キュビズムに熱中してるのには
友達は誰もついてこない
孤独な趣味です クスン
なんで?こんな面白いことなのに
マ いいや
昨日はYアトリエでお絵かきの後
Yさんが これからこの絵 どこに行こう?と
ご自分の絵を巡って 友情を求めてきた
みんなが私のキュビズム狂を ハイハイハイ 好きにやってれば!?
と思ってるように
私も
うんYさんの絵は なんか 素敵な領分を目指してるのだな
と 他人事のように (そりゃ 他人だ) ハイハイハイ 魅力的な世界を目指してくれ
と
思ってたから 困惑した
でも がちがちした頭をほぐすのに Yさんの ふんわりした色の世界
彷徨ってみようかなと思った
さて キュビズム紡錘形
→の絵は
アヴィニヨンの娘たちを
思い起こさせる絵だが
それと同じ年
1907年のものだ
ここから
しばらく
紡錘形で
あるいは放物線で
描かれる絵を量産している
人体は
?
筋肉や腱は
紡錘形だから
これはわかりやすい
裸で立つネグロイドのモデル
これは
1908年春
私はピカソのこういう
人体のとらえ方が
好きなのよね
これが
正しい
そういう風に思う
人体を
こうとらえるのが正しいなんて
変で
美しいとか 柔らかいとか 雰囲気があるとか
そういうとらえ方だってあるんだから
でも よくわからないのはこの人の 左脛 どうしてふくらはぎは
描かないんだろう 骨の向きを強調したのかな?
Yさんの
人体の描き方は
ピカソのこういうのと全く違う
そこが困る
右みたいだと
すごくよくわかるんだが
それにしても
右の絵は
すごいね
描いてるのは森の精で
背後の森と一体化して
描かれて
幻想的って
解説だが
わけわかんない
背景と融合させるというのは
わかるけれど
この解説者と私は バルバロイ(言葉が通じない)ところがある
この絵は
空間的に光と色を使って
恐ろしいような的確さで描かれてる
Yさんの絵を見ると 右の肩と左の肩とどっちが手前かが
ぐずぐずだ と 私は文句を言いたくなるが
Yさの絵は そういうことが問題じゃないんだよな
そういう
私が問題にするところが 恐ろしいほど 素晴らしい!
と
私はピカソ狂
しかし
向かって右の肩の線だけれど
左の肩の線と
断ち切れてる
こういう絵がほかにもある
これも
上と一緒
1908年のものだ
この断ち切れた肩の線
って
1908年の
発見かもしれない
光をつかって
多視点を導入して
空間がこんなふうに表現できる
私なんか
軽薄だから
すぐパクリたくなる
1908年というのは特別な年で
この年の初夏に
同じ洗濯船(モンマルトルのピカソたち貧しい画家たちのアトリエのアパートみたいなところ)
でドイツからきてた女性の画家が自殺した
この人も含め
ピカソもそれまで 麻薬仲間でもあったそうだが
この事件でピカソは きっぱり麻薬とは縁を切ったらしい
1908年秋に「線の道徳哲学」という本が出版され
そこには線や幾何学形態に関して
ちょっと 素敵な文章が書かれている
どのくらい関係があるかわからないが
ピカソの絵はその時期から
線
直線がほとばしり始めて
だんだん幾何学的な
形や線が
どんどん生まれてくる
考えてみれば
紡錘形って
ずっと
有機的な形だ
さて
セザンヌや
キュビズムの絵を語るとき
よく使われる
言葉
パッサージュというのを
色の
段階的変化のことを主に考える人もいる
ということを知った
そこから切り子面みたいのが出てくるのか
でも色の段階的変化にしろ 線にしろ 様式ではなく
力の通り道だと思うが
何事も絵は
様式として 伝搬し 広がっていく