永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(782)

2010年07月01日 | Weblog
2010.7/1  782回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(1)

薫(宰相中将、中納言)   23歳2月~24歳夏まで
匂宮(兵部卿の宮、三宮)  24歳~25歳
宇治八の宮(聖の宮)
大君(おおいぎみ)八の宮のご長女  25歳~26歳
中君(なかのきみ) 〃   次女  23歳~24歳
弁の君(老女)   宇治八の宮邸に仕える。母は柏木の乳母。
         (故柏木の形見、遺言を聞いている)
夕霧(左大臣、大殿)    49歳~50歳
明石中宮          42歳


年が明けて、

「二月の二十日の程に、兵部卿の宮、初瀬に詣で給ふ。古き御願なりけれど、思しも立たで年頃になりにけるを、宇治のわたりの御中宿りのゆかしさに、多くは催され給へるなるべし」
――二月二十日の頃に、兵部卿の宮(匂宮)が初瀬の長谷観音に参詣されました。大分以前に御祈願されたまま、その願ほどきもされぬまま数年がたってしまっていたのでした。今回は、その道中の中休み場所として宇治辺りをお考えになりましたようで、(噂の姫君たちが気がかりで)大方の理由はそのようではありますが――

「うらめしといふ人もありける里の名の、なべて睦まじう思さるるゆゑもはかなしや。上達部いとあまた仕うまつり給ふ。殿上人などはさらにも言はず、世に残る人少なう仕うまつれり」
――怨めしいという人もありました「宇治(憂し)」の名ですが、匂宮としては懐かしくさえお思いになるというのは、理由が理由であってみれば、何と他愛ないことですこと。上達部が大勢お供に付いて来て、殿上人となると言うに及ばず、宮中に残る人はほとんど居らぬほど、こぞってお仕えしています――

 源氏から相続して夕霧が所有しておいでの宇治の地所は、宇治川の向こう岸にあって、(八の宮山荘とは川を隔てて)宇治川から遠く広い領地を風情を凝らして設えてありましたので、夕霧はそこに匂宮を歓待申すべく万端の準備をおさせになります。

「大臣も、かへさの御迎へに参り給ふべく思したるを、にはかなる御物忌の、重く慎み給ふべく申したれば、え参らぬ由のかしこまり申し給へり」
――(夕霧も)匂宮御一行の帰り道であるこの宇治まで、お出迎えに上がるお積りでしたが、急の御物忌で自重なさるようにとの陰陽師からのお達しで、お伺いできないお詫びを申し上げます――

 匂宮は夕霧の不参を何となくご不快に感じられましたが、薫が今日のお出迎えに参り合わされましたので、宮としては、

「なかなか心やすくて、かのわたりの気色の伝へ寄らむ」
――却って薫の方が気が置けず、その上、あの八の宮の山荘のことも聞き出せよう――

 と、上機嫌におなりです。

ではまた。