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【蓬生(よもぎう)】の巻 その(3)
「かかるままに、浅茅は庭の面も見えず繁り、蓬は軒をあらそひて生いのぼる。葎は西東の御門を閉じこめたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を馬牛などの踏みならしたる、道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角の心さへぞめざましき」
――このような有様で、浅茅が地の面も見えないほどに繁り、蓬は争って軒に這い上っています。棘のある蔓草が西も東も門を閉じ込めて、用心が良いようですが、崩れかかった周囲の築地はいつしか馬や牛が踏みならした道になって、春や夏になると放し飼いをする総角(あげまき)に髪を結った牧童が出入りするその心さえ癪にさわるというものです――
「八月野分荒かりし年、廊どもも倒れ伏し、下の屋どもの、はかなき板葺きなりしなどは、骨のみわづかに残りて、立ちどまる下衆だになし。」
――さる八月の野分(のわき=台風)が荒れ狂った年には、形ばかりの渡廊なども倒れ伏し、召使いの雑舎のあやしげな板葺きであったのは、骨組みだけが僅かに残っているだけで、残って仕える下僕さえおりません――
「煙絶へて、あはれにいみじき事多かり、盗人などいふひたぶる心ある者も、思い遣りの淋しければにや、この宮をば不用のものに踏み過ぎて寄り来ざれば、かくいみじき野ら藪なれども……」
――朝夕食事の煙さえ絶え絶えに、あわれに痛ましいことが多く、盗人などの荒くれ者も、貧しいことを見透かしているのか、このような屋敷は無用とばかり、通り過ぎて近寄らないので、このように荒れすさんだ薮原ではありますが、(しかしながら、さすがに寝殿の内ばかりは、昔のご装飾そのままで、きちんとした品格を保って、一日一日を明かし暮らしておいでです)――
末摘花はつれづれには、古びた御厨子(みずし)を開けて、かぐや姫の物語に絵が描かれてあるのをご覧になったりしています。今の世にみなが勧める、勤行などはとても恥ずかしいこととして、数珠などもお側にお寄せにならず、すべてに堅苦しいほど生真面目に暮らしておられます。
ここには、侍従という御乳母の娘が居り、このお屋敷から、斎院にお仕えしておりましたが、斎院が亡くなられて、お仕えするところがなく、暮らしも立ちかねて心細く思っておりました。
◆御乳母の娘=末摘花の乳母の娘で、侍従。乳姉妹として育った。
◆かぐや姫の物語=この頃には、絵草子として既に流布していたことを物語る。
【蓬生(よもぎう)】の巻 その(3)
「かかるままに、浅茅は庭の面も見えず繁り、蓬は軒をあらそひて生いのぼる。葎は西東の御門を閉じこめたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を馬牛などの踏みならしたる、道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角の心さへぞめざましき」
――このような有様で、浅茅が地の面も見えないほどに繁り、蓬は争って軒に這い上っています。棘のある蔓草が西も東も門を閉じ込めて、用心が良いようですが、崩れかかった周囲の築地はいつしか馬や牛が踏みならした道になって、春や夏になると放し飼いをする総角(あげまき)に髪を結った牧童が出入りするその心さえ癪にさわるというものです――
「八月野分荒かりし年、廊どもも倒れ伏し、下の屋どもの、はかなき板葺きなりしなどは、骨のみわづかに残りて、立ちどまる下衆だになし。」
――さる八月の野分(のわき=台風)が荒れ狂った年には、形ばかりの渡廊なども倒れ伏し、召使いの雑舎のあやしげな板葺きであったのは、骨組みだけが僅かに残っているだけで、残って仕える下僕さえおりません――
「煙絶へて、あはれにいみじき事多かり、盗人などいふひたぶる心ある者も、思い遣りの淋しければにや、この宮をば不用のものに踏み過ぎて寄り来ざれば、かくいみじき野ら藪なれども……」
――朝夕食事の煙さえ絶え絶えに、あわれに痛ましいことが多く、盗人などの荒くれ者も、貧しいことを見透かしているのか、このような屋敷は無用とばかり、通り過ぎて近寄らないので、このように荒れすさんだ薮原ではありますが、(しかしながら、さすがに寝殿の内ばかりは、昔のご装飾そのままで、きちんとした品格を保って、一日一日を明かし暮らしておいでです)――
末摘花はつれづれには、古びた御厨子(みずし)を開けて、かぐや姫の物語に絵が描かれてあるのをご覧になったりしています。今の世にみなが勧める、勤行などはとても恥ずかしいこととして、数珠などもお側にお寄せにならず、すべてに堅苦しいほど生真面目に暮らしておられます。
ここには、侍従という御乳母の娘が居り、このお屋敷から、斎院にお仕えしておりましたが、斎院が亡くなられて、お仕えするところがなく、暮らしも立ちかねて心細く思っておりました。
◆御乳母の娘=末摘花の乳母の娘で、侍従。乳姉妹として育った。
◆かぐや姫の物語=この頃には、絵草子として既に流布していたことを物語る。