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【蓬生(よもぎう)】の巻 その(10)
源氏は、来し方のさまざまなことに思いをめぐらしながら、車に乗って進んでいきます。やがて見る影もなく荒れ果てた家の、木立がうっそうとした、まるで森のような所をお通りになります。大きな松の枝に藤の花が月の光に揺れていて、辺り一面良い香りが漂っております。
はて、ここは見覚えのあるところと、ご覧になりますと、その筈、あの常陸の宮邸のようです。車を止めさせて、源氏は惟光に、
「ここにありし人は、まだやながむらむ、……よくたづねよりてを、うち出でよ。人違へしてはをこならむ、と宣ふ」
――ここに住んでいた姫君は、今も寂しく過ごしているのだろうか。……よく様子を尋ねてから、こちらのことも言い出すがよい。人違いなどしたら物笑いだからね、とお言いつけになります――
お屋敷の末摘花は、物思いに沈みがちで暮らしておいでで、昼間のうたた寝に亡き父君の夢をご覧になって、覚めても名残惜しく悲しく涙をぬぐって、ついでに雨漏りのあちこちを取り繕っては、常になく並の女らしくお振る舞いになっておられます。
惟光が中に入って、あちこち巡ってみますが、人の気配もしませんので、引き返えそうとして、ふと見ますと、格子を二間ばかり上げて、簾の動く気配がします。近くに行って案内を請いますと、
「いともの古りたる声にて、先づ咳を先にたてて、かれは誰そ。何人ぞ。といふ」
――ひどく年寄った声で、まず、咳(しわぶき)をしながら、そこにいるのはどなた、どういうお人か、と言います。――
惟光は名を告げて、侍従の君といわれた方にお目にかかりたくて…と言いますと、
「それは外になむものし給ふ。されど思しわくまじき女なむ侍る、といふ声、いとねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり」
――その方は、余所に行かれました。でも侍従と同じにお考えいただいてよいお方
がおります、という声は、たいそう年寄りじみていますが、確かに聞き覚えのある老女房の声でした――
思いも寄らぬ狩衣姿の男が忍びやかに現れて、物腰もやわらかで、このような客人を久しく見なかった女房たちの目には、もしや狐の変化ではあるまいかと思われたのでした。
◆写真:狩衣姿
ではまた。
【蓬生(よもぎう)】の巻 その(10)
源氏は、来し方のさまざまなことに思いをめぐらしながら、車に乗って進んでいきます。やがて見る影もなく荒れ果てた家の、木立がうっそうとした、まるで森のような所をお通りになります。大きな松の枝に藤の花が月の光に揺れていて、辺り一面良い香りが漂っております。
はて、ここは見覚えのあるところと、ご覧になりますと、その筈、あの常陸の宮邸のようです。車を止めさせて、源氏は惟光に、
「ここにありし人は、まだやながむらむ、……よくたづねよりてを、うち出でよ。人違へしてはをこならむ、と宣ふ」
――ここに住んでいた姫君は、今も寂しく過ごしているのだろうか。……よく様子を尋ねてから、こちらのことも言い出すがよい。人違いなどしたら物笑いだからね、とお言いつけになります――
お屋敷の末摘花は、物思いに沈みがちで暮らしておいでで、昼間のうたた寝に亡き父君の夢をご覧になって、覚めても名残惜しく悲しく涙をぬぐって、ついでに雨漏りのあちこちを取り繕っては、常になく並の女らしくお振る舞いになっておられます。
惟光が中に入って、あちこち巡ってみますが、人の気配もしませんので、引き返えそうとして、ふと見ますと、格子を二間ばかり上げて、簾の動く気配がします。近くに行って案内を請いますと、
「いともの古りたる声にて、先づ咳を先にたてて、かれは誰そ。何人ぞ。といふ」
――ひどく年寄った声で、まず、咳(しわぶき)をしながら、そこにいるのはどなた、どういうお人か、と言います。――
惟光は名を告げて、侍従の君といわれた方にお目にかかりたくて…と言いますと、
「それは外になむものし給ふ。されど思しわくまじき女なむ侍る、といふ声、いとねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり」
――その方は、余所に行かれました。でも侍従と同じにお考えいただいてよいお方
がおります、という声は、たいそう年寄りじみていますが、確かに聞き覚えのある老女房の声でした――
思いも寄らぬ狩衣姿の男が忍びやかに現れて、物腰もやわらかで、このような客人を久しく見なかった女房たちの目には、もしや狐の変化ではあるまいかと思われたのでした。
◆写真:狩衣姿
ではまた。