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邦画「母と暮らせば」で監督の言いたかったこと

2016年01月22日 05時37分18秒 | 出会いと経験


先日、邦画「母と暮らせば」を観に行った。この映画は、終戦から70年。山田洋次監督が、作家・井上ひさしさんの遺志を継いでつくる「どうしても遺したい」物語とのこと。松竹120周年記念映画である。

この物語は、母信子(吉永小百合)と原爆で死んだ息子:浩二(二宮和也)とのやりとりを通して、家族や戦争、愛情などを描いた作品。1948年8月9日、長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で死んだはずの息子・浩二が現れる。2人は浩二の恋人・町子の幸せを気にかけながら、たくさんの話をする。

映画を見終えて、戦争の悲惨さ、死んで行った人の気持ち、残された人の気持ち、人間の業の深さを自身の身に置き換えた。映画を観ながら、愛する家族を別れるというのは、本当につらいものだと、言葉のやりとりから痛感した。また、浩二と町子の切なく、悲しく、微笑ましい恋物語も。一方、戦後の暮らしぶりが丁寧につくられた映画セットや方言などから感じ取れた。

途中、母信子が浩二に、町子がこのままひとりでいることは、本当に良いことだろうか?と話すが、浩二は認めない。しかし、最終的に浩二が出した答えは、「原爆で亡くなった何万人の人々に代わって、町子は、幸福になってほしい」と、いうものだった。

この映画では、戦争でなくなっていった人達の願い、戦争を経験した人の願いを現代の私達に伝えたかったのではと私は思った。
苦しいことがあっても、「生きて生きて、幸せになって欲しい」と。


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