことです。
 1月展のタイトルは「きらめくデザイナーたちの競演」。戦後のポスターの名作を一堂に展示したすばらしい企画展でした。亀倉雄策・早川良雄・田中一光・永井一正のような大家から永井一史・佐藤可士和のような若々しい方までアーカイブ収蔵作品と印刷技術を堪能できました。
 
 ただ、忘れがたいのは1月9日のオープニング席上で「きのう、台湾から帰ったばかり」とお元気だった福田繁雄さんの訃報を三日後の聞くことになったことです。
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