遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

春の朗読会  延期  4月16日ですよ

2011-02-10 15:38:48 | 朗読

K1 三月に

朗読会をするつもりでいたら

KINU洋画会展最終日と

ダブってしまった

大塚先生は

講評会に出なくてもいいし

片付けも

誰かに

頼めばいいよとおっしゃるが

 

そんなあ

KINU洋画会にいるお友達に

来てもらえない

 

ということで

今日の講座で

ご相談した

ポイントを集めてて

それがたまって

無料でレッスンホールを使えるので

三月中に使わなきゃ

と思ったら

(学習センターが仕訳されて 民間委託になる!)

来年度にポイントカードも使えるというので

4月16日  午後1時半から と 変更していただいた

 

近くなったらまた宣伝します

お近くの方 ぜひ来てください

上のクロッキーは 講座でお隣に座ったお友達

 

何描いてんの  頂戴 とおっしゃるので

あげちゃう前に  その他の方の分も含めギャラリーにあげました 

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紡錘形から直線へ

2011-02-10 07:03:29 | 現代美術

キュビズムに熱中してるのには

友達は誰もついてこない

孤独な趣味です  クスン

なんで?こんな面白いことなのに

マ  いいや 

昨日はYアトリエでお絵かきの後

Yさんが これからこの絵 どこに行こう?と

ご自分の絵を巡って 友情を求めてきた

みんなが私のキュビズム狂を  ハイハイハイ 好きにやってれば!?

と思ってるように

私も

うんYさんの絵は  なんか  素敵な領分を目指してるのだな

と 他人事のように  (そりゃ 他人だ)  ハイハイハイ 魅力的な世界を目指してくれ

思ってたから  困惑した

でも がちがちした頭をほぐすのに Yさんの  ふんわりした色の世界

彷徨ってみようかなと思った

 

さて キュビズム紡錘形

Img384 →の絵は

アヴィニヨンの娘たちを

思い起こさせる絵だが

それと同じ年

1907年のものだ

 

ここから

しばらく

紡錘形で

あるいは放物線で

描かれる絵を量産している

人体は

筋肉や腱は

紡錘形だから

これはわかりやすい

 

 

Img385

裸で立つネグロイドのモデル

これは

1908年春

私はピカソのこういう

人体のとらえ方が

好きなのよね

これが

正しい

 

そういう風に思う

 

人体を

こうとらえるのが正しいなんて

変で

美しいとか  柔らかいとか 雰囲気があるとか

そういうとらえ方だってあるんだから

 

でも よくわからないのはこの人の 左脛 どうしてふくらはぎは

描かないんだろう 骨の向きを強調したのかな? 

Img386Yさんの

人体の描き方は

ピカソのこういうのと全く違う

そこが困る

 

右みたいだと

すごくよくわかるんだが

 

それにしても

右の絵は

すごいね

描いてるのは森の精で

背後の森と一体化して

描かれて

幻想的って

解説だが

わけわかんない

 

背景と融合させるというのは

わかるけれど

この解説者と私は  バルバロイ(言葉が通じない)ところがある

この絵は

空間的に光と色を使って

恐ろしいような的確さで描かれてる

Yさんの絵を見ると  右の肩と左の肩とどっちが手前かが

ぐずぐずだ  と  私は文句を言いたくなるが

Yさの絵は そういうことが問題じゃないんだよな

そういう

私が問題にするところが 恐ろしいほど  素晴らしい!

私はピカソ狂

 

しかし

向かって右の肩の線だけれど

118_1498a 左の肩の線と

断ち切れてる

こういう絵がほかにもある

これも

上と一緒

1908年のものだ

この断ち切れた肩の線

って

1908年の

発見かもしれない

光をつかって

多視点を導入して

空間がこんなふうに表現できる

私なんか

軽薄だから

すぐパクリたくなる

1908年というのは特別な年で

この年の初夏に

同じ洗濯船(モンマルトルのピカソたち貧しい画家たちのアトリエのアパートみたいなところ)

でドイツからきてた女性の画家が自殺した

この人も含め

ピカソもそれまで 麻薬仲間でもあったそうだが

この事件でピカソは きっぱり麻薬とは縁を切ったらしい

1908年秋に「線の道徳哲学」という本が出版され

そこには線や幾何学形態に関して

ちょっと 素敵な文章が書かれている

どのくらい関係があるかわからないが

Img387 ピカソの絵はその時期から

直線がほとばしり始めて

だんだん幾何学的な

形や線が

どんどん生まれてくる

 

考えてみれば

紡錘形って

 

ずっと

有機的な形だ

さて

セザンヌや

キュビズムの絵を語るとき

よく使われる

言葉

パッサージュというのを

色の

段階的変化のことを主に考える人もいる

ということを知った

そこから切り子面みたいのが出てくるのか

でも色の段階的変化にしろ 線にしろ 様式ではなく

力の通り道だと思うが

何事も絵は

様式として 伝搬し 広がっていく

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