永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(123)

2008年08月01日 | Weblog
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【澪標(みおつくし】の巻  その(16)

 斎宮はご返事申し上げにくいご様子ですが、侍女たちが
「人づてには、いと便なきこと」
――代筆では、致し方ありませんよ――

と、お責めになりますので、鈍色の紙に大層香をたきしめて、趣深いのに、墨の色も程よくして
「消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それとも思ほえぬ世に」
――悲しみにくれて、自分が自分とも思われない世に、死ぬこともならず生きてゆくのはまことに悲しゅうございます――

と、ありますのを、源氏は、慎ましげなうちにも、おっとりとして、大層すぐれてとは言えないまでも、愛らしく上品な手筋よとごらんになります。

源氏の思いは、
「下り給ひし程より、なほあらず思したりしを、今は心にかけてともかくも聞え寄りぬべきぞかしと思すには、例の引き返し、いとほしくこそ、……世の中の人もさやうに思ひよりぬべき事なるを、ひき違へ心清くてあつかひ聞えむ、……」
――斎宮となって伊勢に下向なさった頃から、このままただでは置くまいとお思いでしたが、今こそ心を込めて言い寄ることがお出来になるはずながら、御息所の遺言に心を引き返して、それもお気の毒なことだ、(故御息所が心から不安そうに気遣っておられ、御息所が亡くなられた後は、きっとその姫君を同じように自分のものとなさるであろう)と、世間では想像するに違いない。ここはひとつ逆に出て、どこまでも潔白な心でお世話申し上げ、ゆくゆくは、入内おさせ申そう。それまでは娘を持たぬ寂しさを紛らわすのに、この方を大切にしよう、と心にお決めになります。――

 この斎宮という方は、内気なご気質でつつましく、女官や女房たちも相当な方々なので、入内後も他の女御にひけをとることもないであろう。どうにかしてご器量を拝見したいものだ。源氏はこのような思いをお持ちなので、いつどう気持ちがひっくり返るかもしれないと、今は誰にもお漏らしになりません。

ではまた。


源氏物語を読んできて(信仰と生活・末法思想)

2008年08月01日 | Weblog
末法思想
 
 王朝時代は末法思想がかなり浸潤していて、「末の世」「世の末」という言葉を人は口々に言う。

 末法思想というのは、釈迦入滅から正法時、像法時、末法時と、遠く下るにつれて、仏教は衰退し、世は堕落していくと説く思想である。

 末法時には、教えがいたずらに存在するばかりで、行をする人はなく、証果を得る人はなく、仏教はまったく衰退し、転変地変、疫病が起こり、世は終わりになるというのである。
 
 天台宗では、後冷泉帝の御代(1052)から末法に入ると考えられ、王朝貴族社会の崩壊していく課程に相応ずる悲劇的な思想であった。このような背景のうちに、浄土を欣求する浄土教が生まれてくる。

 源氏物語でも、六條御息所が、最後は浄土に救いを求めて、出家と極楽浄土を願うのである。

◆参考:源氏物語手鏡

源氏物語を読んできて(鳥辺野の由来)

2008年08月01日 | Weblog
鳥辺野(とりべの)の由来

 そもそも鳥辺野と言う地域は,昔まだ墓がなかった時代に,人の遺体が運ばれてきた地域で,特に平安時代,疫病などで多数の死者が出たとき鳥辺山などへ放り出されたそうです(風葬・鳥葬)。昔から仏教色の強い地域でした。
この近くに六波羅蜜寺があります。

◆写真 六波羅蜜寺