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2013年は、鑑真和上没後1,250年

2013年04月07日 08時16分51秒 | 気になる○○

若葉して御めの雫ぬぐはヾや
(わかばして おんめのしずく ぬぐわばや)芭蕉

上記の句は、唐招提寺のお堂にあった(当時)鑑真和上の像を拝して松尾芭蕉が詠んだ句で、この柔らかい若葉で鑑真和上の見えなくなった目の涙を拭ってあげたい・・という意味が込められていると紹介されている。
鑑真和上のその強い精神力と辛苦の歩みに芭蕉も涙したことだろう。

この鑑真について意識したのは、4月5日付の毎日新聞21面に、「鑑真和上坐像 制作当時の色彩(京都で披露)」が掲載されてあり、1250年もの時空を超えた、生き方や考え方、精神に少しでも触れてみたいと考えたからだ。

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(画像は一般公開用のものではありません)

鑑真和上については、天平の甍やテレビなどで知っていたが、改めてネットで調べたところ、鑑真は55歳の時、第10回遣唐使とともに渡航した留学僧栄叡(ようえい)・普照の懇請に応じて唐における高僧の地位を捨て、12年の歳月を要し、自身も失明した。当時は、唐の国からすれば遠い国であっただろうし、未開の地。多くの苦難が待ち受けていることも充分に承知していたのだろうと考える。

鑑真和上は、没するまで9年間、日本にさまざまな貢献をした。僧の戒律の制度を整え、仏教の教化に力を注ぐだけでなく美術建築工芸など多くの分野の発展に尽力。
特に施薬に関しても通じていたためこの分野での貢献も非常に大きく、中世以降和上を医薬の祖として祀っていたそうである。

 
さて今夏で54歳を迎える自分自身に当てはめて考えると、改めて偉人なのだと感じたところ・・。→比べなくてもわかる(恥)・・・。
以前こんな言葉を聞いたことがある。「先人の行く道を追うのではなく、先人の求めるところを求める」。私達は、もっと求めなくてはならないのではないか・・欲望ではなく、理想を。そうでないと消費していくだけの肉の塊・・となってしまうのかも知れない。
ちなみに鑑真和上の命日は、5月6日。若葉の季節である。