永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(789)

2010年07月15日 | Weblog
2010.7/15  789回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(8)

 「世に心とどめ給はねば、出でたちいそぎをのみ思せば、涼しき道にもおもむき給ひぬべきを、ただこの御事どもに、いといとほしく、限りなき御心強さなれど、必ず、今はと見棄て給はむみだれなむ、と、見奉る人もおしはかり聞こゆるを」
――(八の宮は)この世に執着しておられず、ただ出家のご用意のことばかりお心にかけておいでですので、きっと極楽往生なされる筈ですのを、ただただ姫君達の行く末ばかりが案じられて、今わの際にはきっとその事が気がかりで、お心が乱れておしまいになられるでしょうと、お仕えしている人々は推察していますが――

 八の宮としては、

「思すさまにはあらずとも、なのめに、さても人ぎき口惜しかるまじう、見ゆるされぬべき際の人の、真心にうしろみ聞こえむ、など、思ひより聞こゆるあらば、知らず顔にて許してむ、一所一所世に住みつき給ふよすがあらば、それを見ゆづる方になぐさめおくべきを、さまで深き心に尋ね聞こゆる人もなし」
――理想的とはいかなくても、曲がりなりにも婿として外聞悪そうになく、許してもよさそうな身分の男で、心底から姫たちをお世話しようなどと申し出る者がいるならば、黙認してしまおう。二人のうち一人が縁づく先があるならば、残る一人のことはそれに頼んで、安心していられように。だがそれほど深い心で尋ねて来る者もない――

 さらに、お心の内では、

「まれまれははかなき便りに、好きごと聞こえなどする人は、まだ若々しき人の心のすさびに、物詣での中宿り、ゆききの程のなほざりどに、気色ばみかけて、さすがに、かくながめ給ふ有様などおしはかり、あなづらはしげにもてなすは、めざましうて…
――たまにはちょっとした機会に、懸想めいたことを言い寄って来る者もいるが、それは若気の物好きで、物詣での中宿りとか、行きずりの慰み事に気を引く素振りを見せて、
私たちがこうして寂しく暮らしているのを良いことに、馬鹿にした態度を見せるのにはまったく癪にさわる…――

 ということで、

「なげの答へをだにせさせ給はず。三の宮ぞ、なほ見ではやまじ、と思す御心深かりける。然るべきにやおはしけむ」
――(八の宮は)決して返事の真似ごとさえも、おさせにならない。そうした中で匂宮だけは、なんとしても逢わずにはおかないと、深く御執心なのでした。これも前世からの因縁だったのでしょうか――

◆物詣での中宿り=宇治は初瀬の観音詣でへの休み所の地でもあった。

◆あなづらはしげ=侮っても良いような態度に

◆めざましうて=心外だ。気にくわない。

では7/17に。


源氏物語を読んできて(788)

2010年07月13日 | Weblog
2010.7/13  788回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(7)

 匂宮から度々御文を頂いて八の宮は、姫君たちに、

「なほ聞き給へ。わざと懸想だちてももてなさじ。なかなか心ときめきにもなりぬべし。いと好き給へる親王なれば、かかる人なむ、と聞き給ふが、なほもあらぬすさびなめり」
――まあお返事は差し上げなさい。さらりと、殊更恋文を頂いたかのような態度を取ってはいけません。お返事を差し上げないのも思わせぶりで、かえってあちらの物思いの種ともなりましょうから。兵部卿の宮(匂宮)は大そう好色者(すきもの)の親王でいらっしゃるそうですから、こちらに姫たちが居るとお聞きになると、ちょっとかまってみたいお戯れのおつもりだろうから――

と、

「そそのかし給ふ時々、中の君ぞ聞こえ給ふ。姫君は、かやうのこと戯れにももてはなれ給へる、御心深さなり」
――お返事を促される時々は、いつも中の君がお書きになります。大君は思慮深く、このような事は冗談にもなさらないのでした――

 八の宮は、このように、いつということもなくお心細くお過ごしなので、春のつれづれを、ことに夜長をあれこれと物思いにふけっていらっしゃるのでした。

「ねびまさり給ふ御様容貌ども、いよいよまさり、あらまほしくをかしきも、なかなか心苦しう、かたほにもおはせましかば、あたらしうをしき方の思ひは薄くやあらまし、など、明け暮れ思しみだる。姉君二十五、中の君二十三ぞなり給ひける」
――(姫君たちの)成長なさるにつれて美しさが備わるお姿やご器量が、このところますます輝くばかりで申し分なく美しくなられたのが、宮には却っていじらしくて、いっそ姫君たちが不器量ででもあったならば、このまま埋もれるとしても諦めがつこうものを、と、明け暮れ胸を痛めていらっしゃるのでした。姉の大君は二十五歳、中の君は二十三歳になっておられます――

 八の宮はこの年、重い厄年に当たっておられますので、

「もの心細く思して、御行ひ常よりもたゆみなくし給ふ」
――何となく心細く思われて、勤行を常よりも一層ご熱心になさるのでした――

◆姫君=この表記の場合は、常に大君(おおいぎみ)を指す

◆あたらしうをしき方=惜しい(あたらし)をしき(惜しき)=そのままにしておくのがもったいないほど立派だ。

では、7/15にまた。


源氏物語を読んできて(787)

2010年07月11日 | Weblog
2010.7/11  787回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(6)

 しかし、匂宮はこんな折にこそ、なんとか八の宮の姫君たちに近づきたいものと、我慢しきれずに、見事な桜の枝を折らせて殿上童(てんじょうわらわ)の可愛い男子を使いとして御文を差し上げます。匂宮の(歌)

「山桜にほふあたりに尋ねきておなじかざしを折りてけるかな」
――山桜が咲き匂うように美しい貴女方の近くに尋ね参って、同じ花を髪の飾りとして手折ったことよ――

 野辺の懐かしさに一夜泊まりました……とでもお書きになったようです。姫君たちはどうお返事申し上げたらよいのか困っておりますと、老女房たちが、

「かかる折のこと、わざとがましくもてなし、程の経るも、なかなかにくき事になむし侍りし」
――こういう場合のお返事は、殊更めいて工夫に手間取るのは、却って良くないことと申します――

 と、申し上げます。お返事を、八の宮が中の君にお書かせして、それを差し上げます。

(歌)

「かざしをる花のたよりに山がつの垣根を過ぎぬはるの旅人」
――春の旅人の貴方は挿頭(かざし)の花を折るついでに、私どもの貧しい住いをお過ぎになっただけです(特に私の住いを目指された分けでもございませんでしたでしょうの意)――

 と、墨つぎも美しく、見事に書き流してあります。

 そうこうしておりますところに、藤大納言(紅梅大納言)が帝の仰せ言で、お迎えに参上なさり、その人数も加えての賑々しさで、一同お帰りになります。匂宮はまたしかるべき機会を捉えて、必ず宇治に来ようとお思いになったようです。

「ものさわがしくて、思ふままにもえ言ひやらずなりにしを、飽かず宮は思して、しるべなくても御文は常にありけり」
――何かと物さわがしくて、十分に心中をお伝えできなかったと、匂宮はたいそうお心残りで、これからは薫の手引きを待たないでもと、じきじきに御文だけは何度となくお送りになるのでした――

◆野辺の懐かしさに=万葉集・山辺赤人「春の野に菫摘みにと来しわれぞ野を懐かしみ一夜寝にける」と詠んだ万葉人のように。

では7/13に。


源氏物語を読んできて(786)

2010年07月09日 | Weblog
2010.7/9  786回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(5)

 親王であられた八の宮の御邸への参上ということで、その辺りを見回しますと、そこは右大臣(夕霧左大臣、原文のこの帖では、右大臣と左大臣を混同している)の別荘とは違い、

「山里びたる網代屏風などの、ことさらにことそぎて、見所ある御しつらひを、さる心してかき払ひ、いといたうしなし給へり」
――いかにも鄙びた山里の網代風の屏風などで、簡素にして、薫たちをお迎えする積りで準備した結構なご設備を、こういう折もあろうかと、たいそう念入りに清掃なさっておられます――

 邸の内には、伝来の御琴で音色も優れているらしいご立派な楽器類が、殊更ご準備なさったという風ではなく、さりげなく取り出されておられます。人々がそれらを手に取って弾き合せたりして、次には八の宮に琴を所望されます。八の宮が遠慮がちに筝の琴を掻き鳴らされますと、たいそう深みのある音色に、皆しみじみと聞き惚れてしまうのでした。

「所につけたる饗応、いとをかしうし給ひて、よそに思ひやりし程よりは、なま孫王めく賤しからぬ人あまた、王、四位の古めきたるなど(……)客人たちは、御むすめたちの住まひ給ふらむ御有様思ひやりつつ、心つく人もあるべし」
――また、この場所に相応しいご馳走を用意なさって、余所で想像していたの違って、お仕えする者たちも、王孫とでも申すような賤しからぬ人々が大勢、また王族の四位で年老いた人たちなど(こうした晴れがましいご奉仕に喜んで馳せ参じてきたのでしょうか、御盃を取る人も見苦しくなく、古風ながら雅やかなおもてなしぶりです)客人の仲には、さだめし、姫君達のお住いの辺りを思いやって、心を悩ましている者もいたことでしょう――

 向こう岸に留まっておられる匂宮は、ご身分上思いのままの御振る舞いも出来ず、ほとほと窮屈な思いで悩ましく過ごしていらっしゃるのでした。

 
◆網代屏風(あじろびょうぶ)=網代、すなわち檜(ひのき)や竹の薄板を縦横又は斜めに編んだもので張った屏風

◆なま孫王(そんおう)めく=孫王は帝王の孫以下をいう。ちょっとした皇族筋の。

では、7/11に。

源氏物語を読んできて(785)

2010年07月07日 | Weblog
2010.7/7  785回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(4)

 八の宮の物思いは、短い春の夜も実に長く感じられたようでしたが、一方、合奏で気晴らしをなさった匂宮は、酒の酔いでたちまち明けてしまって、もう帰京かとお思いになってご不満でならないのでした。薫はこの好機を逃さず、何とかして八の宮邸に参上したいと思っておられますが、

「あまたの人目をよぎて、一人漕ぎ出で給はむ船わたりの程も軽やかにや、と思ひやすらひ給ふ程に、かれより御文あり」
――大勢の人目を避けて、自分一人船で漕ぎ渡るのも軽率ではないかと、思い悩んでおられますときに、八の宮の方からこちらへお手紙がありました――

八の宮の(歌)

「山風にかすみ吹きとく声はあれどへだてて見ゆるをちのしら波」
――山風につれて霞の間を分け来る笛の音は聞こえますが、白浪が隔てているのでしょうか、向こう岸の貴方様はお便りもくださいませんね――

 と、万葉仮名の草体で上品に書かれております。匂宮も、あの八の宮からの御文だとご覧になって、お心は穏やかならずも喜ばしく、

「この御返りはわれせむ」
――この御返事は私からさしあげますよ――

 と、(歌)

「をちことのみぎはに波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の河風」
――宇治川の両岸に波が妨げましても、どうぞ親しくお付き合いください――

 匂宮はご身分柄ここに留まられ、薫が八の宮邸に参上なさいます。管弦に気を取られている公達をお誘いになって、船楽を奏でて舞を舞わせながら、宇治川を棹さしてお渡りになります。

◆写真:再び宇治川

では、7/9に。


源氏物語を読んできて(784)

2010年07月05日 | Weblog
2010.7/5  784回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(3)

「例の、かう世離れたる所は、水の音ももてはやして、物の音すみまさる心地して」
――例によって、宇治のような人里離れた所では、河浪の音も却って楽の音を引きたてて、一段と音色が澄むような感じがして――

八の宮は、昔の事を思い出されて、

「笛をいとをかしくも吹きとほしたなるかな。誰ならむ。昔の六条の院の御笛の音聞きしは、いとをかしげに愛嬌づきたる音こそ吹き給ひしか。これは澄みのぼりて、ことごとしき気の添ひたるは、致仕の大臣の御族の笛の音にこそ似たりなれ」
――ああ、笛の音を実に上手に吹きこなしていることよ。いったい誰の笛の音か。昔、亡き源氏の御笛の音を伺ったが、それは風流にも愛敬づいた笛の音だった。今聞こえる音は、澄みきった音にものものしい感じがそなわっていて、それは致仕大臣(昔の頭の中将で後左大臣で逝去)のご一族の伝来の笛の音に似ていることだ――

 などと、ひとり言をおっしゃって、また、

「あはれに久しくなりにけりや。かやうの遊びなどもせで、あるにもあらで過ぐし来にける年月の、さすがに多く数へらるるこそかひなけれ」
――ああ、あれから長い月日が経ったものだ。このような音楽などもせずに、生き甲斐もなく過ごしてきた年月が、積りつもってきたのこそ、思えば侘びしいことだ――

 とお思いになりながらも、勿体ないほどの立派な姫君たちを、このような山間に埋もれさせて了いたくはない、とも思い続けていらっしゃいます。お心のうちでは、

「宰相の君の、同じうは近きゆかりにて見まほしげなるを、さしも思ひ寄るまじかめり、まいて今やうの心浅からむ人をば、いかでかは」
――宰相の君(薫)が、同じ事なら、近しい縁者として(婿)見たい方であるが、まさか、そんな風に考える訳のものでもないだろう。かといって当世風の軽薄な男などをどうして考えられようか――

 と、思い乱れていらっしゃる。

◆致仕の大臣の御族の笛の音=致仕大臣の孫にあたる薫を暗示している。致仕大臣―柏木―薫

ではまた。


源氏物語を読んできて(783)

2010年07月03日 | Weblog
2010.7/3  783回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(2)

実は匂宮は、

「大臣をば、うちとけて見えにくく、ことごとしきものに思ひ聞え給へり」
――夕霧左大臣のことを、気軽に打ち解けて会いにくく、煙たいものにお思いになっていらっしゃる――

 このお供にも夕霧のご子息が皆従って来ております。右大弁、侍従の宰相、権中将、頭の少将、蔵人の兵衛の佐などです。

「帝、后も心ことに思ひ聞こえ給へる宮なれば、大方の御おぼえもいと限りなく、播いて六条の院の御方ざまは、つぎつぎの人も、皆わたくしの君に、心寄せ仕うまつり給ふ」
――(匂宮の)御父帝も御母の明石中宮も、格別にご寵愛の匂宮ですから、世間の信望も非常なもので、まして源氏の御一族は明石中宮が源氏の姫君ですので、夕霧以下次々の人も皆匂宮を内々の主君として心を傾けて仕えているのです――

 夕霧の別荘では、

「所につけて御しつらひなど、をかしうしなして、碁、双六、弾碁の盤どもなどとり出でて、心々にすさびくらし給ふ」
――山里に相応しく御設備などを特に面白くして、碁や双六、弾碁(たぎ)の盤などを取りそろえられたのを出して、御供の者たちは思い思いに遊び暮らしていらっしゃる――

「宮は、ならひ給はぬ御ありきに、なやましく思されて、ここにやすらはむの御心も深ければ、うち休み給ひて、夕つ方ぞ、御琴など召して遊び給ふ」
――(しかし)匂宮はめったになさらぬ遠出のためにお疲れになってはいらっしゃるものの、八の宮の姫君たちの事もお考えになって、この地にお泊りになりたいお気持が強くありますので、少し休息なさって、夕方には御琴に興じておられます――

 宇治川を隔てた八の宮の山荘にも、ほのかに向こう岸の楽の音が聞こえてくるのでした。

◆弾碁(たぎ)=中高の盤の両端に碁石を置いて、指で弾き、相手の石に当てて勝負をする遊戯。

7月~8月は奇数日に掲載します。ではまた。

源氏物語を読んできて(782)

2010年07月01日 | Weblog
2010.7/1  782回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(1)

薫(宰相中将、中納言)   23歳2月~24歳夏まで
匂宮(兵部卿の宮、三宮)  24歳~25歳
宇治八の宮(聖の宮)
大君(おおいぎみ)八の宮のご長女  25歳~26歳
中君(なかのきみ) 〃   次女  23歳~24歳
弁の君(老女)   宇治八の宮邸に仕える。母は柏木の乳母。
         (故柏木の形見、遺言を聞いている)
夕霧(左大臣、大殿)    49歳~50歳
明石中宮          42歳


年が明けて、

「二月の二十日の程に、兵部卿の宮、初瀬に詣で給ふ。古き御願なりけれど、思しも立たで年頃になりにけるを、宇治のわたりの御中宿りのゆかしさに、多くは催され給へるなるべし」
――二月二十日の頃に、兵部卿の宮(匂宮)が初瀬の長谷観音に参詣されました。大分以前に御祈願されたまま、その願ほどきもされぬまま数年がたってしまっていたのでした。今回は、その道中の中休み場所として宇治辺りをお考えになりましたようで、(噂の姫君たちが気がかりで)大方の理由はそのようではありますが――

「うらめしといふ人もありける里の名の、なべて睦まじう思さるるゆゑもはかなしや。上達部いとあまた仕うまつり給ふ。殿上人などはさらにも言はず、世に残る人少なう仕うまつれり」
――怨めしいという人もありました「宇治(憂し)」の名ですが、匂宮としては懐かしくさえお思いになるというのは、理由が理由であってみれば、何と他愛ないことですこと。上達部が大勢お供に付いて来て、殿上人となると言うに及ばず、宮中に残る人はほとんど居らぬほど、こぞってお仕えしています――

 源氏から相続して夕霧が所有しておいでの宇治の地所は、宇治川の向こう岸にあって、(八の宮山荘とは川を隔てて)宇治川から遠く広い領地を風情を凝らして設えてありましたので、夕霧はそこに匂宮を歓待申すべく万端の準備をおさせになります。

「大臣も、かへさの御迎へに参り給ふべく思したるを、にはかなる御物忌の、重く慎み給ふべく申したれば、え参らぬ由のかしこまり申し給へり」
――(夕霧も)匂宮御一行の帰り道であるこの宇治まで、お出迎えに上がるお積りでしたが、急の御物忌で自重なさるようにとの陰陽師からのお達しで、お伺いできないお詫びを申し上げます――

 匂宮は夕霧の不参を何となくご不快に感じられましたが、薫が今日のお出迎えに参り合わされましたので、宮としては、

「なかなか心やすくて、かのわたりの気色の伝へ寄らむ」
――却って薫の方が気が置けず、その上、あの八の宮の山荘のことも聞き出せよう――

 と、上機嫌におなりです。

ではまた。