海王丸海浜公園を見学後、隣接する新湊きっときと市場へ。きっときと(いきいきした・とれたて)市場は、レストラン(180席)、鮮魚加工コーナーや地元名産品の販売、おはぎ工房、魚唐あげ・海鮮焼きそば、おみやげ処、浜焼き、カフェなどがある観光スポット。
この市場は、海王丸パークや新湊大橋、立山連峰を望む場所にある。この日は、曇り空で立山連峰は、くっきりとは見えなかったものの、雄大な景色の中、最高のロケーションである。(上記パンフレットをご覧あれ)
新湊のとれたて、旬の魚、ますのすしやかまぼこ、黒作り、甘塩するめ、干物などの塩干物、お菓子など地元の特産品がズラリと展示。
次回訪れた折には、富山湾で獲れる白エビ、ホタルイカ、バイ貝、イワガキ、紅ずわいがに、ぶり、甘エビなどすべて堪能したいものである。
店内で販売されているお寿司、刺身やカニを休憩所にて食べることができる。12時過ぎには、座る場所がない位混雑するため、早めの入店をオススメしたい。
海鮮丼をオーダー。魚の甘さ、ご飯旨さ。この味を知ったら、他の海鮮丼は食べられなくかも・・・。
新鮮な魚はやっぱり旨い。
続いて富山県第二の都市。高岡市へ。高岡市では、国宝瑞龍寺を見学した。
国宝の寺と聞いて、規模の大きさを想像したが、ここまで大きいとは驚いた。
面積は3万6千坪、周囲に壕をめぐらせた城郭を思わせるつくりである。
この寺は、二代目当主前田利長公の菩提を弔うため三代藩主利常公によって建立された。
外様でありながら、加賀百万石を与えられた戦国武将利長。それを譲り受けた義弟利常は、その恩を感じ建立されたと入館パンフレットに記載されている。詳細はこちら
本堂:国宝。墨書から明暦元年(1655年)の建立とわかる。総桧造りの入母屋造、銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りで建坪186坪である。手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、その前面は左右に細長い土間廊下とする。こうした平面形式は曹洞宗建築の特色を示す。二代藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置する。かつて同寺にあった七間浄頭(東司)に祭られていた烏瑟沙摩明王立像を安置する。(ウィキペディアより)
午後2時30分、ここで二日間お世話になったMさんご夫婦。お二人のあたたかい心づかいに感謝しながら、高岡駅を後にした。
金沢駅からサンダーバード28号にて、弟の待つ大阪駅へ。
午後6時、小雨降る道頓堀へ。念願だったグリコの電光掲示板を見た。周辺は、多くの中国人観光客で賑わっていた。
3ヶ月ぶりに会う弟と、ぼてじゅう本店へ。いつも弟の家や近所の居酒屋が多かったが、道頓堀は初めて。お店では、お好み焼き、焼きそばを堪能。
お店の特製ソースがおいしい。たくさんの食べ物があるが、大阪はやっぱりこれかも。
弟の家で泊まった翌日、母の家へ。ひさしぶり母とウォーキング。昨夜の雨で川の水が濁っていた。
少しづつ弱っていく母。今、何ができるのか・・。少しでも、多く会い、話すことかもしれない。
旅は、終盤に近づく。午後5時40分、宮崎へ帰るフェリーに乗船。安価でゆっくり船旅を楽しめるフェリーは、多少の揺れや狭いキャビンなどを差し引いても、移動手段としてはGOOD。
5泊6日の旅。今回の旅では、先輩のお陰で楽しい旅ができた。先輩ご家族のこころあたたまる接遇。
一方、今年は音楽活動40年のひと区切り。次なる50年目を目指して、音楽を楽しんでいきたい。
2月15日(月)午前8時35分宮崎港到着後職場へ。また新しい1週間が始まった。