1980年8月21日、それは、運命を変えた出会いの日。
学生時代からギターの弾き語りをしていた私は月に一度、ギターの絃を買いに楽器店に立ち寄っている。
楽器店の店長から、「ボランティアコンサートで歌う人を募集しているので参加してみない」と声をかけられた。21歳になったばかり私は、新しい何かをしたいとの思いから、まずはボランティアコンサートの実行委員会を見に行くことに決めた。その会議の日が8月21日。40年以上も前の事だ。
(1980年 第1回延岡ふくしコンサート)
会場につくと、多くの方が議論を重ねていた。その中でも一人の女性が光っていた。衝撃を受けた。言葉の力凄さや身のこなし方、スピード感、優しさ、そのすべてに一瞬でファンになった。その人の名前は、大神のりえ(以下のりえ)さんだ。
その日から実行委員会に入り、活動をつづけながら。大神さんの自身活動のお手伝いをする中で、いろんなことを学んだ。のりえさんの一番の魅力は、学生時代リックサックひとつでユネスコ本部を訪ねる行動力や優れた国際感覚、人間観だ。
これまで、いろんな人がのりえさんと出会うことで、元気になった人をたくさん見てきた。言葉がけやのりえさんの考え方や姿勢を通して、人が変わっていく、教育って素晴らしい。その思った。
それから、のりえさんがおこなうことには、すべて協力した。頼まれたら、断らない。さまざまな活動に足を運んだ。
それから数年後、大神さんから、「青年の船に乗船したらどう。あなたにはその資格がある」と勧められ受験。合格し、1年後、オセアニア地域へ50日間、総理府から派遣された。
青年の船に参加して、自分自身の世界観や平和への想いを新たにした。その後、ローターアクトクラブやユネスコなど、さまざまな活動を通して、知識に磨きをかけたり、多くの友人・知人をつくることができた。
(音楽でも活躍する大神さん)
また、自身の子ども達への教育にも役立ったように思う。船の話や地域づくり活動に積極的に参加させた。そのせいか、中学から自主的に海外でのホームスティを経験する中で、子ども達の国際感覚が磨かれたように思う。現在、長女は外資系企業で働き、次女は今月からフランスへ遊学しその後縁あって、同国の青年と結婚した。
振り返ってみると、音楽好きだった私が社会活動に目覚めたのは、のりえさんの力によるところが大きい。実際、のりえさんは優れた教育者であり、活動家でもある。これまで多くの若者を育ててきた。また30程年前、インドバンガロールに「インド国際こども村ハッピーバリー」を建設・運営しており、世界青年会議所から、TOYP大賞(傑出した若者に送られる)を受賞している。
(のりえさんとのツーショット25年前)
出会いは人生のターニングポイント。出会いが運命を変えていきます。
これから、のりえさんへの恩返しの意味でも、学んだことを次の世代へ伝えていきたいと思う。