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NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

江戸に学ぶエコロジー「持続可能な都市」

2011年05月04日 | エコでボランタリーな江戸の町
天正15年(1590年)に徳川家康が入城した当時の江戸は、浜松町あたりから日比谷、大手方面にかけて大きな入江(日比谷入江)が入り込んでおり、日本橋、京橋、有楽町一帯は半島状の低湿地帯(江戸前島)で、その東側も遠浅の海(江戸湊)という地形でした。

家康は先ず西丸築城工事のときの堀の揚げ土で日比谷入江を埋め立て、次に駿河台、お茶の水付近にあった神田山を削り崩して日本橋、京橋、新橋付近を埋め立てて市街地を形成していきました。

江戸中期には百万人を超えていたと言われる江戸の町は、人間の居住地と自然のシステムが相互に依存する機能的な統一体を構成していたと考えられています。

各地からの物流を支えた掘割
重力を利用した水の供給システム
天然の冷却システムである未舗装の道
ガーデニングのように配置された緑地
再利用できる建材を使用した建物
最高の共同体である長屋
供給者と消費者が緊密に関係するミクロ経済
都市近郊農業に不可欠な下肥

数え上げると切がありませんが、都市が周囲の自然を破壊することなく一定水準の暮らしを持続させるためには、当時としては百数十万人が限界であったと思われます。

現代の都市は、化石燃料と原子力が無ければ成り立たない規模に膨張してしまいました。

では、現代ではどの程度が適正な規模なのでしょうか。私は、そのヒントは江戸の町にあると考えています。

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