永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(792)

2010年07月21日 | Weblog
2010.7/21  792回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(11)

 八の宮のしみじみとしたお話に、薫は、

「すべてまことに、しか思う給へ棄てたるけにや侍らむ、みづからの事にては、いかにもいかにも深う思ひ知る方の侍らぬを、げにはかなき事なれど、声にめづる心こそ、そむき難きことに侍りけれ。さかしう聖だつ迦葉も、さればや、立ちて舞ひ侍りけむ」
――すべて真に先ほど申し上げましたように、現世を諦めたせいでしょうか、自分についてはどのような事でも深く会得したものはございませんのに、お言葉どおりなるほど儚いことですが、音楽を好む心だけは、世を棄てかねることなのでございます。さればこそ、あの聖めいた迦葉尊者さえ琴の音に感じ入って、釈尊の御前も忘れて立ち舞うたとか――

 と、いつかほんの少し立ち聞きされた姫君たちの琴の音をご所望されますので、八の宮は姫君達を薫に親しませようと思われたのでしょうか、奥に行かれてしきりに勧められます。が、

「筝の琴をぞいとほのかに、掻き鳴らして止み給ひぬる。いとど、人のけはひも絶えて、あはれなる空の景色、所のさまに、わざとなき御遊びの心に入りて、をかしう覚ゆれど、うちとけて、いかでかは弾きあはせ給はむ」
――(姫君たちは)筝の琴をほんの少し掻き鳴らしてお止めになりました。すっかり人の気配も絶えて、空の景色が場所柄につけて、いっそうさりげない御琴の音が心に沁みて趣き深い風情ながらも、どうして姫君たちがお心を許してお弾きになるでしょうか――

八の宮は、

「おのづから、かばかりならしそめつる残りは、世籠れるどちにゆづりて聞こえてむ」
――私としては、貴方にここまでお引き合せいたしましたから、あとは自然に若い人たちにお任せいたしましょう――

 とおっしゃって、仏間にお入りになりました。

◆迦葉(かせう)=釈迦十大弟子の一人。大樹緊那羅経に、仏前で瑠璃の琴を弾じ、八万四千音楽を奏したところ、この迦葉尊者は威儀を忘れて起ち出たという。

では又7/23に。