永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(791)

2010年07月19日 | Weblog
2010.7/19  791回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(10)

 薫が、

「一言にてもうけたまはりおきてしかば、さらに思う給へおこたるまじくなむ。世の中に心をとどめじと、はぶき侍る身にて、何事もたのもしげなき生い先の少なさになむ侍れど、さる方にてもめぐらひ侍らむかぎりは、変はらぬ志をご覧じ知らせむとなむ、思う給ふる」
――以前一言にでも拝承いたしましたからには、決して疎かにするようなことはございません。私はこの現世に執着しまいと、系類も少ない(妻も持たず)身とて、万事頼りない前途の心細さでございますが、とにかく生きております限りは変わらぬ真心をご覧頂こうと存じます――

 と、申し上げますと八の宮は頼もしくうれしくお思いになるのでした。夜も更けて月がくっきりと雲間を出、西の山の端にさしかかる頃、八の宮は念誦読経をなされ、また昔のお話をしみじみされるのでした。

「この頃の世はいかがなりにたらむ。宮中などにて、かやうなる秋の月に、御前の御遊びの折にさぶらひあひたる中に、物の上手と覚しきかぎり、とりどりにうち合はせたる拍子など、ことごとしきよりも、よしありとあぼえある女御更衣の御局々の、おのがじしはいどましく思ひ、うはべの情をかはすべかめるに、夜深き程の人の気しめりぬるに、心やましくかい調べ、ほのかにほころび出でたる物の音など、聞きどころあるが多かりしかな」
――この頃の世の中ではどうなっておりますのやら。昔は御所などでは、こうした秋の月の夜など、御前での管弦の催しに伺候しておりますと、その道の名手と思われる人だけが、それぞれに合奏し、それはそれは大そう素晴らしいものでした。けれどもその道に優れていらっしゃるとの評判の女御、更衣の御局(おつぼね)で、お互いにお心の内では帝の寵を争いながらも、表面は親しげにしている方々が、夜更けた時分になって人気(ひとけ)も静まった頃に、悩ましい調子で弾き、微かに漏れ出る琴の音など、聞き甲斐のあるのが多かったことでしたなあ――

 さらに、

「何事にも、女はもてあそびのつまにしつべく、ものはかなきものから、人の心を動かすくさはひになむあるべき。されば罪の深きにやあらむ、子の道の闇を思ひやるにも、男はいとしも親の心をみださずやあらむ。女は、かぎりありて、いふかひなき方に思ひ棄つべきにも、なほいと心苦しかるべき」
――何事につけても、女は気軽な慰み事の相手にする位の、所詮は他愛ないものですが、それでいて人の気を揉ませる種でもあります。ですから女は罪障が深いのでしょう。子故の闇に迷う親心を思いやりますと、男の子はそれほど親の心を乱さないもののようですね。女の子には運命が定まっていて、丹精したところで仕甲斐がないと諦めてみたところで、やはり心にかかってならないもののようです――

 などと、世間一般にかこつけておっしゃいますのを、薫は八の宮の偽りのないご本心であろうと、ご推察なさるのでした。

◆はぶき侍る身=省く=系類が少ないようにする。妻を持たない。

◆女はもてあそびのつまにしつべく=女はもてあそびのつま(端)にする位のもの

では7/21に。