青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

黒部耕土を俯瞰して

2019年10月10日 23時00分00秒 | 富山地方鉄道

(黒部沃野を望む@宮野運動公園展望台)

富山湾に沿って北へ続く平地が、北アルプスの山稜に遮られる前に大きく広がるのが黒部川の扇状地。フォッサマグナを挟んで日本の東西からの力がぶつかり合い、激しい造山運動によって隆起し形成された北アルプスは、その北の果てで400~500mの標高を保ったままストンと日本海に落ち込んでおり、日本海沿いでは有数の交通の難所である親不知を形成しています。浸食激しい黒部峡谷の土砂がなだらかに流れ積もった扇状地は、伏流水に恵まれた水はけの良い農村地帯。折しも秋真っ盛りの黒部の沃野の真ん中を、地鉄電車の線路がゆるやかに伸びています。

あまり地鉄電車で大俯瞰が狙える場所を知らないのですが、ここ宮野山の展望台は黒部川の扇状地に突き出た岬のような尾根の上から広々とした景色を一望のもとにすることが出来ます。遠くからジョイントを叩く音が風に乗ってかすかに聞こえ、14760形のエリア特急くろべが緩やかに黄金の耕土を登って行きます。ちなみに、こういった俯瞰風景の撮影は、当然ながら遠くからのアプローチになるわけなんですが、顔面に架線柱を掛けないように適当な切り位置を掴むのって意外と難しくありませんか?バッチリの切り位置だ!と思って家に帰って現像してみると、ほっそいワイヤーが顔にかかってガッカリしたり(笑)。

この宮野山の展望台の後ろは、大きなグラウンドを中心に野球場や体育館などの設備を持つ黒部市の宮野運動公園という総合運動場になっています。今年の春、「ももクロ春の一大事2019in黒部」と題して、ももいろクローバーZが大規模ライブを開催した会場でもあります。彼女たちは最近春のライブを地方都市の立候補制で開催しているようですが、土曜日曜のたった2日間でも3万人を動員し、周辺地域を巻き込んだ一大イベントだったそうだ。昔っから大河ドラマを地元に呼ぶ!みたいな街おこしの取り組みはないわけじゃないけど、立候補した街がアーティストと一緒に盛り上がりを作っていくというのは、新しい地方振興の一つの形なのかもしれません。

展望台の下は、地鉄の新黒部駅と北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅。地鉄電車が新幹線とうまくコラボしないかな・・・と思ったんだけど、お互いに本数が少なすぎて思い付きだけではこのコラボはお目にかかれないようで。黒部宇奈月温泉駅は「はくたか」が上下で1時間に1本ずつ、「はくたか」はほぼ軽井沢から各駅停車になってしまうので、東京からは約2時間半かかる。それでも北陸新幹線開通前は、上越新幹線を大宮~長岡ノンストップのあさひで突っ走っても、長岡で特急に乗換えて魚津までは最速でも3時間半かかっていたのだから大きな進歩。そもそも、新潟はともかく富山とか金沢というのは関西文化圏の土地で、関東モノはレジャーをするにも新潟や長野止まりになりがちだった。北アルプスを越えて越中、加賀への進路を開いた北陸新幹線は、関東人に北陸をグッと身近なものとしてくれたのは間違いない。ちょっと翳りかけた新黒部の駅を出る京阪カボチャを、駅前に展示された黒部のトロッコが見送ります。

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黒部の秋陽

2019年10月08日 22時00分00秒 | 富山地方鉄道

(黒部の青空@下立駅)

峻険な峡谷を刻んて来た黒部川が明るく開け、富山湾へ向かって大きく広がる扇状地のちょうど要の部分にある下立の駅。宇奈月温泉から降りてくると、この辺りからようやく散居村の集落と水田や畑の富山県らしい風景が目に付くようになって来ます。下立と書いて「おりたて」と読むのが少々難読な駅です。棒線一本のシンプルなホーム、古くからの石積みの土台にコンクリでかさ上げをして今の形になっているのが良く分かります。

山から降りて来た普通電車が、駅で待っていた街への乗客を拾っていく。黒部の山懐に抱かれた小さな集落の駅は、稲の刈り取りに忙しそうな農家のトラックがたまに行き交うのみの静かな集落。下立の駅は5分くらい下って行くと宇奈月麦酒館という道の駅のような施設があって、黒部の伏流水で仕込まれたビールが飲めたりします。いつも来るときはクルマなんでなかなか出来たてを飲む事は出来ませんが、買って帰って家で飲んだら結構薫り強めのいかにも地ビールだなあ!という感じのビールで、そこそこ美味かったですね。

黒部市内の駅に立つ「楽駅停車の旅」の幟旗。黒部市内の公共交通をバックアップするために、地元自治体が利用促進運動に努めています。春と秋は「くろワンきっぷ」と銘打って、黒部市内を土日はワンコイン(500円)で乗車出来るフリーきっぷが発売されています。黒部市内と言うと、地鉄では電鉄石田~宇奈月温泉間ですのでそれなりの距離。これが土日に楽しめるのであればなかなかお得なキップだなあと思うのだけど、残念ながら発売は平日のみ。平日に買って土日にしか使えないというビミョーなルールは、週末に新幹線で黒部宇奈月温泉から地鉄にアクセスする観光客にこんなキップ使われたらたまんないよ!という事なのだろう。気持ちは分からんでもない(笑)。

まあそんなこまけーことよりどうだい、見ろよこの青い空、白い雲!空から降り注ぐとびっきりの黒部の太陽の光。
秋の陽射しを浴びて、14760形が輝いていました。

 

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黒部の光、日本の光

2019年10月06日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(芒輝く坂道を行く@音沢~宇奈月温泉間)

木漏れ日のカーブの向こうから、14720が宇奈月温泉へ。人ひとりが立つのがやっとのような狭い音沢のホームを出て、芒輝く坂道をモーターを震わせながら登って行きます。音沢から宇奈月温泉までは約4km、宇奈月温泉へ向かう県道が地鉄と並行して走っておりますが、音沢を出るとかなり山は深まり人家の数もグッと減ります。実際に駅間の撮影地で待っていると、ガサガサと森の中からサルの群れが飛び出して来て、黒部川の河原のほうに消えて行った。以前にこの付近ではカモシカも見た事がありますが、さすがにクマは出ないだろうな・・・と若干ビビる(笑)。

地鉄本線を宇奈月まで追い込んで撮影すると、いつも最後は温泉街手前のポプラ(コンビニね)で休憩することが多い。温泉街を降りて行く14760形のエリア特急くろべ。宇奈月温泉の駅周辺は少しゴチャゴチャとしていて構図を作りにくいので、あんまり温泉街の中まで入って行かないのであるが、慌ただしく取って返さずにゆっくりと宇奈月温泉の総湯にでも浸かり、温泉街をブラリとしながらスナップでも楽しむ余裕が必要なのかもしれない。宇奈月温泉は、アルミ精錬に必要な電力を黒部川の電源開発に求めた東洋アルミナムが開発した温泉地ですが、温泉自体は宇奈月に湧いている訳ではなく、5km程度谷を遡った黒薙で湧いているものを送湯管にて引き入れているものです。

東洋アルミナムは、高岡出身の科学者である高峰譲吉博士が創設した会社でした。高峰博士と言えば数々の発見で現在の第一三共製薬の創始者となった人物ですが、東洋アルミナムの設立を通じ現在の富山県のアルミ産業の端緒を開いた功績も特筆されるものです。黒部鉄道は東洋アルミナムによって設立された後、日本電力に譲渡され富山電鐵と合併するに至りますが、日本の電力需給を賄うための黒部川の電源開発は戦前からの国家のエネルギー政策の一つであり、戦前から戦後にかけても黒四ダムの建設のための資材運搬など、日本の電力需給を構築するための補給路として三日市~宇奈月間は重要な役割を担いました。

宇奈月の街は、今や新幹線も開通してすっかり観光客相手の温泉街という雰囲気。しかしながらよく見るとあちらこちらに関西電力関連の施設が多く、黒部開発の前線基地としての役割と、開発に従事する労働者の保養地としての役割は消えてはおらず、今もエネルギーの街としての側面を残しています。 

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線路もどかす、地鉄の大義

2019年10月05日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(漁港の街の駅@経田駅駅舎)

ぶらり地鉄駅訪問の旅(毎回タイトルが変わるな)、早月加積の駅を後にして、経田駅へやって参りました。地鉄電車は西滑川の先から旧北陸本線と並行して走っていますが、ここ経田の駅の手前で北陸本線が山側に分かれて行きます。この駅は魚津市の一番北にあたる駅で、周囲は細い道に古い家並みが続いています。潮焼けした顔のおっちゃんがチャリンコで駅横の踏切を渡って行きましたが、そんな漁師町の雰囲気の中にある駅です。早月加積は木造の鄙びた駅でしたが、こちらは同じ木造でもモルタル壁に板塀を貼った重厚な瓦葺き。歴史の重みを感じさせるしっかりした作りの駅です。

小さいながらもしっかりとしたエントランス。経田駅の駅舎は、黒部鉄道の石田港駅で使われていた駅舎を廃線に伴い移築したものだとされています。石田港駅は、現在のあい鉄・黒部駅から海岸方面へ伸びていた黒部鉄道石田港線の終着駅ですが、その歴史と変遷については黒部市の外郭団体が作成しているサイトである「公共交通で行こう!」に詳しいので割愛させていただきたく。このHPに戦前の僅かな期間しか運行されなかった石田港駅の写真が掲載されていますが、確かにこのエントランス部分からして間違いなく当時の石田港駅の駅舎が今の経田駅の駅舎だという事が分かります。石田港線は短い間しか営業されず、廃止されてから相当な時間も経っているという事でほぼ営業の痕跡が残っていないそうですが、そういう意味で、経田駅は場所こそ変われど石田港線の最大の遺構と言えるのではないでしょうか。

見た目より広い駅の中は大きな待合室になっていて、海風が吹き抜けて心地よい。おそらく駅員が勤務していた頃は、この待合室に乗客を待たせて列車別改札をやっていたのだろうな、と思わせるそんな作り。今は乗車駅証明書の発行機が寂しく一人番をするのみ。駅ホーム側から見る木造のラッチ、柱にはホーローの渋い看板が打ち付けられている。近所の知り合いらしいおばあちゃんが二人、黒部の街の病院へ行くらしく列車を待っていた。黒部の街に行くには、あい鉄の黒部駅より地鉄の電鉄黒部駅のほうが中心街に近い。

待合室の脇には、通勤通学時間帯に使われていたであろう臨時改札口の跡があった。今は冬場の除雪道具が置かれた自由通路。柱に掲げられた「定期券拝見」の書き文字がまた郷愁を誘いますな。鉄道が移動手段の主役だった時代、この駅にも朝のラッシュがあったのでしょうね。秋の陽に、赤錆びた柵の影が落ちる。 

列車も来ないので、経田駅の周辺を少しブラブラ。開発の手の及ばない海辺の町の細路地を歩くと、路地の先にあったタバコ屋の前にこんなに渋い銭湯を見つけてしまった。くぁ~、こんなんあるんだったら先に言っといてよ!って感じの優良物件である。「観音湯」という屋号らしいが、午前中では当然だがやっている訳もなく、その意匠を目に焼き付けてすごすごと戻るだけであった。石田漁港から一本路地を挟んだ浜沿いの旧街道にあって、それこそ漁師連中がひとっ風呂浴びに来そうな場所にあったのだけど、経田の街はもう一回歩いてみるべきかなあ。

黒部鉄道の石田港線は、三日市駅(現・黒部駅)を出ると、堀切口、生地口の2つの駅を通って終点の石田港駅に向かっていました。文献を紐解くと、堀切口駅と生地口駅の中間に富山電鐵との平面交差があったようです。痕跡がほとんど残っていない廃線跡ですが、地鉄本線が8号線パイパスをくぐるあたりがその平面交差の場所との由。高架のパイパスに上がって、富山から戻って来る14720形を待ちつつその付近を俯瞰してみると、どうやらこの左から右へ走る道路が石田港線の跡なのかな。踏切のあたりで交差していたと推察されますが、どんなダイヤモンドクロッシングだったのだろうか・・・

黒部鉄道の石田港線は、この富山電鐵との平面交差が安全上の問題となって廃止されるに至りますが、廃止された理由は富山電鐵の豪腕・佐伯宗義からの「(富山電鐵を)三日市の街の中心部に繋げるのに邪魔なんですけど」という強硬な申し出によるものだったそうな。当時の黒部鉄道は、戦前の日本の五大電力会社の一つである日本電力(日電)をバックにしていましたが、宗義の「富山県の市街の一体化、交通の一元化」という理念は、大会社を前にしても揺らぐことがなかったという事でしょうか。

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加積、青雲の志

2019年10月04日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(加積の郷の子供たち@早月加積駅)

古式蒼然とした駅を一人静かにまったりと味わっていると、駅前が少し賑やかになって、魚津方面の高校へ通う学生たちが構内踏切を渡って来ました。でっかいスポーツバッグを肩から背負った姿、バスケかバレーかサッカーか。これから部活の練習でしょうか。中加積の駅で見送った14760形の宇奈月温泉行きが、ゆっくりとホームに進入して来ました。休みの土曜日、ちょっと遅めの通学風景。学べ励めや加積の郷の子供たち、地鉄の大事なお客様。

滑川市から魚津市にかけて、滑川・東滑川・魚津と3つの駅しか設置をしなかった国鉄に比べ、中加積・西加積・西滑川・中滑川・滑川・浜加積・早月加積・越中中村・西魚津・電鉄魚津・新魚津・経田の12駅を設置している地鉄本線。それぞれの駅の乗降客は小さくとも、佐伯宗義翁の言葉通りに地鉄電車が富山圏内のニッチな輸送を担っています。西滑川駅は滑川高校、新魚津は魚津高校の最寄り駅ですが、駅で待っていた学生さんは宇奈月行きの列車に乗って行ったから魚津高校の生徒だろうか。滑川高校は千葉ロッテマリーンズのピッチャーである石川歩の出身校だが、ロッテは石川の他にも新湊高校の西野(高岡市)とか日本航空高校の角中(七尾市)とか結構北陸出身者が多い。

閑話休題。「官営鉄道との競合」に配慮し、この区間では旧・北陸本線のお隣で加積地方のニッチな需要を拾う地鉄電車。新幹線の開通後は、黒部宇奈月温泉から魚津・滑川市街へのフィーダー路線という新たな役割もありそうですが、実は地鉄本線で日中ダイヤが一番閑散としてしまうのが中滑川~電鉄黒部間。単純な列車本数では並行するあい鉄に大きく水を開けられているのが実際のようです。電鉄黒部~宇奈月温泉間の「エリア特急くろべ」の設定に伴って、電鉄富山から直通してくる「特急うなづき」の減便もこの区間の閑散化に拍車をかけているような。休日なら電鉄富山→宇奈月温泉に1・3・5・7号があったのが、今は1・3号の2便だけになってしまったし。

先ほどの14760と新魚津で交換した14720が、電鉄富山行きで戻って来ました。朝一番の常願寺川で見送った編成が、宇奈月温泉までの1往復。各駅停車で電鉄富山から宇奈月温泉まで乗ると53.3kmを1時間45分かかるのだが、往復100km超えというなかなかのロングラン列車。途中で乗務員の交替とかあるのかな・・・。木造の駅舎が見守る、すっきりと抜けるような秋の青空の早月加積です。

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