活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

校正恐るべし

2008-06-30 06:59:41 | 活版印刷のふるさと紀行
 大きな出版社には校正を専門業務領域にする部門があったり、熟達の校正マンが大勢いたりしますが、ふつう一般編集者にとって、「校正」は重要なデスク・ワークであり、胃の痛む仕事のひとつです。

 なぜかといって、これほど集中力を要する仕事はありません。古い話ですが、イギリスで Notの3文字を見落としたために「汝、姦淫すべし」となった「姦淫聖書」は誤植事件としてあまりにも有名です。

 単行本の場合、校正は文章として読むよりも、人名、地名、年号など、まず、一冊の中で表記が統一されているか、頭のページから最後のページまで、一つの項目について通してみるような機械的作業が欠かせません。

 雑誌の場合など、気をつけねばならないのは、小さな本文活字よりも、見出しの大きな活字の誤植を見落とすことが多いのです。
 私自身も誤植では、かずかずの失敗をしてきましたし、自分では気がつかない、つまり、指摘されないで終っている誤植をかずかず仕出かしているに違いありません。

 忘れられない誤植事件を二つ。東大教授の学術書ができあがりました。原稿段階から3年は取り組んで、校正にも慎重を期しましたから自信満々、出来本を抱えて
ご自宅へうかがいました。
「ほう、ようやく本になりましたか」、だが、一瞬、先生の目が曇りました。第1ページに誤植があったのです。
 デパートの家具カタログの制作をしました。これも出来上がって見本を届けに行って、宣伝担当役員に誤植を指摘されました。なんと、表紙の社名のローマ字表記がヘボン式綴りでその社の表記と違うではありませんか。その社の指定ロゴを使えばなんでもなかったのに、気取ったタイプフェースを選んだ罰でした。

 
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校正ゲラとの格闘

2008-06-29 04:57:39 | 活版印刷のふるさと紀行
 活版印刷での本作りや雑誌づくりの場合、面倒だったのは「校正」でした。
単行本のときは、16ページや32ページ単位で右肩をコヨリで綴じて、「初校」とか「再校」とか赤いスタンプが押された校正刷りの束が印刷所の営業マンやお使いさんによって届けられます。

 初校のときは、「ゲタ」を履いている箇所がたくさんあると、紙面が点々と黒くなっていて、「さあ、来い」と、挑戦されているようでした。その箇所は該当する活字が見つからなくて、とりあえず二の字型で埋めてあるわけです。

 レイアウトマンや校正マンが「割付」や「校正」を専門に引き受けて編集作業を進行するようになるまでは、この厄介なふたつの作業が編集者の社内ワークの大半でした。
とくに、雑誌の場合は、自分が割り付けた通りに誌面が組まれて出てくれば、ホッとするのですが、収まりきらなかった原稿が欄外にコボレテいるのをみると、自分の割付の下手さ加減が口惜しかったものでした。

 校正は編集者だけで済ますケースはほとんどありません。下見にあたる「内校」
をすませると、自分で著者に届けに行かねばなりません。
著者によっては、訂正、加筆を、これでもか、これでもかとする人がいて、編集者泣かせ、印刷所泣かせでした。私の経験では、高名な人ほどその傾向があったように思います。

 なかには、最初、赤インクで校正しておいて、さらに、そのうえに青インクで
再訂正をするような芸当をする著者もいるのですから受け取って泣けてきました。私にとって「校正」は「格闘技」でありました。


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