雪がどんどん降ってきた
わが家の通勤者は深夜まで働いてるが
帰ってこれるんだろうか
おろおろ
これじゃあ眠れないよう
花てぼさんの
誕生日
だのに
彼女は
制作に
励んでるんだって
お部屋は
こんな感じだって
私と彼女は同じ学校にいたら 同級生
男鹿人さんも同級生
とりさんもかと思ったら
ちょっと違うらしい
私の同級生は優秀だなあ
私もあやかることにした
おめでと
今日は夜は雪かもしれない
それで
通勤者に乗用車を貸した
そうすると もう足がない
軽トラはミッション車でAT限定の私は運転ができない
プールもいかれない
11日の肩の痛かったときは
尋常ではないと思い(だって 腕が動かなかった 動かすと激痛だった)
月曜日には先生に訴えて何とかしてもらおうと思ったのに
温泉に入って寝たら治っちゃった
雪予報だったのか?
で、もう病院はどうでもよくなって
今日は ヒアルロン酸の注射休み
私の膝は注射しても痛い
ぐらつかないように
サポートすれば 動くにさほど支障はないし
注射が効いてる実感もない
ともかく朝は痛くて目が覚める
寝るときはサポーターしないからかな
ガングリオンはいじると痛くなりそうで触れない
爆発させたほうがいいという記事もあるけれど
今朝おばさんがすみつかれを持ってきた
「たかし(武蔵の本名)が皆食べちゃったというからよ」
と
で 私の作った すみつかれ を誉めてくれた
「美味しくできたね
回数をこなすとだんだん腕が上がるね」
「そう?♪ また作ろう! そん時は大根 頂戴!?」
「いいよ自由にお取り」
やったあ!
言質とった
おねだりはこうやらなくっちゃ
大根なんて道の駅で100円もしないで売ってる
武蔵も里山畑で作ってる
そんなこと言ったって
おばさんの大根が おいしのよ
畑が違うの おばさん魔女だし
あれが欲しいの!
でも さっき 大根漬けたけれど
あまりに巨大で 半分しか使わなかったから
すみつかれ分はまだある
でも 欲しいの!
以上 欲張りなお話でした
ともかく
大根とゆずがどっさりあります
大根と
ゆず酢ゆずジャムラッキョウ酢
漬けました
んめ~~~!!
大量に漬けたのに
もうあまりないじゃん
食べたな~~
おばさんの畑を見ると
巨大化した大根がずらり
私には気前よくくれないくせに
最後には
則子さんがちっとも食べないから
捨てなきゃならん
とおばさんは大根を捨てる
(矛盾してるんだよ~~!!!)
今のうちに武蔵に取らせて
漬けちまおう
すみつかれもまた作るかな
大根は飽きないねえ
だいたい野菜は飽きない
田舎は同じものばかり取れるんだけれどね
私が毎日少しずつ読んでるのはこの本です
まだ三分の一ぐらいしか
読めない
この本を書いてる
ジュゼップ・パラウ イ・ファブレという人
盛んにキュビズムは平面性を追求した
という風に書いてる
なんで?とっても立体的なのに
と思った
しかし
突然わかった
言葉は難しい
このピカソの
リンゴの彫刻を見て
私は
自分たちのものの見方は
どうしても
外側からしか見ないなあ
と思った。
見かけの形に
こだわるよなあ
彫刻の師匠に
物が存在する
こういう軸みたいなものを
つかめと
教わって わかった風でいて
やっぱり
見える形の表面にこだわる
→はカケ―ダースの裸婦
これまで
キュビズムで描かれた人物
どうしても
ここが腕だわとか 顔はこっち向いてる
とか
思っちゃった
この絵だと
そういうものが無くなってきてる
とはいえ
どこが肩だか肘だかひざだか
見ちゃうけれど
ジュゼップ・パラウ イ・ファブレという
覚えられない名前のこの著者が言ってる
平面性って
こういうリンゴで捕まえたような形(これは立体に捕まえたんだけれど)
それを 平面にどう表現するかという問題で
平面的とは違うんだよな
だいたいキュビズムの絵は レリーフみたいだし それは一つの過程なのかもしれない
カケ―ダースの裸婦を見ていると
立体を切る切片のことを思った
中学校の時だったか
円錐を切ったら 円 楕円 放物線 三角形 が出てくるのが
新世界開眼だったように興奮したのを思い出した
キュビズムはものがある ということを本当に面白い切り口で考えることだな
と 思うんだが
そうだ それを平面に 表現することを追求してるところだな
今読んでるところは と やっと自分なりに了解
さて 友人がモネの家に行って 膨大な浮世絵コレクションにびっくりした話をしてくれた
(いいなあ その友人は しょっちゅう外国旅行をしてる
今度 トルコに行くんだって いいなあ!)
思うに 日本人は 最初っから平面性を獲得してる
というか 日本の絵画は ルネサンスがなかったからね
徹底して平面性
彷徨う道は精神性だったりした
異文化が出あったとき 日本の絵画の平面性に
フランスの人は !!! そうだ!と思ったんだね
日本人のほうは逆に 眼鏡絵なんかうれしげに描いて
明治以降は印象派にはまって
平面性は再獲得しなければならん